「(佐渡島の金山のユネスコ世界文化遺産登録を)最後まで反対するのは道理でないと考える。(日本と)敵対しながら暮らすことはできない」。
父が日帝強占期に佐渡金山で強制労役をしたと明らかにしたキム・グァンソンさん(82)は7日、中央日報との電話で「過去は過去であり、現在は現在」とし、このように話した。先月27日、韓国を含むユネスコ世界遺産委員会委員国のコンセンサス(全体合意)で日本の佐渡金山が世界文化遺産で登録されたことについて、キムさんは「互いに譲歩するべきことはするものの、独島(ドクト、日本名・竹島)や第7鉱区問題などで我々が日本の譲歩を受けるべきことは受けなければいけない」と強調した。
◆「日本はもう我々を抑圧できない」
キムさんは「私たちはもう与える側の国になったので、認めるべきことは認めることができる」と述べた。そして「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が日本に行って和合しようとして(関係改善の)雰囲気が形成された」とし「日本はもう我々を抑圧できる位置でもなく、もうどこの誰も大韓民国を見下げることはできない」と強調した。
これに先立ち政府は「佐渡金山の『全体の歴史』を現場に反映すべきという国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の勧告と世界遺産委員会の決定を日本が誠実に履行し、そのために先制的な措置を取ることを前提に、登録決定に同意した」と明らかにした。日本は登録決定前に佐渡金山付近にある「相川郷土博物館」に朝鮮人労働者関連の展示空間を設置し、追悼式を毎年開くことにした。
しかし日本は佐渡金山を世界遺産に登録しながら労役の強制性を確実には認めなかった。日本政府代表が「その間、世界遺産委員会で採択されたすべての関連決定とこれに対する日本の約束を銘記する(bearing in mind)」と明らかにしただけだ。ただ、在韓日本大使館側は先月31日、中央日報に「日本が『銘記する』と明らかにした『すべての決定と約束』には2015年の軍艦島登録当時に韓国人が『強制労役(forcd to work)』をした事実を認めたことも含まれる」と明らかにした。軍艦島登録当時に明らかにした強制性認定の立場を事実上継承するということだ。
◆「強制性を問いただしてどうするのか」との考えも
それでも日本の「強制性」脱落をめぐる論争は続いている。日本が佐渡金山登録当時に「強制労役」に関する発言をせず葛藤の火種を残し、新たに設置した展示館の展示物も明示的には強制性を認めていない。
これについてキムさんは「過ぎ去った歳月の中の強制かどうかをあえて問いただしてどうするのかという考えになる」と語った。
誰よりも動員と労役の強制性に対する日本の明示的な認定と謝罪を切実に望むのは遺族だが、苦労して築いた韓日関係改善の土台も重視する必要があるという趣旨だ。一方で、佐渡金山をはじめ強制動員の歴史全般を否定して歴史歪曲の形態を見せた日本に対する自暴自棄のような心境も感じられた。
◆「父は石肺…一生苦労した」
幼い頃だったが、キムさんは父が佐渡金山で強制労役をしたことで経験した苦痛を鮮明に記憶している。キムさんの父、故キム・ジョンウォンさんは1912年に生まれ、金を稼げるという話を聞いて1940年に忠清南道論山(ノンサン)から佐渡鉱山に徴用された。父は当時、キムさんの母まで佐渡金山に連れて行った。その後、キムさんは1942年に佐渡金山で生まれた。
キムさんは「父は佐渡金山でダイナマイトを爆発させて岩を砕く作業をしたが、石粉をあまりにも多く吸い込んで肺が完全にやられた」とし「そこで少し稼いだものの、肺に石粉がたまったことで(お金は)病院に全部払って家族は苦労しながら暮らした」と振り返った。実際、展示館には岩の砕くなど危険な作業に韓国人労働者が日本人より多く投入されたという内容が展示され、日本政府も登録直後の公開発言でこれを認めた。
ところが父の心身を壊した佐渡金山が世界遺産に登録されるという事実をキムさんは後に知ったという。キムさんは「誰も話してくれないので知らなかった」と語った。
登録されたこともすぐに把握していなかったキムさんは、追悼式と朝鮮人労働者関連の展示館に関する情報も政府から共有されていないと伝えた。キムさんは「追悼式を毎年開くなら一度くらいは出席したい。佐渡金山の現場も直接見ることができればいい」と話した。
◆遺族が包容力を見せても…「行動」揺らぐ日本
これに先立ち韓国政府は佐渡金山登録に関連し、日本が「言葉より行動」を見せたという立場を繰り返し強調した。強制性の表現はやや弱い部分があっても、追悼式と展示館運営という「確実な後続措置」を取ったという趣旨だ。展示物に明示的な強制性の表現はないが、韓国人労働者が朝鮮総督府の関与で徴用され、人身拘束状態で労働をした点を見せる証拠資料も含まれたのは事実だ。
しかし日本はこうした両国間の合意の精神を尊重しないような態度をすでに見せている。早ければ来月にも朝鮮人労働者追悼式が開かれる予定だが、その対象となる労働者名簿関連の追加資料を韓国政府と市民団体が1年以上も前から要請しているにもかかわらず公開していないのが代表的な例だ。日本が誠意のある措置を履行しない場合、未来志向的な両国関係を支持して大乗的な立場を見せたキムさんら徴用被害者の遺族にもう一つの傷を残すと心配される理由だ。
父が日帝強占期に佐渡金山で強制労役をしたと明らかにしたキム・グァンソンさん(82)は7日、中央日報との電話で「過去は過去であり、現在は現在」とし、このように話した。先月27日、韓国を含むユネスコ世界遺産委員会委員国のコンセンサス(全体合意)で日本の佐渡金山が世界文化遺産で登録されたことについて、キムさんは「互いに譲歩するべきことはするものの、独島(ドクト、日本名・竹島)や第7鉱区問題などで我々が日本の譲歩を受けるべきことは受けなければいけない」と強調した。
◆「日本はもう我々を抑圧できない」
キムさんは「私たちはもう与える側の国になったので、認めるべきことは認めることができる」と述べた。そして「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が日本に行って和合しようとして(関係改善の)雰囲気が形成された」とし「日本はもう我々を抑圧できる位置でもなく、もうどこの誰も大韓民国を見下げることはできない」と強調した。
これに先立ち政府は「佐渡金山の『全体の歴史』を現場に反映すべきという国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の勧告と世界遺産委員会の決定を日本が誠実に履行し、そのために先制的な措置を取ることを前提に、登録決定に同意した」と明らかにした。日本は登録決定前に佐渡金山付近にある「相川郷土博物館」に朝鮮人労働者関連の展示空間を設置し、追悼式を毎年開くことにした。
しかし日本は佐渡金山を世界遺産に登録しながら労役の強制性を確実には認めなかった。日本政府代表が「その間、世界遺産委員会で採択されたすべての関連決定とこれに対する日本の約束を銘記する(bearing in mind)」と明らかにしただけだ。ただ、在韓日本大使館側は先月31日、中央日報に「日本が『銘記する』と明らかにした『すべての決定と約束』には2015年の軍艦島登録当時に韓国人が『強制労役(forcd to work)』をした事実を認めたことも含まれる」と明らかにした。軍艦島登録当時に明らかにした強制性認定の立場を事実上継承するということだ。
◆「強制性を問いただしてどうするのか」との考えも
それでも日本の「強制性」脱落をめぐる論争は続いている。日本が佐渡金山登録当時に「強制労役」に関する発言をせず葛藤の火種を残し、新たに設置した展示館の展示物も明示的には強制性を認めていない。
これについてキムさんは「過ぎ去った歳月の中の強制かどうかをあえて問いただしてどうするのかという考えになる」と語った。
誰よりも動員と労役の強制性に対する日本の明示的な認定と謝罪を切実に望むのは遺族だが、苦労して築いた韓日関係改善の土台も重視する必要があるという趣旨だ。一方で、佐渡金山をはじめ強制動員の歴史全般を否定して歴史歪曲の形態を見せた日本に対する自暴自棄のような心境も感じられた。
◆「父は石肺…一生苦労した」
幼い頃だったが、キムさんは父が佐渡金山で強制労役をしたことで経験した苦痛を鮮明に記憶している。キムさんの父、故キム・ジョンウォンさんは1912年に生まれ、金を稼げるという話を聞いて1940年に忠清南道論山(ノンサン)から佐渡鉱山に徴用された。父は当時、キムさんの母まで佐渡金山に連れて行った。その後、キムさんは1942年に佐渡金山で生まれた。
キムさんは「父は佐渡金山でダイナマイトを爆発させて岩を砕く作業をしたが、石粉をあまりにも多く吸い込んで肺が完全にやられた」とし「そこで少し稼いだものの、肺に石粉がたまったことで(お金は)病院に全部払って家族は苦労しながら暮らした」と振り返った。実際、展示館には岩の砕くなど危険な作業に韓国人労働者が日本人より多く投入されたという内容が展示され、日本政府も登録直後の公開発言でこれを認めた。
ところが父の心身を壊した佐渡金山が世界遺産に登録されるという事実をキムさんは後に知ったという。キムさんは「誰も話してくれないので知らなかった」と語った。
登録されたこともすぐに把握していなかったキムさんは、追悼式と朝鮮人労働者関連の展示館に関する情報も政府から共有されていないと伝えた。キムさんは「追悼式を毎年開くなら一度くらいは出席したい。佐渡金山の現場も直接見ることができればいい」と話した。
◆遺族が包容力を見せても…「行動」揺らぐ日本
これに先立ち韓国政府は佐渡金山登録に関連し、日本が「言葉より行動」を見せたという立場を繰り返し強調した。強制性の表現はやや弱い部分があっても、追悼式と展示館運営という「確実な後続措置」を取ったという趣旨だ。展示物に明示的な強制性の表現はないが、韓国人労働者が朝鮮総督府の関与で徴用され、人身拘束状態で労働をした点を見せる証拠資料も含まれたのは事実だ。
しかし日本はこうした両国間の合意の精神を尊重しないような態度をすでに見せている。早ければ来月にも朝鮮人労働者追悼式が開かれる予定だが、その対象となる労働者名簿関連の追加資料を韓国政府と市民団体が1年以上も前から要請しているにもかかわらず公開していないのが代表的な例だ。日本が誠意のある措置を履行しない場合、未来志向的な両国関係を支持して大乗的な立場を見せたキムさんら徴用被害者の遺族にもう一つの傷を残すと心配される理由だ。
この記事を読んで…