2012年5月24日。韓国大法院(最高裁判所)の歴史的な判決が下された。原告も勝訴を予想していなかったため法廷に出ず、当時の梁承泰(ヤン・スンテ)大法院長には知らされなかった判決だ。この日、大法院1部(主審・金能煥最高裁判事)は日本企業の新日本製鉄と新三菱重工業が日帝強占期の強制徴用被害者9人に損害賠償をする義務があるとし、原告敗訴の原審を破棄して差し戻した。金能煥(キム・ヌンファン)最高裁判事の退任2カ月前だった。金判事は周囲に「建国する心情で判決文を書いた」と明らかにしたという。
新日本製鉄と新三菱は大法院に再上告したが、2018年10月と11月に大法院全員合議体(新日本製鉄)と大法院2部(新三菱)で2012年の金能煥元最高裁判事の判決を認める上告棄却決定が出てきた。
◆金能煥最高裁判事、退任2カ月前に宣告
大法院全員合議体は金命洙(キム・ミョンス)大法院長など最高裁判事13人(法院行政処長除く)が論議して決定するだけに司法府の最終的な判断という意味がある。当時、権純一(クォン・スンイル)判事と趙載淵(チョ・ジェヨン)判事が反対の意見を出したが、少数意見にすぎなかった。両最高裁判事は「請求権協定を無効と見るのでなければ、それが気に入らなくてもその文言と内容は守らなければならない」とし「(日本政府でなく)韓国政府は今からでも被害を受けた国民に正当な補償をしなければいけない」と明らかにした。
法曹界と外交関係者の間では「金能煥の判決」を破格という。日本の反応は差し置いても、韓国法院下級審の4度の原告敗訴決定と65年の請求権協定に対する韓国政府の従来の立場をすべて覆したからだ。
第1、2審と2012年の大法院の判決が異なった核心の争点は4つある。▼65年の韓日請求権協定で個人請求権が消滅したかどうか▼日本裁判所の判決の国内認定▼日帝強占期の旧日本製鉄・旧三菱の債務を強占期以降の新日本製鉄・新三菱が負担するかどうか▼被害者の惨害賠償請求権消滅時効(10年)の完成--だ。
韓日協定と個人請求権の問題に関連し、65年の協定当時に朴正熙(パク・ジョンヒ)政権は日本から無償3億ドル、有償2億ドルの借款を受け「両締約国およびその国民間の請求権に関する問題が…完全そして最終的に解決されることを確認する」と明らかにした。韓国政府はこの協定を根拠に2012年の判決前まで日本企業に対する強制徴用被害者の個人請求権が制限されるという立場を維持してきた。2005年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で韓日協定文書が公開されたが、当時の韓日会談文書公開官民共同委員会も請求権協定に強制動員被害者問題は包含されると解釈した。2012年の大法院の決定はこのような政府の立場を否定した。国家が国民の同意なくむやみに個人請求権を消滅させることはできないと見なしたのだ。
◆請求権消滅時効10年は消滅していないと判断
残りの争点は法理的な性格が強い。日本の裁判所の判決の認定に関連し、2012年に大法院は「日帝強占期を合法だと前提にした日本裁判所の決定は大韓民国憲法の核心の価値と正面衝突する」として効力を拒否した。日帝強占期の前後で各企業の連続性に対する判断は下級審で分かれたが、大法院は事実上同一体と判断した。
被害者の個人請求権消滅時効の場合、下級審はすべて被害者の請求権消滅時効(10年)が過ぎたと見なした。一方、2012年の大法院1部と2018年の大法院全員合議体は、2005年に韓日協定文書が公開されるまで損害賠償を請求する社会的な環境が整っておらず消滅の時効が残っていると判断した。
<韓日修交以降の主要葛藤日誌>
1965年=朴正熙政権が日本と韓日基本条約、韓日請求権協定をはじめとする5件の条約を締結。韓日国交正常化。
2005年=盧武鉉政権時代。裁判所、強制動員被害者の要求を受け入れ、40年間非公開だった韓日協定文書公開を決定。
2012年=金能煥最高裁判事、日本企業が強制徴用被害を補償すべきと判決。李明博元大統領が歴代大統領で初めて独島(ドクト、日本名・竹島)訪問。
2013年=安倍首相が靖国神社参拝。韓国政府が強く反発。
2014年=日本の中学・高校学生指導要領解説書に「竹島は日本固有領土」主張を明示。
2015年=朴槿恵(パク・クネ)政権、韓日政府間で旧日本軍慰安婦合意。日本政府が責任を認めて財団に10億円出捐。
2017年=釜山総領事館前の少女像設置に反発。日本官房長官が釜山少女像撤去を要求。
2018年=韓国大法院が日帝強制徴用被害者への賠償責任を認める判決。日本哨戒機による韓国海軍艦艇への低空威嚇飛行事件が発生。
2019年7月=日本が半導体素材など3品目の対韓国輸出規制を発表
2019年8月=韓日、「ホワイト国」から相手国を除外
<韓日を揺るがした3つの局面(2)>2005年に官民共同委が強制徴用被害者に7000億ウォン補償決定
<韓日を揺るがした3つの局面(3)>1965年の韓日協定、交流の道は開いたが葛藤の種をまいた
新日本製鉄と新三菱は大法院に再上告したが、2018年10月と11月に大法院全員合議体(新日本製鉄)と大法院2部(新三菱)で2012年の金能煥元最高裁判事の判決を認める上告棄却決定が出てきた。
◆金能煥最高裁判事、退任2カ月前に宣告
大法院全員合議体は金命洙(キム・ミョンス)大法院長など最高裁判事13人(法院行政処長除く)が論議して決定するだけに司法府の最終的な判断という意味がある。当時、権純一(クォン・スンイル)判事と趙載淵(チョ・ジェヨン)判事が反対の意見を出したが、少数意見にすぎなかった。両最高裁判事は「請求権協定を無効と見るのでなければ、それが気に入らなくてもその文言と内容は守らなければならない」とし「(日本政府でなく)韓国政府は今からでも被害を受けた国民に正当な補償をしなければいけない」と明らかにした。
法曹界と外交関係者の間では「金能煥の判決」を破格という。日本の反応は差し置いても、韓国法院下級審の4度の原告敗訴決定と65年の請求権協定に対する韓国政府の従来の立場をすべて覆したからだ。
第1、2審と2012年の大法院の判決が異なった核心の争点は4つある。▼65年の韓日請求権協定で個人請求権が消滅したかどうか▼日本裁判所の判決の国内認定▼日帝強占期の旧日本製鉄・旧三菱の債務を強占期以降の新日本製鉄・新三菱が負担するかどうか▼被害者の惨害賠償請求権消滅時効(10年)の完成--だ。
韓日協定と個人請求権の問題に関連し、65年の協定当時に朴正熙(パク・ジョンヒ)政権は日本から無償3億ドル、有償2億ドルの借款を受け「両締約国およびその国民間の請求権に関する問題が…完全そして最終的に解決されることを確認する」と明らかにした。韓国政府はこの協定を根拠に2012年の判決前まで日本企業に対する強制徴用被害者の個人請求権が制限されるという立場を維持してきた。2005年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で韓日協定文書が公開されたが、当時の韓日会談文書公開官民共同委員会も請求権協定に強制動員被害者問題は包含されると解釈した。2012年の大法院の決定はこのような政府の立場を否定した。国家が国民の同意なくむやみに個人請求権を消滅させることはできないと見なしたのだ。
◆請求権消滅時効10年は消滅していないと判断
残りの争点は法理的な性格が強い。日本の裁判所の判決の認定に関連し、2012年に大法院は「日帝強占期を合法だと前提にした日本裁判所の決定は大韓民国憲法の核心の価値と正面衝突する」として効力を拒否した。日帝強占期の前後で各企業の連続性に対する判断は下級審で分かれたが、大法院は事実上同一体と判断した。
被害者の個人請求権消滅時効の場合、下級審はすべて被害者の請求権消滅時効(10年)が過ぎたと見なした。一方、2012年の大法院1部と2018年の大法院全員合議体は、2005年に韓日協定文書が公開されるまで損害賠償を請求する社会的な環境が整っておらず消滅の時効が残っていると判断した。
<韓日修交以降の主要葛藤日誌>
1965年=朴正熙政権が日本と韓日基本条約、韓日請求権協定をはじめとする5件の条約を締結。韓日国交正常化。
2005年=盧武鉉政権時代。裁判所、強制動員被害者の要求を受け入れ、40年間非公開だった韓日協定文書公開を決定。
2012年=金能煥最高裁判事、日本企業が強制徴用被害を補償すべきと判決。李明博元大統領が歴代大統領で初めて独島(ドクト、日本名・竹島)訪問。
2013年=安倍首相が靖国神社参拝。韓国政府が強く反発。
2014年=日本の中学・高校学生指導要領解説書に「竹島は日本固有領土」主張を明示。
2015年=朴槿恵(パク・クネ)政権、韓日政府間で旧日本軍慰安婦合意。日本政府が責任を認めて財団に10億円出捐。
2017年=釜山総領事館前の少女像設置に反発。日本官房長官が釜山少女像撤去を要求。
2018年=韓国大法院が日帝強制徴用被害者への賠償責任を認める判決。日本哨戒機による韓国海軍艦艇への低空威嚇飛行事件が発生。
2019年7月=日本が半導体素材など3品目の対韓国輸出規制を発表
2019年8月=韓日、「ホワイト国」から相手国を除外
<韓日を揺るがした3つの局面(2)>2005年に官民共同委が強制徴用被害者に7000億ウォン補償決定
<韓日を揺るがした3つの局面(3)>1965年の韓日協定、交流の道は開いたが葛藤の種をまいた
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