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【コラム】拒否する米国を最高の同盟にした李承晩元大統領(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
韓国動乱(朝鮮戦争)の前日、軍首脳部は陸軍会館落成式に出席し、酒に酔っていた。陸軍参謀総長は二日酔いの状態で戦争勃発の報告を受けた。陸軍士官学校第8期団体の回顧録は「各分野別に戦闘力弱化作業は北の南侵直前まで続いた」と伝える。予備役大将イ・ヒョングンは「陸軍指揮部に敵と内通した人物がいた」と回顧した。李承晩(イ・スンマン)大統領が南侵(午前4時)の報告を受けたのは6時間半後の午前10時30分ごろだった。日曜日であり国防長官が週末の休暇中だったからだ。

駐韓米国大使は「ソウルを離れれば韓国人の士気に致命的な影響を与える」とし「死守」を主張した。在韓米軍司令官は「ソウルで市街戦を展開しながら時間を稼がなければいけない」と述べた。「ソウル死守」を決意していた韓国軍は戦況が不利になると、戦うこともせず放棄を決めた。主客が入れ替わり、恥ずかしいことだ。(『李承晩の人生と国家』、オ・インファン)


亡国へ向かう最悪の状況で奇跡が起こった。李承晩が完ぺきな危機対処能力を発揮したのだ。彼は26日午前3時、東京のマッカーサー司令官に電話をかけて「すぐに韓国を救ってほしい」と訴えた。張勉(チャン・ミョン)駐米韓国大使に「敵が目の前まで来ているとトルーマン大統領に伝えるべき」と話した。南侵をワシントンと国連の緊急懸案とし、米議会の議決もなく早期参戦を引き出した。軍首脳部の強権で市民に知らせずソウルを脱出しながら漢江(ハンガン)の橋を爆破した過ちを除けば、超人的な戦時大統領だった。


李承晩は戦線を渡り歩きながら「我々が攻め続けてこそ友邦の援助も引き続き入ってくるはずであり、敵軍を退けてこそ我々が生きる」と呼びかけた。「素手で戦う韓国の将兵に武器を与えてほしい」と米国に要請した。海外の記者のインタビューに応じ、外交文書をフランチェスカ夫人と直接作成する1人外交をした。独立活動家として積んだ40年余りの対米外交経験と高級英語駆使能力、愛国心と度胸が武器だった。有事の際、夫婦は自決するために拳銃を寝室の枕元に置いて寝た。絶えず抗戦の意志を知らせた(『フランチェスカの乱中日記』)。ウクライナの英雄ゼレンスキー大統領夫妻の歴史的ロールモデルだ。

マッカーサー国連軍総司令官が「クリスマス攻勢」(11月24日-12月3日)に出たが、潜伏していた中国共産軍に大敗した。「韓国で中国軍に勝つことはできない」と判断した米国は撤収を議論した。軍首脳部は「中国の意図が国連軍を韓国から追い出すことであるのなら早期に撤収させよう」と話した。アチソン国務長官は「韓国人が殺戮される」として反対した。トルーマン大統領もアチソンの意見に賛成した。ソウルでは「米国が韓国を売り飛ばそうとしている」という噂が広まった。この時、李承晩は「景武台で死ぬと決心した」と政治顧問のオリバー博士に明らかにした。

トルーマン政権は1951年初め、休戦方針を決めた。戦争を継続するには正規軍を20万人増やし、年間9億ドルの費用が追加で負う必要があるからだ。李承晩は「統一韓国を保障しなければ休戦は受け入れられない。必要なら韓国軍が単独で北進する」と宣言した。3日分の攻撃用弾薬しかなく、ソ連・中国との第3次世界大戦を避けようとする米国の世界戦略に反旗を翻したのだ。


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