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【寄稿】安保・経済複合危機、朴正熙リーダーシップを振り返る=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
◆英国で変わった韓国に対する認識

そのような私が英国で留学生活をしながら認識が変わった。私が外国に出て行ったのは外の世界を見るためだった。世界に出たことで、世界の目で見る大韓民国の地位を知ることになった。私があれほど嫌って戦ってきた朴正熙に対する世界の認識に接することになったのだ。英国と米国など世界は朴正熙のリーダーシップによる大韓民国の経済発展を高く評価していた。

私は京畿道(キョンギド)知事当時、先端産業の発展がわが国の経済発展に核心的な要素だという事実を認識し、外国の先端産業の誘致に総力を挙げた。坡州(パジュ)にLG・フィリップスS LCD団地を造成し、半導体・ディスプレー・自動車部品分野で世界最高レベルの部品産業をほとんど誘致した。板橋(パンギョ)テクノバレー、広橋(クァンギョ)ナノファブセンター、融合技術院、平沢(ピョンテク)港開発などは先端産業発展のための基盤施設を構築するという概念だった。このような先端産業誘致作業の過程で、朴正熙が過去に構築しておいた経済の基盤がどれほど重要だったかを認識することができた。


朴正熙が推進した最初の政策目標は民生の解決だった。食料不足をなくすために統一稲を開発し、1976年にはコメの完全自給自足を達成した。セマウル運動で農村の生活環境を画期的に改善した。洪水防止と水資源確保のために昭陽江(ソヤンガン)多目的ダムをはじめ全国各地にダムを建設した。

4回にわたる経済開発5カ年計画を通じて工業発展の軸を築いた。繊維・かつらなど軽工業から始め、鉄鋼・造船・自動車・石油化学など重化学工業を発展させた。輸出額は1964年の1億ドルから始まり、1971年は10億ドル、1977年は100億ドル、1979年は150億ドルと急成長した。朴正煕は技術の発展に特別な努力をした。1966年に韓国科学技術研究所(KIST、現韓国科学技術研究院)を設立し、外国の世界的な科学技術者を迎え、1968年に始まった原子力発電所建設事業は韓国を今日、世界5位の原発輸出国に導いた。1970年の国防科学研究所(ADD)設立は大韓民国を世界5位の防衛産業国家に育てる出発点となった。

朴正熙大統領は韓国を世界最貧国から中進国水準に引き上げただけでなく、先進国に進む科学技術産業の基盤を構築した。台湾やシンガポールが先進国入りして高い国民所得を誇るが、鉄鋼・自動車・造船・石油化学工業や半導体・バッテリー・バイオなど先進経済が備えるべき重要産業と関連インフラをすべて備えた国は新興先進国のうち大韓民国だけだ。

◆朴正熙式の権威主義、今は通用しない

反論も少なくない。韓国の経済復興は聡明で勤勉な国民のおかげであり、独裁者の朴正熙の功績でないという論理だ。朴正熙ではなく誰が大統領になっても韓国はそれほどの経済成長を遂げることができたと主張する。

もちろん韓国は聡明で勤勉な国民性、良い暮らしをするという国民の強い意志があったため、速い経済成長が可能だった。国民の高い教育熱も重要なエネルギーだ。官僚の優れた能力と透徹した使命感は国家発展の核心的な要素だ。韓国国民の民主主義に対する情熱も十分に世界的であり歴史的だ。いかなる圧力にも屈することなく民主化と社会正義を実現してきた根性のある民族だ。

しかし朴正熙が成し遂げた経済発展はいくつかの部分の限られた経済構造ではない。農業・軽工業・重化学工業を順次・体系的に発展させ、未来先端産業のための基盤を磨き上げる長期的で未来志向的な経済発展を成し遂げた。

今日の韓国が直面した危機を抜け出すための道を考えながら朴正熙大統領を思い出す。もちろん朴正熙式の権威主義ではいけない。しかし票ばかりを追って国民を欺くポピュリズムは絶対にあってはならない。未来を眺める指導者がいない国に希望はない。世界の変化と大韓民国の未来に目を向けて準備して国を経営した朴正熙大統領のリーダーシップを評価する。

孫鶴圭(ソン・ハッキュ)/元民主党代表


【寄稿】安保・経済複合危機、朴正熙リーダーシップを振り返る=韓国(1)

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