30日(現地時間)、大地震で崩壊したミャンマー・ピンナマ地域の建物。イ・ドソン特派員
3日前にマグニチュード(M)7.7の強震が直撃した都市の風景は凄惨だった。大通りを懐中電灯で照らすと倒壊した建物と家屋が次々と目に入ってきた。生存者を探すための救助活動が続けられていたが、掘削機のような装備はほとんど見られなかった。周辺の住民たちが1人でも多く助けようと素手で残骸を除去する作業を続けていた。家族や知人を切なく探す声もあちこちから聞こえた。
住民のキャウさんは「大きな建物が全壊して救助が容易ではない」とし「地震は何度も経験したが、このように多くの人々が亡くなったりけがをしたりしたのは初めて」と話した。仏教国家ということで、相当数の住民は僧侶の安全から心配した。ある住民は「よりにもよって『パーリ試験』(経典試験)の日だったが、試験場の建物が倒壊して大勢の僧侶が亡くなったようだ」と涙声で話した。
モスクで礼拝を行っていたムスリムも大地震の犠牲となった。ミャンマー当局によると、全国のモスクのうち50カ所以上が地震の被害を受けた。ラマダン期間を迎えて祈祷のために集まった数百人が犠牲になったことが確認された。また、現地放送では「(マンダレーの)ウォンドゥウィン村にある衣類工場が崩壊して作業中だった職員は全員、がれきの下敷きになって埋まってしまった」と伝えた。
都心のあるアパートでは崩壊した建物の地下に閉じ込められていた30歳女性が30時間ぶりに救出された。だが、今もこのマンションに閉じ込められている行方不明者が90人を超えるという。
余震まで続いたせいで住民たちの不安は大きかった。建物の崩壊を恐れて野外に敷物だけを敷いてそこで寝ようとする人々が相当数いた。日中の気温が40度前後まで上昇するため、息が喉に詰まるほど夜の空気も熱かった。これに蚊の攻撃まで加わった。これを避けて蒸し風呂のような車の中で「車中泊」をするケースも少なくなかった。
「どれくらい亡くなったか分からない」…寺院も病院も崩壊、号泣のミャンマー(2)
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