風水地理で見た崇礼門
「崇礼門はそれそのものが冠岳山の火気を防ぐために立てられた。火災を防止するために建てられた崇礼門を火災で失ったのだ」--。
友石(ウソク)大学のキム・ドゥギュ教授は風水地理学的でも深い意味をもった崇礼門の焼失を惜しんだ。
朝鮮王朝は宮廷や都を定める際に風水の地理を重視した。王朝を創建する際には宮廷(景福宮・キョンボックン)の位置をめぐって論争が起きた。無学大師(ムハクデサ、高麗時代末期から朝鮮時代初期に朝鮮王朝最初の王である太祖に仕えた僧侶)は、漢江(ハンガン)の南から来る火気を防ぐなら宮廷を東に建てなければならないと主張した。しかし鄭道伝(チョン・ドジョン、高麗時代末期から朝鮮時代初期の学者、政治家)は「中国の帝王は皆、南向きに宮廷を立てた」と主張し、宮廷を南向きに建てることに固執した。
結局、景福宮は鄭道伝の意見を受け入れて南向きに建てられることになった。しかし朝鮮王朝は岩でできた山(冠岳、仁王・道峰山)から発生する火気を防ぐために風水的な装置を都のあちこちに設置した。
その代表的なものが崇礼門だった。
◇火気が襲う街の要所に=風水地理学者らは崇礼門が冠岳山の火気が漢江を越えてくるのを防ぐため、気の通り道となる位置に設置したとみている。
崇礼門の扁額を縦にしたのも正宮の景福宮と都城の火災を防止するための意味がこめられている。崇礼門の漢字を縦に見るとまるで火花が燃え上がっているような形をしている。「火は火で防ぐ」という風水の理論によるものだったという。また崇礼門前には南池(ナムジ)という池を掘った。現在、南大門(ナムデムン)からソウル駅の方向に彫った小さな池だが、これもやはり火気を抑えるという意味がある。
朝鮮王朝は崇礼門から光化門までの道もまっすぐに作らなかった。鐘閣(チョンガク)と鍾路(チョンロ)を経て遠回りする道を作った。道をまっすぐに造った場合、崇礼門を越えた火気が景福宮にすぐに影響を及ぼすことを心配したからだという。
国立民俗博物館鄭鍾秀(チョン・ジョンス)遺物課科学課長は「崇礼門は風水学的に火災を防止する盾として建てられ、風水的にさまざまな補助装置をしたが、それ自体が火で焼けるとは全く考えていなかった」と話した。
興宣大院君(フンソンデウォングン、朝鮮時代末期の王族・政治家)は景福宮を復元するにあたって光化門の前にヘテ像を一対置いた。火を食べるという想像上の動物であるヘテは冠岳山の頂上を眺め、火をつかんで飲み込むような形をしている。興宣大院君もやはり無学大師が主張した冠岳山の火気を防ぐためにヘテ像を置いたことで知られている。
◇ヘテ像を移したのが火災の原因?=崇礼門の火災をめぐって風水学界の一部ではさまざまな主張が飛び出している。そのうち代表的なものが光化門の前に置かれていたヘテ像の移転だ。このヘテ像はソウルの大火災を防止する守護神として役割を果たしてきたが、光化門復元工事で移転したためにこのような惨事が起きたという説だ。
文化財庁は昨年6月から光化門(クァンファムン)復元工事を行っており、ヘテ像を包装し、景福宮内の保管場所に一時移転させた。文化財庁は来年に工事が終わればヘテ像を光化門前の元の位置に立たせる計画だ。
これについて、チョン・ハンス韓国風水地理研究院院長は「南から来る火気を防ぐために先祖たちは風水的な知恵をさまざまなところで発揮した」と説明し「しかし風水地理的なことをあまり拡大解釈することは望ましくない」と話している。
鄭鍾秀課長も「風水を後付けするようにある現象に結びつけたり飛躍させたりしてはいけない」と指摘した。
40分…消防防災庁が「火を消すために崇礼門の一部を壊してもかまわない」という文化財庁の協力をもらうのにかかった時間。消防署員らは火災の初期に「損傷を防ぐため慎重に火を消してくれ」という文化財庁の要請により40分間、水だけを放水する消極的な消火をしていた。
◇ヘテ=風貌が獅子に似ており、頭に角が一本ある伝説上の動物。善悪を見分けるという力を持ち、朝鮮時代の司法府である司憲府(サホンブ)の象徴として使われた。現在、国会議事堂と大検察庁にヘテ像が立てられている。また火災や災難をはね除けるという俗説があり、興宣大院君は光化門の前に2つのヘテ石像を立てた。
「崇礼門はそれそのものが冠岳山の火気を防ぐために立てられた。火災を防止するために建てられた崇礼門を火災で失ったのだ」--。
友石(ウソク)大学のキム・ドゥギュ教授は風水地理学的でも深い意味をもった崇礼門の焼失を惜しんだ。
朝鮮王朝は宮廷や都を定める際に風水の地理を重視した。王朝を創建する際には宮廷(景福宮・キョンボックン)の位置をめぐって論争が起きた。無学大師(ムハクデサ、高麗時代末期から朝鮮時代初期に朝鮮王朝最初の王である太祖に仕えた僧侶)は、漢江(ハンガン)の南から来る火気を防ぐなら宮廷を東に建てなければならないと主張した。しかし鄭道伝(チョン・ドジョン、高麗時代末期から朝鮮時代初期の学者、政治家)は「中国の帝王は皆、南向きに宮廷を立てた」と主張し、宮廷を南向きに建てることに固執した。
結局、景福宮は鄭道伝の意見を受け入れて南向きに建てられることになった。しかし朝鮮王朝は岩でできた山(冠岳、仁王・道峰山)から発生する火気を防ぐために風水的な装置を都のあちこちに設置した。
その代表的なものが崇礼門だった。
◇火気が襲う街の要所に=風水地理学者らは崇礼門が冠岳山の火気が漢江を越えてくるのを防ぐため、気の通り道となる位置に設置したとみている。
崇礼門の扁額を縦にしたのも正宮の景福宮と都城の火災を防止するための意味がこめられている。崇礼門の漢字を縦に見るとまるで火花が燃え上がっているような形をしている。「火は火で防ぐ」という風水の理論によるものだったという。また崇礼門前には南池(ナムジ)という池を掘った。現在、南大門(ナムデムン)からソウル駅の方向に彫った小さな池だが、これもやはり火気を抑えるという意味がある。
朝鮮王朝は崇礼門から光化門までの道もまっすぐに作らなかった。鐘閣(チョンガク)と鍾路(チョンロ)を経て遠回りする道を作った。道をまっすぐに造った場合、崇礼門を越えた火気が景福宮にすぐに影響を及ぼすことを心配したからだという。
国立民俗博物館鄭鍾秀(チョン・ジョンス)遺物課科学課長は「崇礼門は風水学的に火災を防止する盾として建てられ、風水的にさまざまな補助装置をしたが、それ自体が火で焼けるとは全く考えていなかった」と話した。
興宣大院君(フンソンデウォングン、朝鮮時代末期の王族・政治家)は景福宮を復元するにあたって光化門の前にヘテ像を一対置いた。火を食べるという想像上の動物であるヘテは冠岳山の頂上を眺め、火をつかんで飲み込むような形をしている。興宣大院君もやはり無学大師が主張した冠岳山の火気を防ぐためにヘテ像を置いたことで知られている。
◇ヘテ像を移したのが火災の原因?=崇礼門の火災をめぐって風水学界の一部ではさまざまな主張が飛び出している。そのうち代表的なものが光化門の前に置かれていたヘテ像の移転だ。このヘテ像はソウルの大火災を防止する守護神として役割を果たしてきたが、光化門復元工事で移転したためにこのような惨事が起きたという説だ。
文化財庁は昨年6月から光化門(クァンファムン)復元工事を行っており、ヘテ像を包装し、景福宮内の保管場所に一時移転させた。文化財庁は来年に工事が終わればヘテ像を光化門前の元の位置に立たせる計画だ。
これについて、チョン・ハンス韓国風水地理研究院院長は「南から来る火気を防ぐために先祖たちは風水的な知恵をさまざまなところで発揮した」と説明し「しかし風水地理的なことをあまり拡大解釈することは望ましくない」と話している。
鄭鍾秀課長も「風水を後付けするようにある現象に結びつけたり飛躍させたりしてはいけない」と指摘した。
40分…消防防災庁が「火を消すために崇礼門の一部を壊してもかまわない」という文化財庁の協力をもらうのにかかった時間。消防署員らは火災の初期に「損傷を防ぐため慎重に火を消してくれ」という文化財庁の要請により40分間、水だけを放水する消極的な消火をしていた。
◇ヘテ=風貌が獅子に似ており、頭に角が一本ある伝説上の動物。善悪を見分けるという力を持ち、朝鮮時代の司法府である司憲府(サホンブ)の象徴として使われた。現在、国会議事堂と大検察庁にヘテ像が立てられている。また火災や災難をはね除けるという俗説があり、興宣大院君は光化門の前に2つのヘテ石像を立てた。
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