韓中の感情の谷間が深まっている。発端は邢海明駐韓中国大使の発言だ。彼は8日、「米国が戦力で中国を圧迫する状況の中、一部で米国が勝利し中国が敗北するという賭けをしている。中国の敗北に賭ける人たちは後で必ず後悔する」と話した。韓国が邢大使を招致して厳重警告すると、中国も駐中韓国大使を呼んで同様の措置を取った。
対立の背景には半導体がある。米国は中国の半導体に対して高レベルの規制をしている。また、韓国・台湾・日本とともに中国を排除した半導体供給網協力対話である「チップ4」を強く押し進めている。中国はこれを厳しい視線で見つめている。
1948年に米ベル研究所のウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明した後、半導体の種がまかれ始める。ショックレーは1955年にカリフォルニアのパロアルト地域にショックレー半導体研究所を設立した。だが数年後にゴードン・ムーアをはじめとする研究員8人がショックレーの運営方式に不満を抱いて辞表を出した。彼らは航空機メーカーを運営したシャーマン・フェアチャイルドの支援を受けてフェアチャイルド半導体を設立し、シリコントランジスターを初めて商用化するのに成功した。「シリコンバレー」の始まりだった。
その後、フェアチャイルド出身者は数十社の半導体メーカーを設立した。ムーアのインテルをはじめ、AMDやモトローラなどが設立された。石油探査機械を売っていたテキサス・インスツルメンツはAT&Tから特許を取得して半導体市場に進出した後頂点に立った。このように「宗主国」米国で半導体は華麗に花を咲かせる。
宗主国の優位は長くは続かなかった。米国企業は費用があまりかからず労組問題がないアジアに目を向けた。技術移転もした。日本はこの機会を逃さなかった。米国企業が二度のオイルショックで停滞した合間を利用して日本は大規模投資をした。技術力を前面に出して価格も低くした。あっという間に日本企業が世界の半導体市場を掌握した。1980年代には世界10大半導体企業のうちNEC、東芝、日立など6社が日本企業だった。NECは1985年から1990年まで6年間世界1位の座を占めた。日本企業が一時は世界の半導体市場の80%を占めるほどだった。
市場が供給過剰に陥ると米国の半導体企業はすべて潰れるとして騒ぎ立てた。米国政府は刀を抜いた。1985年に日本の半導体企業のダンピング調査をした。ドル高を防ぐために円相場などを調整する「プラザ合意」で日本を固く締めつけた。
「日本の栄光」も枯れ始めた。各種規制と円高で競争力が弱まった日本企業は上位グループから押し出された。2000年代半ばには半導体世界10位に日本企業を見つけることはできなかった。市場を無視した技術第一主義のせいも大きかった。日本企業が不況に怖じ気づいて投資を恐れる時に韓国企業は強力なオーナーシップを前面に出して果敢な投資をした。結局メモリー分野1位に上り詰めた。
台湾は別の戦略を選んだ。メモリー分野は飽和状態のため委託生産方式を選んだ。1987年にファウンドリー企業TSMCを設立して1位を疾走している。後発走者である中国も2014年に代表企業を育て2025年には自給率を70%に引き上げると明らかにした。昨年6月にブルームバーグが過去1年間で最も速く成長した半導体企業20社を発表したが、このうち19社が中国企業だった。「半導体崛起」に緊張した米国は中国牽制に出た。2020年に米国の技術を利用した製品の対中輸出を規制し、昨年にはCHIPS法を通じて米国の補助金を得る企業の中国内投資拡大を制限した。
半導体市場は銃や刀のない戦争の歴史も同然だ。他の産業と違い勝者が随時変化する。半導体サイクルの難しい時期に足を踏み間違えれば奈落に落ちた。それだけ危険なのだ。ここに各国政府が命を賭ける姿勢で駆けつける。半導体は単純なビジネスではないという意味だ。半導体は安全保障だ。半導体は国防と核心基盤設備の必須要素だ。安定した半導体網を確保できなければ国であれ、企業であれ技術的窒息状態に陥る。だからかつて海外生産基地を先を争って建設した米国が自国内で半導体生態系を誘致しようとする。産業秩序も再び作ろうとする。経済に外交・安保まで加わり企業の立場では計算方法がさらに難しくなった。
米中の戦いで韓国はサンドイッチのようだ。輸出で生きる韓国の立場ではどちらか一方に肩入れするのも難しい。単純に「世界最高の技術力」だけ叫んで企業にばかり頼ることではない。企業と政府が額を突き合わせて韓国半導体の未来を考えなければならない理由だ。
キム・チャンギュ/経済エディター
対立の背景には半導体がある。米国は中国の半導体に対して高レベルの規制をしている。また、韓国・台湾・日本とともに中国を排除した半導体供給網協力対話である「チップ4」を強く押し進めている。中国はこれを厳しい視線で見つめている。
1948年に米ベル研究所のウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明した後、半導体の種がまかれ始める。ショックレーは1955年にカリフォルニアのパロアルト地域にショックレー半導体研究所を設立した。だが数年後にゴードン・ムーアをはじめとする研究員8人がショックレーの運営方式に不満を抱いて辞表を出した。彼らは航空機メーカーを運営したシャーマン・フェアチャイルドの支援を受けてフェアチャイルド半導体を設立し、シリコントランジスターを初めて商用化するのに成功した。「シリコンバレー」の始まりだった。
その後、フェアチャイルド出身者は数十社の半導体メーカーを設立した。ムーアのインテルをはじめ、AMDやモトローラなどが設立された。石油探査機械を売っていたテキサス・インスツルメンツはAT&Tから特許を取得して半導体市場に進出した後頂点に立った。このように「宗主国」米国で半導体は華麗に花を咲かせる。
宗主国の優位は長くは続かなかった。米国企業は費用があまりかからず労組問題がないアジアに目を向けた。技術移転もした。日本はこの機会を逃さなかった。米国企業が二度のオイルショックで停滞した合間を利用して日本は大規模投資をした。技術力を前面に出して価格も低くした。あっという間に日本企業が世界の半導体市場を掌握した。1980年代には世界10大半導体企業のうちNEC、東芝、日立など6社が日本企業だった。NECは1985年から1990年まで6年間世界1位の座を占めた。日本企業が一時は世界の半導体市場の80%を占めるほどだった。
市場が供給過剰に陥ると米国の半導体企業はすべて潰れるとして騒ぎ立てた。米国政府は刀を抜いた。1985年に日本の半導体企業のダンピング調査をした。ドル高を防ぐために円相場などを調整する「プラザ合意」で日本を固く締めつけた。
「日本の栄光」も枯れ始めた。各種規制と円高で競争力が弱まった日本企業は上位グループから押し出された。2000年代半ばには半導体世界10位に日本企業を見つけることはできなかった。市場を無視した技術第一主義のせいも大きかった。日本企業が不況に怖じ気づいて投資を恐れる時に韓国企業は強力なオーナーシップを前面に出して果敢な投資をした。結局メモリー分野1位に上り詰めた。
台湾は別の戦略を選んだ。メモリー分野は飽和状態のため委託生産方式を選んだ。1987年にファウンドリー企業TSMCを設立して1位を疾走している。後発走者である中国も2014年に代表企業を育て2025年には自給率を70%に引き上げると明らかにした。昨年6月にブルームバーグが過去1年間で最も速く成長した半導体企業20社を発表したが、このうち19社が中国企業だった。「半導体崛起」に緊張した米国は中国牽制に出た。2020年に米国の技術を利用した製品の対中輸出を規制し、昨年にはCHIPS法を通じて米国の補助金を得る企業の中国内投資拡大を制限した。
半導体市場は銃や刀のない戦争の歴史も同然だ。他の産業と違い勝者が随時変化する。半導体サイクルの難しい時期に足を踏み間違えれば奈落に落ちた。それだけ危険なのだ。ここに各国政府が命を賭ける姿勢で駆けつける。半導体は単純なビジネスではないという意味だ。半導体は安全保障だ。半導体は国防と核心基盤設備の必須要素だ。安定した半導体網を確保できなければ国であれ、企業であれ技術的窒息状態に陥る。だからかつて海外生産基地を先を争って建設した米国が自国内で半導体生態系を誘致しようとする。産業秩序も再び作ろうとする。経済に外交・安保まで加わり企業の立場では計算方法がさらに難しくなった。
米中の戦いで韓国はサンドイッチのようだ。輸出で生きる韓国の立場ではどちらか一方に肩入れするのも難しい。単純に「世界最高の技術力」だけ叫んで企業にばかり頼ることではない。企業と政府が額を突き合わせて韓国半導体の未来を考えなければならない理由だ。
キム・チャンギュ/経済エディター
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