본문 바로가기
이전 페이지로 가기 공유하기 주요 서비스 메뉴 열기

<関東大震災虐殺100年>「井戸に毒? 私が飲んでみよう」…朝鮮人300人を救った日本の警察(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

関東大震災当時、朝鮮人300人を救った神奈川県鶴見警察署長の大川常吉が当時受け取った感謝状。漢文とハングルを混ぜて書いてある感謝状には韓国人の名前が一緒に書かれてある。キム・ヒョンイェ東京特派員

◇大川一族の家宝、写真に残されたその日

続いて「大川家の家宝」と言いながらビニールと紙ボックスで厳重に包まれていた手紙を取り出して見せてくれたものがあった。やや分厚い韓紙に書かれたハングルが目に飛び込んできた。

手紙は大川署長の保護で命を救われた朝鮮人が大震災5カ月後に送った感謝状だ。日本語ではない漢字とハングルを混ぜて書かれた手紙の末尾には8人の朝鮮人の名前が書かれていた。ユタカさんは「ハングルはよく分からないが漢字だけを見ても当時どんな気持ちで書いたのか伝ってくる」としながら「本当にありがたく思う」と話した。


大川署長の昔のアルバムを取り出して見せてくれた孫の手が止まった。ユタカさんが用心深く取り出して見せてくれたのは写真4枚。通りの至る所に、官公庁の前とみられる建物の前に無惨に虐殺された人々の死体が山のように無造作に積み上げられている。

当時の状況がどれくらい凄惨だったかを示す写真を大川一族はなぜ今まで保管しているのだろうか。ユタカさんは「戦争で当時記録がたくさん流失したが、祖父はこの写真を残して状況がこうだったということを証拠として、記録として残そうとしたようだ」と伝えた。

◇「祖父、当然の『人としての道理』を果たしただけ」

63歳で亡くなった大川署長の墓は横浜東漸寺にある。朝鮮人は故人を賛える碑を建てた。

関東大震災で6000人を超える朝鮮人が命を失った。ユタカさんは記者に「国籍が何であろうと人の命は大切だ」とし「祖父は何か特別なことをしたのではなく、当然しなければならない『人としての道理』を果たしたと考える」と話した。


<関東大震災虐殺100年>「井戸に毒? 私が飲んでみよう」…朝鮮人300人を救った日本の警察(1)

関連記事

この記事を読んで…

포토뷰어

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    공유하기

    팝업닫기
    top 메뉴