日帝強占期を巡る今日の歴史論争は誤った歴史教育と誤った陣営対決の誤った複合産物だ。論争の核心は一言で日帝強占期の韓国人は果たして誰だったかという問題に帰結される。それはまた、その時代をどのように見るかという問題に直結する。論争の一つの焦点は当時の韓国人の国籍だ。国籍とはすなわち市民権のことだ。したがって国籍は決して形式論理ではない。ローマとユダヤまで遡る必要もなく、英国とインド、英国と植民地米国、フランスとアルジェリア、日帝下の満州、ドイツとフランス、ナチスとユダヤ人を見よ。すなわち、市民権の位階と種類はあまりにも多様だった。国籍は1枚の書類やパスポートの印鑑では決してない。
国籍あるいは市民権の差別と抑圧が存在する時、「あなたは誰か」という個人的・集団的アイデンティティを尋ねる質問に対する回答はたびたび死を覚悟しなくてはならない。国籍はすなわち特定国家の市民権、すなわち同じ市民・国民になる資格と所属を指すためだ。人類歴史で国家の国民、事実上の無国籍市民が多かった理由だ。
したがって共通の国籍あるいは市民権は、本質上、位階と差別の撤廃が最も重要な存在理由だ。安全と保護、権利と義務、自由と平等を必須要件とする近代市民権が臣民・居民・遊民(留民・流民)・族民・永住民・住民ではない市民・国民(になること)の資格と要件である理由だ。最も根本的な原則だ。もし韓国人であろうと誰であろうと、日本国家の国籍と市民権を持ったのであれば当然同じ市民や国民資格が与えられなければならない。
当時、韓国人は国籍の同一性に基づいて、日本人・日本国民と同じ権利と義務を享受していたか。何より強制併合にもかかわらず、日本の国籍法は当時韓国では実施されていなかった。韓国人に日本国籍(法)を適用する場合、韓国人の国籍離脱(第20条)を通した反日抵抗の可能性があったためだった。効率的な韓国人抑圧と統制のために日本国籍法を適用しないのだ。すなわち日本は併合以降も日本人と朝鮮人の法的身分を厳格に区別した。
韓国人は帝国の臣民だったが、日本人と同一に日本憲法および国籍法の適用を受ける国民では全くなかった。当時、日本国籍事項と国籍法(法律第66号)は日本憲法の委任法律(大日本帝国憲法第18条)だった。言葉では立憲国家・法治国家だったのに日本は韓国人に関する限り、憲法と法律を適用する代わりに慣習と条理に基づいた国籍取得と見なしたにすぎない。
戸籍も区別された。日本人(内地人)は内地戸籍に登載された反面、合併以後の朝鮮戸籍令(総督府令第154号)により朝鮮人は朝鮮戸籍に所属した。そして朝鮮人は内地(日本)戸籍に転籍できず、日本人も朝鮮戸籍に転籍できなかった。婚姻と養子縁組などを通した転籍だけが可能だった。「国籍」法は適用しないで「戸籍」令は別途作るほど、二つの市民権が厳格に区分されたのだ。
権利と義務は国籍とより一層かけ離れていた。日帝強占期、韓半島(朝鮮半島)居住者は参政権を行使できなかった。憲法と国籍法の適用を受ける国民であればありえない基本権剥奪だった。韓国は植民地と強占地に適用される参政権の2つの類型、すなわち「植民本国代表構成のための選挙権および被選挙権付与」や「植民・強占地域自らの代表構成のための参加権付与」のどれにも該当しなかった。韓国人の参政と自治に対する請願は拒否された。当時、熱血親日勢力が完全同化のために日本国民の待遇をしてほしいと請願したにもかかわらず、日本は許可しなかった。
また、韓国人は兵役法が適用されなかった。やはり国民に対する基本義務の強制免除だった。最初から徴兵検査対象者を日本戸籍法適用者に限定して朝鮮戸籍所属者は除いた(日本兵役法23条)。韓国人の徴兵制実施請願さえ拒否した。軍事知識や武器を備えた韓国人の抵抗が怖かったためだ。しかし軍国全体主義体制が最悪の方向に向かい、国籍法適用も受けない数多くの韓国人が徴兵と徴用で強制動員された。この時は兵役法改正、陸軍特別志願兵令、国家総動員法、国民徴用令の制定を通じてだった。憲法に基づいた基本的な国籍法は適用しないのに全体主義戦争遂行のための特別立法措置は適用された。
当時韓国人は国権は亡失されて日本の憲法と国籍法も適用されない、権利も義務もないいわゆる「非国民的国民」だった。理論的に韓国人は「国権のない国民」であり「主権ない国民」だった。
しかしより一層重要な点は日本強占と韓日関係のこのような特殊性でない。日本の韓国強占と「韓国人は日本国籍・国民だった」という主張こそ「常識」と「国際法」と「国際規範」の完全違反だ。常識と国際法に照らして日本の韓国強占は源泉無効だ。時効の完成も存在しない。そしてこの点がはるかに重要な本質を構成する。
パク・ミョンリム/延世(ヨンセ)大教授・政治学
国籍あるいは市民権の差別と抑圧が存在する時、「あなたは誰か」という個人的・集団的アイデンティティを尋ねる質問に対する回答はたびたび死を覚悟しなくてはならない。国籍はすなわち特定国家の市民権、すなわち同じ市民・国民になる資格と所属を指すためだ。人類歴史で国家の国民、事実上の無国籍市民が多かった理由だ。
したがって共通の国籍あるいは市民権は、本質上、位階と差別の撤廃が最も重要な存在理由だ。安全と保護、権利と義務、自由と平等を必須要件とする近代市民権が臣民・居民・遊民(留民・流民)・族民・永住民・住民ではない市民・国民(になること)の資格と要件である理由だ。最も根本的な原則だ。もし韓国人であろうと誰であろうと、日本国家の国籍と市民権を持ったのであれば当然同じ市民や国民資格が与えられなければならない。
当時、韓国人は国籍の同一性に基づいて、日本人・日本国民と同じ権利と義務を享受していたか。何より強制併合にもかかわらず、日本の国籍法は当時韓国では実施されていなかった。韓国人に日本国籍(法)を適用する場合、韓国人の国籍離脱(第20条)を通した反日抵抗の可能性があったためだった。効率的な韓国人抑圧と統制のために日本国籍法を適用しないのだ。すなわち日本は併合以降も日本人と朝鮮人の法的身分を厳格に区別した。
韓国人は帝国の臣民だったが、日本人と同一に日本憲法および国籍法の適用を受ける国民では全くなかった。当時、日本国籍事項と国籍法(法律第66号)は日本憲法の委任法律(大日本帝国憲法第18条)だった。言葉では立憲国家・法治国家だったのに日本は韓国人に関する限り、憲法と法律を適用する代わりに慣習と条理に基づいた国籍取得と見なしたにすぎない。
戸籍も区別された。日本人(内地人)は内地戸籍に登載された反面、合併以後の朝鮮戸籍令(総督府令第154号)により朝鮮人は朝鮮戸籍に所属した。そして朝鮮人は内地(日本)戸籍に転籍できず、日本人も朝鮮戸籍に転籍できなかった。婚姻と養子縁組などを通した転籍だけが可能だった。「国籍」法は適用しないで「戸籍」令は別途作るほど、二つの市民権が厳格に区分されたのだ。
権利と義務は国籍とより一層かけ離れていた。日帝強占期、韓半島(朝鮮半島)居住者は参政権を行使できなかった。憲法と国籍法の適用を受ける国民であればありえない基本権剥奪だった。韓国は植民地と強占地に適用される参政権の2つの類型、すなわち「植民本国代表構成のための選挙権および被選挙権付与」や「植民・強占地域自らの代表構成のための参加権付与」のどれにも該当しなかった。韓国人の参政と自治に対する請願は拒否された。当時、熱血親日勢力が完全同化のために日本国民の待遇をしてほしいと請願したにもかかわらず、日本は許可しなかった。
また、韓国人は兵役法が適用されなかった。やはり国民に対する基本義務の強制免除だった。最初から徴兵検査対象者を日本戸籍法適用者に限定して朝鮮戸籍所属者は除いた(日本兵役法23条)。韓国人の徴兵制実施請願さえ拒否した。軍事知識や武器を備えた韓国人の抵抗が怖かったためだ。しかし軍国全体主義体制が最悪の方向に向かい、国籍法適用も受けない数多くの韓国人が徴兵と徴用で強制動員された。この時は兵役法改正、陸軍特別志願兵令、国家総動員法、国民徴用令の制定を通じてだった。憲法に基づいた基本的な国籍法は適用しないのに全体主義戦争遂行のための特別立法措置は適用された。
当時韓国人は国権は亡失されて日本の憲法と国籍法も適用されない、権利も義務もないいわゆる「非国民的国民」だった。理論的に韓国人は「国権のない国民」であり「主権ない国民」だった。
しかしより一層重要な点は日本強占と韓日関係のこのような特殊性でない。日本の韓国強占と「韓国人は日本国籍・国民だった」という主張こそ「常識」と「国際法」と「国際規範」の完全違反だ。常識と国際法に照らして日本の韓国強占は源泉無効だ。時効の完成も存在しない。そしてこの点がはるかに重要な本質を構成する。
パク・ミョンリム/延世(ヨンセ)大教授・政治学
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