セウォル号惨事11周忌を2日後に控えた14日、全羅南道珍島郡(チョルラナムド・チンドグン)の彭木(ペンモク)港(現・珍島港)に追悼客の足が続いている。ファン・ヒギュ記者
セウォル号惨事11周忌を迎えた彭木港は歳月の流れの跡が歴然と残っていた。「忘れません」と書かれた黄色い旗は色褪せてほころびていた。事故海域を示す案内板は錆ついていて、文字はぼやけていた。
案内板の前で硬い表情で事故海域を見つめていたキム・ドンウォンさん(33・ソウル)は強風に吹かれながら5分以上その場に留まっていた。キムさんは「昨年の10周忌も来たが、今年も休みを取ってまた来た」とし「遺族たちに『まだ(セウォル号惨事を)忘れていない市民が1人、まだここにいる』と応援する気持ちで訪れることになった」と話した。
◇「あどけない生徒たちの写真見ると涙が込み上げてくる」
防波堤近隣の「彭木記憶館」にも追悼客がひっきりなしに訪れていた。コンテナで作られた彭木記憶館には犠牲者304人の遺影と追悼造形物が設置されている。追悼客は犠牲者の写真の前で頭を下げて黙祷した後、しばらく写真を眺めていたりした。
記憶館で涙を拭いて追悼メッセージを書いたユン・ユジンさん(51)は「同じ親の立場で犠牲者家族はまだ地獄のような生活を送っているのではないかと思うと心がとても痛む」と話した。
◇錆ついたセウォル号船体の前で「黙祷」
セウォル号の船体が据え置かれた全羅南道木浦(モクポ)新港にも追悼の足が続いた。この日、鉄条網の向こうに見えるセウォル号船体は錆ついていて、あちこちに結ばれた黄色いリボンは色褪せたまま風にはためいていた。船体を見つめる追悼客は頭を下げて犠牲者の魂を慰めた。
追悼客のパク・チャニャンさん(39)は「10年以上も過ぎたのに彭木港で犠牲者の顔を見て、木浦で船体を直接見ると胸がとても苦しい」とし「当時セウォル号船員の大部分が生き残り、人命救助をまともにしなかった事実に再び怒りが込み上げてくる」とした。
◇11年目の事故海域を訪れる遺族たち
セウォル号の遺族たちは惨事当日である16日、惨事海域を訪れて「船上追悼式」に出席する。午前7時ごろ、木浦海洋警察が準備した警備艦艇に乗って3時間航行し、「セウォル」と書かれた黄色い浮標が浮いている沈没地点へ向かう。船上追悼式は犠牲者の名前の呼称、黙祷・献花、惨事海域旋回の順に行われる。
その後、遺族は同日午後3時に「セウォル号惨事11周忌木浦記憶式」に出席する。セウォル号が置かれている木浦新港で開かれる記憶式は追悼公演や詩の朗唱などが行われる。毎年開かれる記憶式は、犠牲者を慰めて安全な社会をつくっていくことを心に刻む行事だ。記憶式には「務安(ムアン)チェジュ航空参事」遺族10人余りも出席する予定だ。
◇11周忌追悼行事、全国各地で開催
セウォル号惨事11周忌を迎えて全羅南道珍島や木浦をはじめ韓国各地で追悼行事も開かれる。セウォル号光州(クァンジュ)市民喪主会は12日、光州広域市東区5・18民主広場で犠牲者を追悼する市民合同焼香所を開いた。16日午後8時まで運営される焼香所では、献花・焼香とあわせて黄色いリボンに追悼メッセージなどを書くことができる。
京畿道安山(キョンギ・アンサン) の花郎(ファラン)遊園地では16日「セウォル号惨事11周忌記憶式」が行われ、仁川(インチョン)セウォル号一般人犠牲者追悼館横の広場で「一般人犠牲者11周忌追悼式」、ソウル市議会前セウォル号記憶空間で「市民記憶式」などの追悼行事が開催される。
◇「セウォル号惨事、総体的にずさん」
セウォル号は2014年4月16日仁川から済州(チェジュ)に向かっている途中、珍島近隣の海上で沈没し、全体乗船者476人のうち乗客304人が死亡・行方不明になった。乗客のうち京畿檀園(ダンウォン)高校2年生の生徒・教師261人が亡くなるか行方不明となった。
木浦地方海洋安全審判院(海審院)は昨年11月「旅客船セウォル号転覆事件」に対する裁決を通じてセウォル号の操舵装置の故障や復原力不足、過剰積載、船会社・船員の不適切な安全管理などを惨事原因と指摘した。裁決は行政審判機関である海審院が裁判所の判決のように船舶事故に対する審判請求事件に対して出す手続きだ。
海審院は裁決の結果により、当時イ・ジュンソク船長をはじめ航海士や機関士ら5人の免許を取り消した。また、機関士2人と航海士1人の業務を6カ月~1年間停止した。セウォル号の船会社である清海鎮(チョンヘジン)海運などに対しては是正命令を下した。清海鎮海運や関連者は今回の結論に従わず、中央海洋安全審判院で2審手続きが進められている。
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