17日、北京人民大会堂で開かれた江沢民生誕100周年記念大会に出席した温家宝前首相(右)と張徳江前全国人民代表大会常務委員長(左)が習近平中国国家主席の演説を聞いている。[写真 フェニックステレビ キャプチャー]
この日は江沢民記念硬貨と記念切手も発行された。特に記念切手は1.2元切手2枚と6元の小型シート1種類で構成された。この形式は1993年の毛沢東生誕100周年記念切手、2004年の鄧小平生誕100周年記念切手と同じ規格だ。100周年大会を開催した周恩来(1998年)、劉少奇(1998年)、朱徳(1986年)、陳雲(2005年)は小型シートなしで記念切手だけを発行した。
党機関紙の人民日報はこれに先立ち16日、江沢民氏の業績を盛り込んだ6500字余りの長文記事を掲載し、「二つの擁護を達成せよ」として習主席への忠誠を求めた。特に10月に開かれる第20期中央委員会第5回全体会議(5中全会)を意識し、いわゆる「習近平党建設思想」を深く研究し実践しようとも付け加えた。
中国第3世代指導部の核心と評価される江沢民氏は、生前、現代中国の政治構造に少なからぬ遺産を残した。まず、人数が一定していなかった政治局常務委員制度を7人体制として定着させた。後任の胡錦濤政権時代には9人体制で運営されたが、習近平政権発足後、再び江沢民氏が確立した7人体制に戻った。また、毛沢東と鄧小平の執権期を通じて党主席、国家主席、軍事委員会主席が分散していたことで生じていた混乱に終止符を打った。
江沢民氏は1989年6月の第13期中央委員会第4回全体会議(4中全会)で党権を、11月の5中全会で軍権を掌握した後、1993年3月には国家主席まで兼任する、いわゆる「三位一体」体制を確立し、指導部の混乱を防いだ。
劉少奇、林彪、胡耀邦、趙紫陽まで流血の粛清や密室での談合によって決められていた最高指導者の交代に終止符を打ち、平和的な政権移譲の最初の事例を作ったのも江沢民氏だった。2002年の第16回党大会では、67歳は政治局常務委員に留任し、68歳は退任するという「七上八下」の不文律を作った。これは2022年の第20回党大会で習近平氏によって破られた。
上海市党委員会書記がやがて政治局常務委員に昇進する「上海幇(上海派)」の台頭も江沢民政治の遺産だ。ただ、2022年に中国東北部出身の陳吉寧・現上海市党委員会書記が就任したことで、上海出身者が独占していた上海幇の時代も変化を迎えている。
江沢民氏、毛沢東・鄧小平と同格に格上げ…「死せる江沢民で生ける習近平を輝かせる」(1)
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