国家代表のユニフォームを掲げるパク・ワンヨン選手。[写真 本人提供]
ラグビー韓国代表チーム主将のパク・ワンヨン選手に向けられたコメントのひとつだ。5戦5敗、29得点210失点、12チーム中12位。今回の五輪でラグビー韓国代表チームが収めた成績だ。1度も勝つことはできなかったが、彼らには「負けたけどよく戦った」という応援があふれた。韓国が五輪本戦の舞台を踏んだのは1923年にラグビーが韓国に伝わってから98年ぶりだ。
パク選手は6日に中央日報との通話で、「全敗を記録したが『美しいびり』とたくさん呼んでくれる。気落ちしないようにと良い表現をしてくれたものと考える。ありがたく思っている」と話した。
◇「二度と来ない時間…試合ごとに最善」
パク選手は東京五輪を終えた所感について、「最初で最後の五輪という覚悟で臨んだ」と話した。韓国は実業チームが韓国電力、ポスコ建設、現代グロービスの3チームだけのラグビー不毛の地だ。青少年、大学生、実業チームなど全国にいる選手をすべて合わせても1000人程度だ。環境が劣悪なため五輪出場権は簡単な機会ではない。パク選手は「またとない時間のため1試合1試合がとても大切だった」と話した。五輪を準備しながら若い選手らに迷惑をかけないよう体力トレーニングと個人リハビリを1年半にわたり明け方から夕方までやり抜いた彼だ。
主将であるパク選手は「韓国ラグビーチームはワンチームだった」と説明した。「ひとつになれば、ひとつになる瞬間頂点に行く」というスローガンを強調してきたという。このため罰金制度も運用した。トレーニング集合時に1分遅れれば1000ウォン、夜食を食べれば5万ウォンなどという形だ。パク選手は「一心同体のように動かなければならないので罰金制度があったが、みんなしっかり守り思ったほどお金は多く集まらなかった」と笑った。
◇「さびしい時もあったが…関心に感謝」
東京五輪は新型コロナウイルスの感染拡大を考慮して無観客が原則だった。歓声もなく行われる試合はどうだったのだろうか。パク選手の答はこうだ。「私たちは不人気競技で、いつもの試合の時も家族や友人などだけが主に見にきます。他の競技は無観客を変数と指摘したが、私たちには自然なことで影響はまったくなかったです」。
パク選手は無関心に対するさびしさについて尋ねると、「常に孤独な戦いだった」と答えた。しかし今回は少し違った。彼は「ネイバーで選手紹介のコーナーがあるが、応援メッセージがたくさんつけられた。(選手同士で)それ見ながらがんばることができた。感謝する」と話した。続けて「(五輪は)韓国ラグビーが世界の舞台に一歩近付く機会だった。国民のみなさんにラグビーという競技があるということを知らせる契機だった」と付け加えた。
24年の選手生活を振り返った時に最も記憶に残る「人生の名場面」は五輪出場を決めた瞬間だ。そんな五輪の「夢の舞台」に立ったため無念さはもっと大きくなるほかない。パク選手は「実力を100%発揮するならば世界の他のチームとの格差を減らせるだろうと考える。五輪は終わったが、次の大会がまた待っているのでその時は必ず良い姿を見せたい」と誓った。
パク選手にどのようなチームとして記憶されたいかと尋ねるとこんな答えが返ってきた。「ラグビーチームのエンブレムにムクゲと虎が一緒にいます。今後このムクゲの花を大きく咲かせるチームになります。見守ってください」。
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