柔道混成団体銅メダル決定戦で勝利した後、拳を握って喜ぶ許海実(ホ・ミミ)(左)。独立活動家の許碩(ホ・ソク)の5代孫にあたる許海実は「韓国で柔道をして国家代表になって本当に良かった」と喜んだ。キム・ソンリョン記者
許海実は「個人戦銀メダルの時はメダルを逃した先輩方の目が気になって思う存分喜ぶことができなかった」とし「団体戦で韓国代表チーム全員が授賞台に立つことができて本当に良かった」と話した。続いて「生涯初の五輪でメダル2個(銀・銅)を首にかけることができてとても幸せ」とし「韓国行きを引き止めた父と母、韓国で一緒に運動している妹(許ミオ・20)も『太極マークをつけて本当によくやった』と祝ってくれた」と伝えた。
2002年東京で生まれて6歳の時に柔道を始め、日本全国大会まで制覇した許海実は「孫娘が韓国代表になって五輪に出場してほしい」という祖母(2021年死亡)の遺言に従うために韓国に来た。同年現所属チームに入団し、2022年2月に太極マークを付けた。当時、日本早稲田大スポーツ科学部1年生だった許海実は韓国・日本を行き来しながら運動と学業を併行した。当時韓国語がほとんどできなかったため、一部からは「日本人なのか韓国人か分からない」「〔鎮川(ジンチョン)選手村〕入村中にいつも海外を行き来するのは特恵ではないか」などの批判もあった。
許海実は「生まれて20年間育った日本を離れて韓国に適応するのは容易なことではなかった」とし「自分でも韓国人なのか日本人なのかアイデンティティが混乱したこともあるが、偏見なく私を受け入れくれた女子代表チームのキム・ミジョン監督、所属チームのキム・ジョンフン監督、代表チームの先輩方のおかげで幸いなことにうまく適応することができた」と語った。今は韓国語も流ちょうに話せるようになり、ハングルも手紙がかけるほどになった。二重国籍者だった許海実は昨年12月に日本国籍を放棄した。許海実は自身のアイデンティティを「日本で生まれ育ち、今は太極マークを付けて柔道をする韓国人」と定義した。
「パリでパスタを食べること」が五輪前の願いだったが、最近あるレストランで2皿も平らげたという許海実は「銀メダルも良いがやはり金メダルでなければ満足できないようだ」と話した。
続いて「帰国したら慶尚北道軍威(キョンサンブクド・クヌィ)の祖父(許碩先生)の殉国碑を訪れてメダルをかけながら『4年後のLA五輪では必ず金メダルを取る』と話したい」と付け加えた。許海実は独立活動家の許碩先生(1857~1920)の5代孫にあたる。
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