6月30日、韓国国立中央博物館の特別展「私たちの食卓」開幕式で、兪弘濬(ユ・ホンジュン)館長(左)が遺墨「一飯是國恩」を説明している。この遺墨は当時、独立運動家の朴源根(パク・ウォングン)の書として紹介されたが、同姓同名の親日派の作品である可能性が浮上し、公開から約1カ月後の8月10日に撤去された。カン・ヘラン記者
国立中央博物館は7日、報道資料を出し、「特別展『私たちの食卓』に展示していた『一飯是國恩』の遺墨は、親日反民族行為者の朴重陽(パク・チュンヤン、1874~1959)のものだとの結論を下した」と明らかにした。「一飯是國恩」は「一杯の飯もすべて国の恩である」という意味で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に最初に僧兵を決起させた霊圭(ヨンギュ)大師(?~1592)が語った言葉として知られている。
「韓人 朴源根」と記された掛け軸形式の遺墨で、博物館側はこれを個人所蔵家から借りた独立運動家・朴源根の書として紹介した。遺墨が展示されていることを遅れて知った遺族が作品の前でひざまずいてむせび泣く写真が公開され、関心を集めたこともあった。
しかし、展示から約1カ月後の8月10日、「朴源根」という名前は朴重陽が過去に使っていた名前だとの情報提供があり、博物館側は検証するため遅ればせながら展示品を撤去した。続いて書道・近現代史・古文献・保存科学分野の専門家7人を諮問委員に委嘱して多角的に検証した結果、朴重陽が日本留学時代に残した書だと最終判断した。
博物館側は「『一飯是國恩』と朴重陽の筆跡を照合した結果、筆画の処理方法に類似した特徴が確認され、朴重陽の筆跡とみても無理はないと判断される」と説明した。特に作品に残された印章のうち、冒頭部分に押す頭印(引首印)には、1932年末に書家の金台錫(キム・テソク、1874~1951)が朴重陽のために彫ったとされる印章の文字と一致する内容が確認された。
遺墨に記された「韓人」という表現は、大韓帝国時代に日本へ留学した学生や訪問者が外国人、すなわち日本人を前に国籍を明らかにする際に使った言葉だと博物館は説明した。
博物館側は「朴重陽は大韓帝国期の1896年から1903年まで日本に留学していたことが確認されている」とし、「『韓人』という表現を使った時期や状況と一致する」と付け加えた。
「一飯是國恩」の遺墨と似た書体や印章が残る朴源根の作品も複数確認され、この中には日本人のために書いたものもあったという。博物館側は「地下組織での活動などにより何度も投獄された独立運動家の朴源根が、海外で流通するほど複数の書の遺墨を残し、日本人のために揮毫したというのは彼の人生の軌跡とはかけ離れており、これは親日反民族行為者の朴重陽の遺墨であることを裏付けるものと判断される」と述べた。
博物館側は、韓国人の食文化の原型や歴史などを総合的に紹介する今回の展示で、食文化に関連するさまざまな言葉や文学的表現の一つとしてこの遺墨を展示したという。これに先立ち、この遺墨が競売に出品された際にも独立運動家・朴源根のものとして紹介されており、博物館独自の事前検証が不十分だったものとみられる。
博物館は「朴源根志士の遺族に調査の経緯と結果を説明し、改めて謝罪する予定」とし、「類似の事例が再発しないよう事前検証を強化する」と明らかにした。近現代史分野の専門家への諮問なども拡大すると付け加えた。
兪弘濬(ユ・ホンジュン)館長は「歴史的人物について正確な事実確認を行うことは、博物館が国民に対して守るべき最も基本的な責務だが、その点が不十分だった」と改めて謝罪した。そのうえで「遺族と国民の皆さまに改めて申し訳ない気持ちをお伝えし、今後は展示品の検証手続きをさらに強化して同じことが繰り返されないようにしたい」と述べた。
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