ソウル歴史博物館の朝鮮通信使展示「心のつきあい、余韻が波のように」に寄与した辛基秀さんの娘の辛理華プロデューサー(左)と大阪歴史博物館の大沢研一館長。辛基秀さんは在日同胞史学者として朝鮮通信使の歴史を研究し世に知らせた。[写真 ソウル歴史博物館]
壬辰倭乱(文禄慶長の役)から200年余りにわたり朝鮮と日本の平和交流の象徴だった朝鮮通信使と関連した遺物111件128点が1カ所に集まった。ソウル歴史博物館が韓日国交正常化60周年に企画した特別展「心のつきあい、余韻が波のように」(6月29日まで)でだ。大阪歴史博物館など日本の8つの機関を含めた19の機関と個人の所蔵品による過去最大規模の朝鮮通信使展示だ。ユネスコ世界文化遺産「世界の記憶」に登録された遺物24件、日本指定文化財8件、韓国指定文化遺産4件など宝物級の遺物だけで32件に達する。
24日のメディア公開で展示を感慨深く見た2人がいる。在日同胞史学者として生涯にわたり朝鮮通信使の歴史を研究し資料を収集して世に知らせた辛基秀(シン・ギス)さん(1931~2002)の娘の辛理華(シン・イファ)プロデューサーと、2001年に141点の「辛基秀コレクション」を寄贈された大阪歴史博物館の大沢研一館長だ。今回の展示には「朝鮮通信御楼船図屏風」(18世紀)など辛基秀コレクション28点も紹介される。大沢館長は博物館の前身である大阪市立博物館の学芸研究家時代から辛基秀さんと親交を深め、1994年には独自に朝鮮通信使展を開いたりもした。大沢館長は、大阪歴史博物館だけでなく日本国内の主要遺物のほとんどが韓国にやってきて記念すべき年に展示が開かれ意味深いと話した。
日本の京都で生まれた辛基秀さんは江戸時代(1603~1867)からの韓日関係を研究し、特に1607年から1811年に12回にわたった朝鮮通信使使臣行次を深く掘り下げた。彼の20冊以上の著書と5本の記録映画のうち、『江戸時代の朝鮮通信使』(1979年)は記念碑的ドキュメンタリーに挙げられる。京都・東山の泉涌寺には7回訪れて懇願の末に同寺に所蔵された「朝鮮通信使歓待図屏風」をカメラに収めた。1655年の第6回使臣行次の際に将軍の命令により製作されたこの屏風1組は通信使の壮大な行列などが描かれた力作だ(5月25日まで展示)。
朝鮮通信使が訪問するたびに江戸幕府は当時の日本の農業生産の約3%に相当する金100万両を注ぎ込んで歓待し、使節の行列は日本人の間でも話題になった。これを日本人の視点で描いた大型巻き物記録画「朝鮮通信使登城行列図巻」には江戸時代の市民の好奇心あふれた表情がリアルに描かれた。絵の中には漫画のせりふのように「食べ物がおいしくて帰国する時には見違えるほど太ったそうだ」などという市民の反応も書かれている。
辛プロデューサーは「父の言葉のように、韓日関係は良い日も悪い日もあるだろうが過去にはこのように仲が良かった時期があったということを知れば両国関係が揺らいだ時に役に立つだろう」と話した。ソウル歴史博物館のオ・ジヨン学芸研究家は「通信使は外交から始まり個人間のきずなに拡張され、文化の裾野に深い痕跡を残して韓流の原動力になった」と話した。
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