英国の社会学者エリス・キャシュモアは人々がスポーツに熱狂する理由に次の3つを挙げた。生活があまりにも退屈か、過度に礼儀正しいか、あまりにも安全かだ。
計算の可能性ばかりを前面に出す官僚制のお決まりの規制に息が詰まったり、飲酒・喫煙など自発的に受け入れる「生活様式の危険(lifestyle risks)」とは別の不確実性や本能または情熱に基づいた生活を夢見る時、人々はスポーツを求めるということだ。キャシュモアはワールドカップ(W杯)についても次のように話した。
「やたらと大きな年俸を受ける11人がパンパンに空気を入れたボールを7.2メートルのライン(ゴール両ポスト間の距離)向こう側に送る競技。そのようなチームが5週間に行う64試合を37億人が視聴する大会」 (ハンウルアカデミー、『スポーツ、その熱狂の社会学』)。
こうしたサッカーが最近、国民に新しい見どころを提供している。24日の国会文化体育観光委員会の懸案質疑がそうだった。観客とテレビ中継は変わりなく、攻守の人物の面々が新しかった。攻撃は文化観光委所属の国会議員、守備は鄭夢奎(チョン・モンギュ)大韓サッカー協会会長など執行部と国家代表監督を引き受けたことで標的となった洪明甫(ホン・ミョンボ)氏らサッカー人だった。
大きな声と激しい追及が続き、涙ぐむ人もいた。融資不正と選挙法違反容疑で在宅起訴された野党議員までが声を高める場面は見苦しかった。
争点は大きく2つある。孫興慜(ソン・フンミン)・李康仁(イ・ガンイン)などワールドクラスの選手がいながらも相応の成績を出せなかったサッカー代表チームの監督に洪明甫(ホン・ミョンボ)蔚山(ウルサン)HD監督を座らせたのが果たして公正だったか。そのような人事の背後である鄭夢奎会長は退くべきではないのか。
ところが、あるサッカー協会の関係者が言うように、どのフレームで接近するかによって事態の真相はそれぞれ異なるようだ。問題識別段階から考えが異なれば、解決法も差が生じるしかない。
<1>批判者のフレーム=低い成績でなくとも「幽体離脱」話法で公憤を買った前任のクリンスマン代表監督はサッカー協会の鄭会長との親密な関係による「情実人事」の結果とみられる。2021年に3選に成功した鄭会長は、従来は国家代表監督選任委員会で選定された代表監督を理事会で選任するよう関連規定を変えた。理事会には鄭会長の影響力が及ぶ。変わった規定に基づき理事会が昨年2月にクリンスマン監督を選任し、その後任として7月に洪明甫(ホン・ミョンボ)監督を選んだ。特にサッカー協会は6月、監督候補群を圧縮して理事会に推薦する戦力強化委員会(強化委)の鄭海成(チョン・へソン)委員長が突然辞表を出すと、強化委の業務といかなる関連もない李林生(イ・イムセン)技術発展委員長に最終選任作業を任せた。洪監督の選任に学閥が作用したという声も出ている。鄭会長だけでなく洪監督、李委員長が共に高麗大出身だ。
<2>あるサッカー協会関係者のフレーム=国家代表監督の選任過程は秘密にするのが国際慣例だ。ところが強化委の会議はその内容が繰り返し外部に漏れた。委員らが大きな問題だ。李林生委員長は強化委の監督推薦過程に介入したのではない。強化委の役割は第10回会議(6月21日)で監督候補群を3人に圧縮して理事会に推薦することで終わった。その後、李委員長が洪明甫蔚山HD監督を説得して代表監督を任せたのは、強化委ではなく協会の仕事をしたのだ。サッカー協会が監督選任権を理事会に移したのも、強化委など分科委員会は諮問の役割だけをさせる通常の組織変更にすぎなかった。
<3>外部の視線=在日韓国人3世の慎武宏(シン・ムグァン)サッカーコラムニストは国際電話でこのように話した。「いま韓国で生じていることは度が過ぎるようだ。政治がスポーツに過度に介入するように映り、印象がよくなかった。短い時間に収集して検証されてもいない資料に基づいて国会議員らがサッカー人に無差別的に質問を投じる場面はあたかもいじめ行為のようだった」。
慎氏によると、日本代表の監督は技術委員会が選ぶ。慎氏は監督選任過程も秘密が保障されなければならないという立場だった。
キャシュモアは大きな楽しみを与える制度として済ませるにはスポーツの政治・経済的重要性があまりにも大きくなったと話した。それでも国民の透明な監視の下で、代表監督選任手続きから練習内容や方向まで承認を受けなければいけないのだろうか。
政府の監査が進行中であるだけに鄭会長が責任を取ることがあれば取ればよい。執行部の交代に関係なくサッカー発展長期計画を揺らぐことなく実践していくシステムの用意にサッカー人が取り組まなければいけない。
シン・ジュンボン/論説委員
計算の可能性ばかりを前面に出す官僚制のお決まりの規制に息が詰まったり、飲酒・喫煙など自発的に受け入れる「生活様式の危険(lifestyle risks)」とは別の不確実性や本能または情熱に基づいた生活を夢見る時、人々はスポーツを求めるということだ。キャシュモアはワールドカップ(W杯)についても次のように話した。
「やたらと大きな年俸を受ける11人がパンパンに空気を入れたボールを7.2メートルのライン(ゴール両ポスト間の距離)向こう側に送る競技。そのようなチームが5週間に行う64試合を37億人が視聴する大会」 (ハンウルアカデミー、『スポーツ、その熱狂の社会学』)。
こうしたサッカーが最近、国民に新しい見どころを提供している。24日の国会文化体育観光委員会の懸案質疑がそうだった。観客とテレビ中継は変わりなく、攻守の人物の面々が新しかった。攻撃は文化観光委所属の国会議員、守備は鄭夢奎(チョン・モンギュ)大韓サッカー協会会長など執行部と国家代表監督を引き受けたことで標的となった洪明甫(ホン・ミョンボ)氏らサッカー人だった。
大きな声と激しい追及が続き、涙ぐむ人もいた。融資不正と選挙法違反容疑で在宅起訴された野党議員までが声を高める場面は見苦しかった。
争点は大きく2つある。孫興慜(ソン・フンミン)・李康仁(イ・ガンイン)などワールドクラスの選手がいながらも相応の成績を出せなかったサッカー代表チームの監督に洪明甫(ホン・ミョンボ)蔚山(ウルサン)HD監督を座らせたのが果たして公正だったか。そのような人事の背後である鄭夢奎会長は退くべきではないのか。
ところが、あるサッカー協会の関係者が言うように、どのフレームで接近するかによって事態の真相はそれぞれ異なるようだ。問題識別段階から考えが異なれば、解決法も差が生じるしかない。
<1>批判者のフレーム=低い成績でなくとも「幽体離脱」話法で公憤を買った前任のクリンスマン代表監督はサッカー協会の鄭会長との親密な関係による「情実人事」の結果とみられる。2021年に3選に成功した鄭会長は、従来は国家代表監督選任委員会で選定された代表監督を理事会で選任するよう関連規定を変えた。理事会には鄭会長の影響力が及ぶ。変わった規定に基づき理事会が昨年2月にクリンスマン監督を選任し、その後任として7月に洪明甫(ホン・ミョンボ)監督を選んだ。特にサッカー協会は6月、監督候補群を圧縮して理事会に推薦する戦力強化委員会(強化委)の鄭海成(チョン・へソン)委員長が突然辞表を出すと、強化委の業務といかなる関連もない李林生(イ・イムセン)技術発展委員長に最終選任作業を任せた。洪監督の選任に学閥が作用したという声も出ている。鄭会長だけでなく洪監督、李委員長が共に高麗大出身だ。
<2>あるサッカー協会関係者のフレーム=国家代表監督の選任過程は秘密にするのが国際慣例だ。ところが強化委の会議はその内容が繰り返し外部に漏れた。委員らが大きな問題だ。李林生委員長は強化委の監督推薦過程に介入したのではない。強化委の役割は第10回会議(6月21日)で監督候補群を3人に圧縮して理事会に推薦することで終わった。その後、李委員長が洪明甫蔚山HD監督を説得して代表監督を任せたのは、強化委ではなく協会の仕事をしたのだ。サッカー協会が監督選任権を理事会に移したのも、強化委など分科委員会は諮問の役割だけをさせる通常の組織変更にすぎなかった。
<3>外部の視線=在日韓国人3世の慎武宏(シン・ムグァン)サッカーコラムニストは国際電話でこのように話した。「いま韓国で生じていることは度が過ぎるようだ。政治がスポーツに過度に介入するように映り、印象がよくなかった。短い時間に収集して検証されてもいない資料に基づいて国会議員らがサッカー人に無差別的に質問を投じる場面はあたかもいじめ行為のようだった」。
慎氏によると、日本代表の監督は技術委員会が選ぶ。慎氏は監督選任過程も秘密が保障されなければならないという立場だった。
キャシュモアは大きな楽しみを与える制度として済ませるにはスポーツの政治・経済的重要性があまりにも大きくなったと話した。それでも国民の透明な監視の下で、代表監督選任手続きから練習内容や方向まで承認を受けなければいけないのだろうか。
政府の監査が進行中であるだけに鄭会長が責任を取ることがあれば取ればよい。執行部の交代に関係なくサッカー発展長期計画を揺らぐことなく実践していくシステムの用意にサッカー人が取り組まなければいけない。
シン・ジュンボン/論説委員
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