先日、オンラインで話題になった「ノーシニアゾーン(No Senior Zone)」カフェ。出入り口の「60歳以上の高齢者の出入り制限」の告知の横に「盲導犬は歓迎します」のステッカーがコントラストをなしている。自らカフェの常連だと明かした人は、一人でカフェを営む女性社長を「マダム」と呼んで嫌がらせをする年配の客のために仕方ない選択だったと代わりに説明した。社長が客を受け入れないとは何があったのだろうかと思うが「無マナー」はなにも年齢だけの問題ではない。児童差別の論争がある「ノーキッズゾーン(No Kids Zone)」に始まり、「ノーシニアゾーン」が登場したから次は何だろうか。これに先立ち、「49歳以上は丁重にお断り」するという飲食店、「40代以上のカップルお断り」を掲げるキャンプ場もあった。
もうすぐ60歳以上の高齢者に加わる立場からすると、ノーシニアゾーンでなくても、日常ですでに年齢を十分に意識して生活している。若者で賑わう話題のカフェに入ると、誰も文句を言う人がいないにもかかわらず萎縮する。それだけだろうか。デジタルリテラシーが低い高齢層は利用もアクセスも難しい無人店舗や無人カウンターなど、シニアを排除する空間はますます増えている。
ワシントン・ポスト(WP)は最近、10年ほど前に登場して全国500カ所以上に増えた韓国のノーキッズゾーンに注目した。海外でも飛行機の座席の割り当てや図書館の利用で子どもに制限を設ける問題がしばしば取り上げられるが、韓国のような深刻な少子化の国では、カフェやレストランのような日常的なノーキッズゾーンは、出産と育児をますます選択しにくいオプションにしていると指摘した。
「ノー〇〇ゾーン」の核心は、特定の客の入場を制限することが営業の自由なのか、それともどこでも排除されない人権と差別の問題なのかだ。ノーキッズゾーンに先駆けて、キッズカフェや未成年者入場禁止の風俗店など客を制限した空間はあるが、これは客に合わせた専用空間や特定年齢層を保護する目的の入場制限なので性格が異なる。2021年の調査機関「ギャラップ」の調査によると、韓国国民の71%がノーキッズゾーンに賛成した。まだノーキッズゾーンについて店主の自由であり、「それなら行かなくてもいい」と考える人が「ノーキッズゾーン反対」(17%)よりはるかに多かった。最近、済州道では道議会レベルで道内の「ノーキッズゾーン指定禁止条例」の制定を推進したが結局保留にした。より多くの社会的共感が必要だと考えたためだ。済州道は観光客と同じくらい客の苦情が多く、ノーキッズゾーンが国内で最も多い地域だ。
実際、誰もが共感するところだが、ノーキッズゾーンで本当に問題なのは子どもではなく、子どもを適切にコントロールしたりマナーを教えたりしない無分別な親だ。他の客を配慮してほしいという店側の要請に、突然インターネットに駆け寄って騒ぐ「若いカスハラ」親を制することがができないため、対象は子どもに向かう。前述のノーシニアゾーンカフェのように、特定の問題客を防ぐのではなく、その年齢層の多数の客を元からブロックする。不良客を排除するとはいえ、常に排除されるのは子ども・高齢者など社会的弱者だ。際限なく年齢差別が発生する。酔っぱらいの暴言は醜悪だが、これまで「ノーシニアゾーン」は聞いたことがない。自営業者の苦情は苦情として理解するが、ノーキーズゾーンが営業の自由を超え、人権と差別の問題になる理由だ。2017年、国家人権委員会はノーキッズゾーンを差別行為と判断した。
最近、韓国を訪れた人口学者のオックスフォード大学名誉教授のデービッド・コールマン氏は「結婚・過酷な労働・教育熱など『韓国らしいもの』が変われば少子化問題は解決する」と診断し「経済的支援だけでは不十分で、文化が変わらなければならない」と強調した。ノーキッズゾーンも韓国的な『子育て文化』の一つだろう。長距離バスの後部座席の子どもが泣き叫び続け、イライラして「悪い席運」を愚痴ることはできても「ママ虫」(若い母親を揶揄する表現)を非難して「ノーキッズバス」を要請することはできない。母親が子どもとバスに乗ることや飲食店に行くことさえ嫌がるようでは、少子化の改善は望めない。私も昔は子どもであり、暴れる子どもに困惑する母親だった。そして私の未来は高齢者だ。
ヤン・ソンヒ/中央日報コラムニスト
もうすぐ60歳以上の高齢者に加わる立場からすると、ノーシニアゾーンでなくても、日常ですでに年齢を十分に意識して生活している。若者で賑わう話題のカフェに入ると、誰も文句を言う人がいないにもかかわらず萎縮する。それだけだろうか。デジタルリテラシーが低い高齢層は利用もアクセスも難しい無人店舗や無人カウンターなど、シニアを排除する空間はますます増えている。
ワシントン・ポスト(WP)は最近、10年ほど前に登場して全国500カ所以上に増えた韓国のノーキッズゾーンに注目した。海外でも飛行機の座席の割り当てや図書館の利用で子どもに制限を設ける問題がしばしば取り上げられるが、韓国のような深刻な少子化の国では、カフェやレストランのような日常的なノーキッズゾーンは、出産と育児をますます選択しにくいオプションにしていると指摘した。
「ノー〇〇ゾーン」の核心は、特定の客の入場を制限することが営業の自由なのか、それともどこでも排除されない人権と差別の問題なのかだ。ノーキッズゾーンに先駆けて、キッズカフェや未成年者入場禁止の風俗店など客を制限した空間はあるが、これは客に合わせた専用空間や特定年齢層を保護する目的の入場制限なので性格が異なる。2021年の調査機関「ギャラップ」の調査によると、韓国国民の71%がノーキッズゾーンに賛成した。まだノーキッズゾーンについて店主の自由であり、「それなら行かなくてもいい」と考える人が「ノーキッズゾーン反対」(17%)よりはるかに多かった。最近、済州道では道議会レベルで道内の「ノーキッズゾーン指定禁止条例」の制定を推進したが結局保留にした。より多くの社会的共感が必要だと考えたためだ。済州道は観光客と同じくらい客の苦情が多く、ノーキッズゾーンが国内で最も多い地域だ。
実際、誰もが共感するところだが、ノーキッズゾーンで本当に問題なのは子どもではなく、子どもを適切にコントロールしたりマナーを教えたりしない無分別な親だ。他の客を配慮してほしいという店側の要請に、突然インターネットに駆け寄って騒ぐ「若いカスハラ」親を制することがができないため、対象は子どもに向かう。前述のノーシニアゾーンカフェのように、特定の問題客を防ぐのではなく、その年齢層の多数の客を元からブロックする。不良客を排除するとはいえ、常に排除されるのは子ども・高齢者など社会的弱者だ。際限なく年齢差別が発生する。酔っぱらいの暴言は醜悪だが、これまで「ノーシニアゾーン」は聞いたことがない。自営業者の苦情は苦情として理解するが、ノーキーズゾーンが営業の自由を超え、人権と差別の問題になる理由だ。2017年、国家人権委員会はノーキッズゾーンを差別行為と判断した。
最近、韓国を訪れた人口学者のオックスフォード大学名誉教授のデービッド・コールマン氏は「結婚・過酷な労働・教育熱など『韓国らしいもの』が変われば少子化問題は解決する」と診断し「経済的支援だけでは不十分で、文化が変わらなければならない」と強調した。ノーキッズゾーンも韓国的な『子育て文化』の一つだろう。長距離バスの後部座席の子どもが泣き叫び続け、イライラして「悪い席運」を愚痴ることはできても「ママ虫」(若い母親を揶揄する表現)を非難して「ノーキッズバス」を要請することはできない。母親が子どもとバスに乗ることや飲食店に行くことさえ嫌がるようでは、少子化の改善は望めない。私も昔は子どもであり、暴れる子どもに困惑する母親だった。そして私の未来は高齢者だ。
ヤン・ソンヒ/中央日報コラムニスト
この記事を読んで…