李鍾賛(イ・ジョンチャン)元国家情報院長(友堂記念館長)へのインタビューは28日午後、ソウル南山(ナムサン)ふもとの李会栄(イ・フェヨン)記念館で行われた。韓日関係をめぐる激動の時期に、独立活動家の友堂・李会栄先生の記念館で友堂の孫・李鍾賛元院長と会うこと自体がドラマチックなことのように感じられた。李元院長は尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の竹馬の友、李チョル雨(イ・チョルウ)延世大法学専門大学院教授の父でもある。
1936年に中国上海で生まれた87歳の元老は、インタビューの終始、年齢を忘れさせるほど熱情的だった。夕食にまでつながった3時間、はっきりとした声で自身の考えを語った。李元院長は27日の元駐日大使の会合でも話題になった。崔相龍(チェ・サンヨン)氏、柳明桓(チュ・ミョンファン)氏、申ガク秀(シン・ガクス)氏、李丙ギ(イ・ビョンギ)氏、柳興洙(ユ・フンス)氏、李俊揆(イ・ジュンギュ)氏ら歴代駐日大使が集まった席だった。
李前院長は「現在の韓日関係は尹錫悦大統領一人でやっているのではない。みんなでオールコートプレスをすべきという意見で一致したものだ」と述べた。以下は一問一答。
--独立活動家の子孫、友堂の孫として見る韓日関係は特別であるようだ。
「日本には本能的な敵対感のようなものがある。祖父が日本の手で亡くなり、父も苦難にあった。幼い頃、私の家ではたくあんや天ぷらなどを食べなかったし、日本式の草履も履かなかった。過去には昭和天皇の誕生日に日本大使館でパーティーが開かれたりしたが、国会議員当時は招待されても行かなかった。正直、65年の国交正常化も歓迎はしなかったし、ドイツとは違って日本が十分に謝罪しないことに良い感情を持っていなかった」
--それでも日本と良い関係を築くべきなのか。
「第2次世界大戦前、フランスとドイツはまさに犬猿の仲だった。第2次世界大戦後、フランスのドゴールとドイツのアデナウアーの2人の大物が両国関係を改善させながら今日の欧州の平和が訪れた。中国の変数があるため北東アジアの状況は少し異なるが、韓国と日本が犬猿の仲を解決しなければ北東アジアの持続的な不安要素となる。韓日と韓日中が大きな枠組みの中で解決すべきものがあれば解決しなければいけない。北東アジアの安全な枠組みを作り、北朝鮮問題もその枠組みの中に入れて解けばよい」
--大きな枠組みで眺めようということか。
「1880年に金弘集(キム・ホンジプ)が修信使として日本に行くと、清の外交官の黄遵憲が『朝鮮策略』という本を渡した。核心は親中国、結日本、連米国で自強に取り組んでこそ韓国は生きるということだ。時代は変わったが、枠は変わっていない。ドゴールとアデナウアーのように尹大統領にも日本・米国・中国と大きな枠組みをつくる役割をしてほしいということだ。今回がその始まりだ」
--韓日関係の改善に特に関心を持つことになったきっかけは。
「文在寅(ムン・ジェイン)政権当時、両国関係がひどくこじれて、戦争の一歩直前のような状況に向かっていた。特に最も大きな心配はGSOMIA(軍事情報包括保護協定)だった。いかなる状況でも軍事情報は受けなければいけない。モノのようにディール(取引)対象に含めるのを見てあまりにも驚いた」
--文大統領に直接的に助言しなかったのか。
「新天皇の即位を控え、日本の年号が平成から令和に変わる頃、数人の元老が文大統領と青瓦台(チョンワデ、大統領府)で会った。私が『日本とうまく付き合うのがよい。新しく即位する王は平和主義者であるようだ。大統領が日本に行って祝うのも方法であり、とにかくふさがった関係を解くのがよい』と話したところ、文大統領が硬い表情で『大法院(最高裁)の(徴用)判決を無視するということか』という趣旨で話した。それで『大法院の判決のために永遠に外交はしないのか』と尋ねると、文大統領は『大法院の判決を無視して外交はできない』と言った」
--1998年の金大中(キム・デジュン)-小渕宣言当時、情報機関長として役割をした。
「情報を総合すると、最も心配されたのは金大中氏が過去に日本であった拉致問題への言及だった。その話をすれば、どのように答えるべきか悩みが大きかった。ところが結局、一言も触れなかった。その代わり『日本はあまりにも未来志向的、韓国はあまりにも過去志向的』とし、日本の50%、韓国の50%、すなわち未来50%、過去50%を一緒にしようとして出てきたのが金大中-小渕宣言だ。小渕は過去を謝罪し、金大中は未来に向かう大衆文化を開いた。後任者がこの宣言を発展させるべきだったが、こじれさせた」
--すべて国内政治を意識した側面があるのでは。尹大統領はどうか。
「韓日関係は国内政治と直結している。うまくやって当然という考えだ。ところが尹大統領は一歩出過ぎた。だから(国内的に)衝撃があった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)、文在寅(ムン・ジェイン)の20年間の空白を一度に埋めようとした。今回は始まりであり、終わりではない。尹錫悦-岸田宣言になるのか何になるかは分からないが、うまく終えれば1965年の国交正常化、1998年の金大中-小渕宣言に続いて韓日関係の新しい基点になるだろう」
【インタビュー】「尹錫悦と岸田、ドゴールとアデナウアーのように北東アジアの新たな枠組みを」(2)
1936年に中国上海で生まれた87歳の元老は、インタビューの終始、年齢を忘れさせるほど熱情的だった。夕食にまでつながった3時間、はっきりとした声で自身の考えを語った。李元院長は27日の元駐日大使の会合でも話題になった。崔相龍(チェ・サンヨン)氏、柳明桓(チュ・ミョンファン)氏、申ガク秀(シン・ガクス)氏、李丙ギ(イ・ビョンギ)氏、柳興洙(ユ・フンス)氏、李俊揆(イ・ジュンギュ)氏ら歴代駐日大使が集まった席だった。
李前院長は「現在の韓日関係は尹錫悦大統領一人でやっているのではない。みんなでオールコートプレスをすべきという意見で一致したものだ」と述べた。以下は一問一答。
--独立活動家の子孫、友堂の孫として見る韓日関係は特別であるようだ。
「日本には本能的な敵対感のようなものがある。祖父が日本の手で亡くなり、父も苦難にあった。幼い頃、私の家ではたくあんや天ぷらなどを食べなかったし、日本式の草履も履かなかった。過去には昭和天皇の誕生日に日本大使館でパーティーが開かれたりしたが、国会議員当時は招待されても行かなかった。正直、65年の国交正常化も歓迎はしなかったし、ドイツとは違って日本が十分に謝罪しないことに良い感情を持っていなかった」
--それでも日本と良い関係を築くべきなのか。
「第2次世界大戦前、フランスとドイツはまさに犬猿の仲だった。第2次世界大戦後、フランスのドゴールとドイツのアデナウアーの2人の大物が両国関係を改善させながら今日の欧州の平和が訪れた。中国の変数があるため北東アジアの状況は少し異なるが、韓国と日本が犬猿の仲を解決しなければ北東アジアの持続的な不安要素となる。韓日と韓日中が大きな枠組みの中で解決すべきものがあれば解決しなければいけない。北東アジアの安全な枠組みを作り、北朝鮮問題もその枠組みの中に入れて解けばよい」
--大きな枠組みで眺めようということか。
「1880年に金弘集(キム・ホンジプ)が修信使として日本に行くと、清の外交官の黄遵憲が『朝鮮策略』という本を渡した。核心は親中国、結日本、連米国で自強に取り組んでこそ韓国は生きるということだ。時代は変わったが、枠は変わっていない。ドゴールとアデナウアーのように尹大統領にも日本・米国・中国と大きな枠組みをつくる役割をしてほしいということだ。今回がその始まりだ」
--韓日関係の改善に特に関心を持つことになったきっかけは。
「文在寅(ムン・ジェイン)政権当時、両国関係がひどくこじれて、戦争の一歩直前のような状況に向かっていた。特に最も大きな心配はGSOMIA(軍事情報包括保護協定)だった。いかなる状況でも軍事情報は受けなければいけない。モノのようにディール(取引)対象に含めるのを見てあまりにも驚いた」
--文大統領に直接的に助言しなかったのか。
「新天皇の即位を控え、日本の年号が平成から令和に変わる頃、数人の元老が文大統領と青瓦台(チョンワデ、大統領府)で会った。私が『日本とうまく付き合うのがよい。新しく即位する王は平和主義者であるようだ。大統領が日本に行って祝うのも方法であり、とにかくふさがった関係を解くのがよい』と話したところ、文大統領が硬い表情で『大法院(最高裁)の(徴用)判決を無視するということか』という趣旨で話した。それで『大法院の判決のために永遠に外交はしないのか』と尋ねると、文大統領は『大法院の判決を無視して外交はできない』と言った」
--1998年の金大中(キム・デジュン)-小渕宣言当時、情報機関長として役割をした。
「情報を総合すると、最も心配されたのは金大中氏が過去に日本であった拉致問題への言及だった。その話をすれば、どのように答えるべきか悩みが大きかった。ところが結局、一言も触れなかった。その代わり『日本はあまりにも未来志向的、韓国はあまりにも過去志向的』とし、日本の50%、韓国の50%、すなわち未来50%、過去50%を一緒にしようとして出てきたのが金大中-小渕宣言だ。小渕は過去を謝罪し、金大中は未来に向かう大衆文化を開いた。後任者がこの宣言を発展させるべきだったが、こじれさせた」
--すべて国内政治を意識した側面があるのでは。尹大統領はどうか。
「韓日関係は国内政治と直結している。うまくやって当然という考えだ。ところが尹大統領は一歩出過ぎた。だから(国内的に)衝撃があった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)、文在寅(ムン・ジェイン)の20年間の空白を一度に埋めようとした。今回は始まりであり、終わりではない。尹錫悦-岸田宣言になるのか何になるかは分からないが、うまく終えれば1965年の国交正常化、1998年の金大中-小渕宣言に続いて韓日関係の新しい基点になるだろう」
【インタビュー】「尹錫悦と岸田、ドゴールとアデナウアーのように北東アジアの新たな枠組みを」(2)
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