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普段から「戦って死んでも思い残すことはない」…尹大統領のピント外れの自己確信

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

尹錫悦大統領が3日、大統領室庁舎で戒厳宣言関連の緊急ブリーフィングを行っている。尹大統領は、戒厳令宣言以降沈黙している。[写真 大統領室]

韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の「6時間の非常戒厳」の後遺症が政界を覆う中、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)やガーディアンなど海外有力メディアは尹大統領の行動を「無謀な賭け」と表現している。瞬間の行動で自身の大統領職を危うくしただけでなく、国全体を混乱に引きずり込んだためだ。

このような非合理的な行動に対して、与党圏からは「尹大統領の過去の発言を振り返ってみると、その背景を少し推し量ることができる」という言葉が聞かれる。複数の与党要人によると、尹大統領は当選した時期からたびたび強硬な発言を繰り返してきたという。尹大統領は任期序盤に「私は国を正しく立てるために大統領になった。5年間激しく戦う」としながら「私は戦って死ぬのだ。死んでも思い残すことはない」と話したという。国政運営に障害になる勢力とは妥協ではなく戦うという意志を示したのだ。

実際、尹大統領は執権後、政治的妥協とは距離を置いた。与党少数野党多数という状況でも巨大野党代表と会おうとせず、4・10総選挙で大敗した後、任期開始2年余りを迎えてようやく野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表と初めて会談を行った。どんなに憎かろうと話をしなければならない野党を国政のパートナーと見るのではなく、「敵対的反国家勢力とは協力政治が不可能」という言葉を何度も繰り返していた。


このような認識は3日の非常戒厳宣言当時の談話文にそのまま含まれている。尹大統領は当時、野党圏を狙って「国会は犯罪者集団の巣窟」「凶悪質を繰り返していた亡国の元凶、反国家勢力」という表現を使った。普通、北朝鮮が米国や韓国を非難する時に主に使用する語彙が含まれた。

尹大統領がこのように強硬化した背景として、政界では尹大統領と強硬右派との交流を挙げる。金振杓(キム・ジンピョ)元国会議長は6月に出版した自身の自叙伝で、2022年12月単独面談当時、梨泰院惨事に関連して「尹大統領が『事故が特定勢力によって操作された可能性も排除することはできない』と話した」と記した。

政界で「尹大統領が極右ユーチューブ(YouTube)を好んで見ている」という話が出回ると、鄭鎭碩(チョン・ジンソク)大統領首席補佐官が7月国会運営委員会で「尹大統領は現在必要以上にユーチューブに依存していない」と釈明した。だが、依然として複数の与党要人は「尹大統領が特定ユーチューブの視聴を薦めた」「尹大統領が特定ユーチューバーを愛好している」と話す。

今回の戒厳令事態の時も尹大統領が過激保守ユーチューブの影響を受けたのではないかと疑われる部分がある。戒厳宣言7分後に京畿道果川市(キョンギド・クァチョンシ)中央選挙管理委員会に戒厳軍が入ったのだ。選管委は普通戒厳状況で掌握すべき権力機関とは見なされない。これに関連し、尹大統領に非常戒厳を建議した金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官は「(戒厳軍の投入は)選管委不正選挙疑惑関連捜査の必要性を判断するため」とメディアに明らかにした。不正選挙疑惑は過激保守ユーチューバーの常連の素材だ。

尹大統領特有の性急な性格のため、合理的な助言をする側近や参謀が大統領の元を離れて自己強化されたという分析もある。与党圏では「尹大統領に報告しに行って顔が土色になって出てきた」という参謀のエピソードが非常に多い。検察時期から交流のある要人の中にも「尹大統領に助言して距離が遠のいた」と話す場合が少なくない。

尹大統領の強い性格は戒厳宣言前に開催された国務会議でも現れた。当時出席者によると、韓悳洙(ハン・ドクス)首相をはじめ複数の出席者が尹大統領を引き止めたが、尹大統領は結局これを押し切って戒厳令を宣言した。



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