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八重の花が咲く「五色八重」…岸田首相の訪韓控え注目

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

蔚山(ウルサン)市庁の庭の「五色八重」。「蔚山椿」とも呼ばれる。写真は3月末から4月初めの間に撮影された。 写真=蔚山市のチャン・ジョンデ主務官

岸田文雄首相が7日から韓国を訪問するなど韓日「シャトル外交」が復活し、蔚山市庁の庭にある椿の木が注目されている。最近はこの椿の前で写真を撮影したり、歴史的な背景を尋ねる人が増えている。

◆40周年を迎えた韓国国内の1株

蔚山(ウルサン)市庁の庭には高さ2.5メートルの椿の木が立っている。30年前に日本の京都から蔚山に来たこの木の年齢は今年で40年だ。世界的な名樹のこの木は、五色の八重の花が咲くとして「五色八重」と呼ばれる。五色八重は400年間にわたる韓国と日本の屈曲の歴史を眺めた。


五色八重は蔚山鶴城(ハクソン)が原産地だ。蔚山鶴城は蔚山市東側の鶴城山にある城跡で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の主な戦場だった。当時、倭将の加藤清正が蔚山鶴城でこの木を発見した。加藤清正は五色八重の美しさに目を引かれ、これを持ち帰って豊臣秀吉に献上した。秀吉はこの木を自身がよく訪れた寺に寄贈した。

◆秀吉が茶道会を開いた「椿寺」

壬辰倭乱当時に蔚山を離れた第1世代の木は400年が過ぎた1983年末に枯死し、第2世代と第3世代が京都の寺(地蔵院)で育った。この寺は秀吉が茶道会をする場所としてよく訪れるところだった。この寺は五色八重を大事に育てて「地蔵院」という本来の名称より「椿寺」としてよく知られているという。

五色八重は韓国で育つ一般的な椿とは違い、花が枯れる時にも一度に散らず一つ一つ散る特性があり、日本では「五色八重散椿」とも呼ばれる。

◆1992年5月に帰国、独立記念館にも植栽

この五色八重は1992年5月に韓国に帰国した。日本の椿寺で初めて発見された当時、韓国芸術文化団体総連合会と民間団体、地域住民、仏教界の代表者が積極的に返還運動をした。返還を拒否していた日本側は結局、同意し、1株を蔚山市庁に植えた。蔚山市の関係者は「当時10歳だった40センチ程度の第3世代の苗木3株戻ってきたが、蔚山市庁に1株、独立記念館と慶南泗川(サチョン)朝明軍塚にそれぞれ1株ずつ植えた」と説明した。

現在、蔚山市庁の庭にある五色八重だけが生き残っている。幸い、蔚山市農業技術センターなどの努力で第4世代の五色八重50株が育っている。蔚山市庁の庭の第3世代の横にある背が低い10株が第4世代だ。

五色八重を管理する蔚山市庁のチャン・ジョンデ主務官は「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が日本を訪問したのに続き、岸田首相が韓国を訪問することが伝えられ、蔚山椿を訪れる人が増え、椿にまつわる過去の話を尋ねる人も多い」とし「蔚山椿を大事に育てて韓日の歴史の象徴物になるようにしたい」と語った。



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