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韓国佐渡金山遺族「日本、36年間苦痛与えておきながら…今回は本当に間違っていた」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

25日、新潟県佐渡島にある朝鮮人労働者宿舎だった「第四相愛寮」の跡地で、佐渡金山の遺族と朴喆熙(パク・チョルヒ)駐日大使が出席した中で、韓国側だけの別途追悼式が開かれた。遺族はこの日個別的に追悼時間を持った後、日帝強占期時期に強制動員された家族が働いた佐渡金山を訪問した。佐渡=キム・ヒョンイェ特派員

「日本が私たちを困らせた(日帝強占期)36年間、私たちの両親が連行されて苦痛を受けたでしょう。必ずその人たちの前で指摘したかったのに…」



日帝強占期間、父親が強制連行されて厳しい労働に苦しめられた新潟県佐渡金山で働いたという遺族のキム・グァンソンさん(82)は27日、中央日報の電話取材に対して「佐渡で言いたかったことが結局言えないまま帰ってきた」と話した。佐渡島はキムさんが生まれたところだったが、絶対に故郷にはなりえない場所だ。キムさんの父親は過酷な環境で採掘に従事し、坑内粉塵で肺がやられ、家族も生涯苦痛をともにした。


キムさんをはじめ佐渡金山韓国人被害者の遺族9人は日本の誠意ある追悼式を期待して23日、佐渡島へ向かった。キムさんの50代娘も祖父の痕跡を求めて4日間キムさんと同行したという。

しかし、日本が7月佐渡金山の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録当時の合意精神を守らず、追悼式は韓日が分かれたままそれぞれ「半分」で執り行われた。遺族は望んだ日本の強制性に対する認定や謝罪を聞くことができなかった。キムさんは電話越しに「今回は本当に日本が間違っていた」という言葉を何度も繰り返した。次は一問一答。

--遺族側は追悼式がなぜこのような形になったと聞いたか。

「最後の瞬間に韓日間で調整できなかったと聞いた。日本がまるで追悼式を『文化行事』のように進めようとしたという。そのため私たちも『そうするべきではない。私たちは参加できない。それなら自分たちでやろう』と言った。どうせここまで来たのだからということで、私たちだけでも集まって追悼式をすることになったと理解している」

これに先立ち、韓国は23日、日本が主催する「佐渡島の金山 追悼式」を翌日に控えて電撃不参加を宣言した。日本はこの日、第2次世界大戦A級戦犯が合祀された靖国神社に参拝したことがあると報道された生稲晃子外務政務官(次官級)を政府代表として派遣すると通知した。加えて、韓国に終盤に共有した追悼の辞には朝鮮人動員および労働の強制性を認める部分や謝罪の表現が全く入っていなかった。

日本は韓国が抜けた追悼式の式次から結局「追悼の辞」を外して「あいさつ」に代えた。キムさんが日本の追悼式を追悼式ではない「文化行事」のように執り行おうとしたと表現した理由だ。

--もともとどのような気持ちで佐渡島へ向かったか。

「私も父が佐渡金山で石を採掘する作業をしながらお金を儲けている間、そこで生まれた。もう一度戻って日本の過ちを指摘したかった。日本は私たちを36年間困らせ、私たちの両親がそこで苦痛を受けた。しかし、結局正しい反省はなく、これは何だと思った」


韓国佐渡金山遺族「日本、36年間苦痛与えておきながら…今回は本当に間違っていた」(2)

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