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<創刊企画「大韓民国トリガー60」⑦>規制緩和をするかわりに資金を与え、干渉はしなかったが…韓国映画、世界を飲み込んだ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

映画・ドラマ・歌謡などKコンテンツが驚くほどの勢いを見せている。地球村大衆文化のメインストリームを形成している。映画『パラサイト 半地下の家族』で2020年作品・監督賞などアカデミー賞4冠を席巻した韓国のポン・ジュノ監督。[写真 ロイター=聯合ニュース]

◇大韓民国「トリガー60」⑦Kムービー・ドラマのパワー

ポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』(以下、『パラサイト』」)が2日、米国ニューヨーク・タイムズが選ぶ「21世紀最高の映画」1位に入った。一般観客はもちろんのこと映画専門家までもが「サムズアップ」した。5年前、アカデミー賞作品・脚本賞など4冠に輝き、韓国映画史を新たに書き直したことが昨日のようだ。


ファン・ドンヒョク監督のNetflix(ネットフリックス)ドラマ『イカゲーム』はどうだろうか。


6月27日に公開された「シーズン3」が93カ国で1位を占めて「シーズン2」の従来の記録(92カ国)を塗り替えた。『パラサイト』と同じように両極化社会に対する批判とユーモアが世界の人々の共感を集めた。このようにKムービー(韓国映画)、Kドラマ(韓国ドラマ)は近頃、地球村大衆文化のメインストリームを導いている。わずか10年余り前には想像すらできなかったことだ。

フィルムを少し前に巻き戻してみよう。1999年6月24日、ソウル光化門(クァンファムン)東亜免税店前に映画関係者300人余りが集結した。韓国映画の義務上映日数(1年のうち146日)のスクリーンクオータ(割当)制を減らせば「(韓国映画の中心地である)忠武路(チュンムロ)は干上がってしまう」と絶叫した。金大中(キム・デジュン)政府執権1年目の時だった。当時、劇場街はちょうどマルチプレックスがオープンした時だった。CGV1号店の江辺(カンビョン)CGVが1998年4月4日にオープンし、ここで初めて上映されたのはキム・ジウン監督の『クワイエット・ファミリー』だった。翌年、カン・チェギュ監督の『シュリ』が観客200万人を動員して“ジャックポット”を炸裂させて忠武路のルネサンスを予告した。

韓国政府はちょうど米国と韓米通商協定を交渉中だった。米国映画協会のジャック・バレンティ会長が数回、お忍びで訪韓した。バレンティ氏はハリウッドのエドガー・フーバー(50年間8人の大統領のもとで米FBI局長を務め、「できないことは何もない」と言われた人物)だった。映画界は緊急事態となった。まさか金大中大統領が「裏切る」のではないかと緊張が走った。その後、スクリーンクオータ制は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時に事実上廃止された(2006年73日に縮小)。2007年最終妥結した米国との自由貿易協定(FTA)が映画界の将来を分けた。

1999年デモで林権沢(イム・グォンテク)監督は断髪した。今は故人となった女優カン・スヨン、現在がん闘病中のアン・ソンギらは黒い喪服姿だった。当時イ・チャンドン監督が「オーダー」を出せば俳優ムン・ソングンが電話をかけ、俳優ミョン・ゲナムが動いた様子が思い出される。ムン・ソングンが受話器に当ててこう言った。「(パク・)ジュンフンよ。今回はお前さんが前の列に立たないとダメかもしれない。ソンギさんと一緒に立って行進すればいい」

どうだろう。『伝説の故郷』(1990年代後半、伝説を題材にした韓国のドラマシリーズ)のように聞こえないだろうか。最近は「スクリーンクオータ制」という単語を口にする人はほとんどいない。韓国映画の競争力が高まり、あえてクオータ制を適用する理由がなくなった。ポン・ジュノ監督の名言のように、韓国映画は今「字幕、その1インチの障壁」を越えて世界へと羽ばたいている。

◇韓国映画の柱を磨いたシン・サンオク-キム・ギヨン監督

事実、韓国映画は立ち止まったことがなかった。解放以降、貧困と戦争で汚された時も人々は映画を見た。産業の歴史は浅かったが、人々は以前から映画がヒーリング役を果たす存在であることを認識していた。ハン・ヒョンモ監督が『自由夫人』(1956)で見せた韓国映画史上初のキスシーンが今ではむしろ新しい。1960~70年代には1年に200本の長編映画が量産された。韓国映画中興の主役であるシン・サンオク、イ・マンヒ、キム・スヨン、キム・ギヨンら傑出した監督が次々と誕生した。彼ら第1世代の芸術魂がなかったなら、イ・チャンドンもホン・サンスも、そしてパク・チャヌクやポン・ジュノも成長することはできなかっただろう。

ニューヨーク・タイムズの「21世紀の映画」に『オールドボーイ』(専門家43人、一般人40人)を入れたパク・チャヌク監督も世界映画界で特別な位置を占めている。フランス人が「エッフェル塔を差し出しても、エミール・ゾラだけは差し出せない」と言って崇拝する彼の原作小説『テレーズ・ラカン』を2009年ヴァンパイアバージョンの、破格的な作品である『渇き』に変身させて同年カンヌ映画祭審査委員賞を受賞した。当時フランスメディアは「パク・チャヌクと韓国映画の特徴はまさにこのような独創性(uniqueness)にある」と賞賛した。“ハリウッド・キッズ”に留まっていた韓国映画の作家たちがオリジナルの芸術世界を構築したことを見せた象徴的モメンタムだった。

韓国映画革新の原動力は開放と競争だ。スクリーンクオータ制の縮小に伴う危機意識がコンテンツ競争力を引き上げた。CJ・ロッテなど大企業の映画界進入も産業的基盤を揺るぎないものにした。韓国映画の成功は概して金大中元大統領に借りがある。実際、金大統領自身が大の映画好きだった。1997年第15代大統領選挙を控えてどのような映画が好きかという質問を受けた時、彼は比較的近作である『成功時代』(1988)を挙げた。対抗馬だった李会昌(イ・フェチャン)は『ベン・ハー』(1959)を挙げた。

金大統領の貢献はひとまず「量的緩和」だった。「支援はするが干渉はしない」というスローガンで当時では3000億ウォン(現レートで約320億円)という莫大ファンドを大衆文化に投入した。それもIMF金融危機の時だ。1996年野党である平和民主党代表時代には憲法裁判所の「すべての検閲は違憲」という判決を引き出すために主要な役割を果たし、大統領就任後は映画振興法を改正して映画振興委員会を作って映画界全般の基礎体力を育てた。

Kムービーの決定的な転換点は日本大衆文化の段階的開放(1998年~2003年)だ。開放の歴史がKカルチャー歴史の足がかりでもあったといえる。映画界はこの時から逆説的に海外に出て行くようになった。韓国市場に安住せず、日本、さらには欧州・米国と同等の競争をしなければならなかった。イ・チャンドンやホン・サンス、パク・チャヌク、キム・ギドク、ポン・ジュノらワールドクラスの監督が次々と誕生した。

◇世界最高水準の自国映画市場シェア

現在、韓国のスクリーン数は2700ほどだ。パンデミック前と比べると大きく萎縮した。2019年以前は3200で維持され、年間平均観覧回数は4.3回で世界最高水準だった。総観客数は2億人で自国市場シェアは40%台を記録した。しかしコロナ禍の津波が襲った。2024年総観客数は1億2300万人まで減った。年平均観覧回数2.4回、市場シェアは36%台に落ちた。それでも、依然とハリウッドに対する韓国映画の競争力は高く維持されているといえる。他の国々が韓国の映画界をロールモデルとしようとする理由だ。例えばオーストラリアは4%、カナダは7%、ブラジルは9%水準だ。

先月中旬、サンパウロで開かれたブラジル・韓国映画祭に行ってきた。現地映画関係者は驚いたことに韓国のスクリーンクオータ制度を研究していた。ブラジル・ユニシノス大学動画製作科のジョスマール教授らブラジル映画学者は韓国のスクリーンクオータ制度、金大中政府の映画政策などを主題にした論文を次々と出していた。Kムービーはもちろん、関連政策にも視線を転じていた。

現在、韓国映画界は深い沼に落ちた状態だ。コロナ禍の衝撃からまだ完全に抜け出しきれておらず、Netflix(ネットフリックス)などOTTの躍進で映画消費の様相もすっかり様変わりした。だが、Kドラマは相変らず驚くべき躍進を続けている。『イカゲーム』『おつかれさま』などの相次ぐヒットは今やニュースの種にもならないほどだ。監督・俳優など映画とドラマの人的交流も活発だ。映画産業の規模と質、現況と未来はOTTなど新興メディアとの融合、映画とドラマを包括するコンテンツ産業全体から眺望しなければならないという話が説得力を持つ。金大中時代の古い映画法は新たな融合型法案として再整備しなければならず、しかも推進を急がなくてはならないということだ。

『甘い人生』のキム・ジウン監督は2023年『蜘蛛の巣』で苦杯をなめた。全国で観客30万人を集めるのにとどまった。『蜘蛛の巣』は1960年代キム・ギヨンーシン・サンオク監督時代の物語だ。映画の中でキム監督(ソン・ガンホ扮)はシン監督(チョン・ウソン扮)の下で仕事を学ぶ。シン監督は撮影中に不慮の火災事故で他界する。新作の製作で疲れきったキム監督はついうとうとしてしまい、シン監督の幻影を見る。その時シン監督がこう言う。「ただやれ。誰が何を言おうと映画は最初に考えたようにやり抜くんだ」。

『蜘蛛の巣』は映画の時代が斜陽の危機の中でも、映画は最後に息を吹き返さなくてはならないという「映画の映画」だ。韓国映画は光復(解放)80年の栄光のように再び蘇り、新時代に向かって解放されるだろう。映画の中のシン監督の言葉通り「ただやる」のだ。そのようにして世界市場に向かってやり抜いていくのだ。

オ・ドンジン/映画評論家



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