◆73年北朝鮮操縦士、イスラエル機と空中戦
北朝鮮の操縦士派兵はベトナムにとどまらない。73年にはイスラエルと第4次中東戦争(イスラエルではヨム・キプール戦争、エジプトでは十月戦争)を行ったエジプトにも1個中隊規模の空軍操縦士を派遣して戦闘機F-4「ファントム」を含めたイスラエルの戦闘機と空中戦を繰り広げた。北朝鮮はエジプトに対する操縦士派遣外交で途方もない成果を上げた。
イスラエル国立文書保管所が最近機密解除した73年モサド(諜報特務庁)1級秘密文書には「エジプトに30人の北朝鮮操縦士がエジプト領空防御に参戦する」という内容が含まれている。この文書は同年戦争勃発1日前の10月5日、モサドのツヴィ・ザミール局長の補佐官ペディ・エイニーがゴルダ・メイア首相の国防秘書ウィスラエル・ラオル准将に宛てたものだ。
これに関連し、イスラエル英字新聞「タイムズ・オブ・イスラエル」は2017年9月29日、「当時シリアとエジプトはソ連の武器供給とモロッコ・アルジェリア・リビア・サウジアラビア・クウェート・パレスチナ解放機構・ヨルダンのようなアラブ圏に派兵したのはもちろん、さらにパキスタンと北朝鮮には操縦士を派遣した」と報道した。当時エジプト軍総司令官だったサド・エルサドル将軍は回顧録で「当時北朝鮮はエジプトに20人の操縦士と19人の非戦闘要員を派遣した」と明らかにした。操縦士数でモサド情報と若干食い違う。
◆エジプト戦争博物館には北朝鮮式の宣伝画
米国のインターネットメディアである「ビジネスインサイダー」は2013年6月25日、「73年10月6日イスラエルとエジプトの間のスエズ湾上空でイスラエル空軍のF4戦闘爆撃機2機がソ連製ミグ21戦闘機1機と空中戦を行ったが、のちに北朝鮮操縦士が操縦していたことが分かった」と報じた。ビジネスインサイダーは「燃料が亡くなったため空中戦を中止して、基地に帰還し始めたイスラエル戦闘機が、このミグ機がエジプト防空部隊から発射したソ連製の地対空ミサイルに当たって撃墜される場面を目撃した」と伝えた。
第4次中東戦当時、エジプト空軍参謀総長だったホスニー・ムバラクは81年に大統領となり、2011年「アラブの春」当時に国民蜂起で追放される時まで20年間鉄拳を振るった。北朝鮮操縦士の支援を記憶していたムバラク執権期に、北朝鮮とエジプトの協力関係は厚く維持された。89年カイロ東部ヘリオポリスにあるサラディンのシタデルに「10月6日戦争博物館」を建築しながら北朝鮮建築家と芸術家を大挙動員するに至った。博物館に展示された宣伝画は北朝鮮の偶像化絵画作品と非常に似ている。博物館入口壁には「ホスニー・ムバラク大統領と金日成主席が博物館を建設した」と刻まれた大理石が設置されている。北朝鮮が2008年エジプト通信企業オラスコムを引き込んで携帯電話サービスを初めて導入したのもこのような縁と無関係ではないとみられる。
◆派兵対価のスカッドで弾道ミサイル開発着手
決定的に重要なのは北朝鮮が操縦士派兵の対価としてエジプトからソ連の戦術弾道ミサイルであるスカッドBを初めて入手したという事実だ。これは北朝鮮ミサイル開発の第一歩となった。
外交専門紙ディプロマット2017年8月28日付によると、アンワル・サダト当時エジプト大統領は76年と81年の間に西側でスカッドBと呼ばれるソ連製「R-17エリブルース・ミサイル」を北朝鮮に譲渡した。76年はサダトがソ連との友好条約を破棄してソ連の技術者を追放した年だ。エジプトはその後、米国との関係を強化して親米路線を歩み、イスラエルと平和路線を追求した。サダトは78年ジミー・カーター米国大統領の仲裁でイスラエルとキャンプ デービッド平和協定(キャンプ・デービッド合意)を締結して国交を樹立した。その対価として、67年第三次中東戦争(六日戦争)当時にイスラエルに奪われたシナイ半島を取り戻した。サダトはこの功労でイスラエルのメナヘム・ベギン首相と共に78年ノーベル平和賞を共同受賞した。
米国のCNBC放送は2017年8月25日、「北朝鮮が79年または80年エジプトからスカッドBミサイルを初めて入手した」と報じた。ディプロマットの報道とは入手時期が若干違う。
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北朝鮮の操縦士派兵はベトナムにとどまらない。73年にはイスラエルと第4次中東戦争(イスラエルではヨム・キプール戦争、エジプトでは十月戦争)を行ったエジプトにも1個中隊規模の空軍操縦士を派遣して戦闘機F-4「ファントム」を含めたイスラエルの戦闘機と空中戦を繰り広げた。北朝鮮はエジプトに対する操縦士派遣外交で途方もない成果を上げた。
イスラエル国立文書保管所が最近機密解除した73年モサド(諜報特務庁)1級秘密文書には「エジプトに30人の北朝鮮操縦士がエジプト領空防御に参戦する」という内容が含まれている。この文書は同年戦争勃発1日前の10月5日、モサドのツヴィ・ザミール局長の補佐官ペディ・エイニーがゴルダ・メイア首相の国防秘書ウィスラエル・ラオル准将に宛てたものだ。
これに関連し、イスラエル英字新聞「タイムズ・オブ・イスラエル」は2017年9月29日、「当時シリアとエジプトはソ連の武器供給とモロッコ・アルジェリア・リビア・サウジアラビア・クウェート・パレスチナ解放機構・ヨルダンのようなアラブ圏に派兵したのはもちろん、さらにパキスタンと北朝鮮には操縦士を派遣した」と報道した。当時エジプト軍総司令官だったサド・エルサドル将軍は回顧録で「当時北朝鮮はエジプトに20人の操縦士と19人の非戦闘要員を派遣した」と明らかにした。操縦士数でモサド情報と若干食い違う。
◆エジプト戦争博物館には北朝鮮式の宣伝画
米国のインターネットメディアである「ビジネスインサイダー」は2013年6月25日、「73年10月6日イスラエルとエジプトの間のスエズ湾上空でイスラエル空軍のF4戦闘爆撃機2機がソ連製ミグ21戦闘機1機と空中戦を行ったが、のちに北朝鮮操縦士が操縦していたことが分かった」と報じた。ビジネスインサイダーは「燃料が亡くなったため空中戦を中止して、基地に帰還し始めたイスラエル戦闘機が、このミグ機がエジプト防空部隊から発射したソ連製の地対空ミサイルに当たって撃墜される場面を目撃した」と伝えた。
第4次中東戦当時、エジプト空軍参謀総長だったホスニー・ムバラクは81年に大統領となり、2011年「アラブの春」当時に国民蜂起で追放される時まで20年間鉄拳を振るった。北朝鮮操縦士の支援を記憶していたムバラク執権期に、北朝鮮とエジプトの協力関係は厚く維持された。89年カイロ東部ヘリオポリスにあるサラディンのシタデルに「10月6日戦争博物館」を建築しながら北朝鮮建築家と芸術家を大挙動員するに至った。博物館に展示された宣伝画は北朝鮮の偶像化絵画作品と非常に似ている。博物館入口壁には「ホスニー・ムバラク大統領と金日成主席が博物館を建設した」と刻まれた大理石が設置されている。北朝鮮が2008年エジプト通信企業オラスコムを引き込んで携帯電話サービスを初めて導入したのもこのような縁と無関係ではないとみられる。
◆派兵対価のスカッドで弾道ミサイル開発着手
決定的に重要なのは北朝鮮が操縦士派兵の対価としてエジプトからソ連の戦術弾道ミサイルであるスカッドBを初めて入手したという事実だ。これは北朝鮮ミサイル開発の第一歩となった。
外交専門紙ディプロマット2017年8月28日付によると、アンワル・サダト当時エジプト大統領は76年と81年の間に西側でスカッドBと呼ばれるソ連製「R-17エリブルース・ミサイル」を北朝鮮に譲渡した。76年はサダトがソ連との友好条約を破棄してソ連の技術者を追放した年だ。エジプトはその後、米国との関係を強化して親米路線を歩み、イスラエルと平和路線を追求した。サダトは78年ジミー・カーター米国大統領の仲裁でイスラエルとキャンプ デービッド平和協定(キャンプ・デービッド合意)を締結して国交を樹立した。その対価として、67年第三次中東戦争(六日戦争)当時にイスラエルに奪われたシナイ半島を取り戻した。サダトはこの功労でイスラエルのメナヘム・ベギン首相と共に78年ノーベル平和賞を共同受賞した。
米国のCNBC放送は2017年8月25日、「北朝鮮が79年または80年エジプトからスカッドBミサイルを初めて入手した」と報じた。ディプロマットの報道とは入手時期が若干違う。
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