桜のシーズンが近づいている。韓国から日本に桜を見に行く人も多いようだ。日本は全国各地に桜の名所が多い。桜が咲き始めるころには天気予報のように「桜前線」と呼ばれる全国の開花予想日を知らせるニュースが登場する。人々はこれを見て花見の計画を立てる。例えば私の故郷大阪は、今年は3月19日ごろ桜が咲き始めるという。
大阪の代表的な桜の名所のひとつが大阪城だ。私は大阪城でアルバイトをしたことがある。韓国で2年留学した後、大学院で通翻訳を専攻し韓国語で働けるところを探して大阪城で仕事を得た。韓国人観光客が増え彼らの質問に韓国語で答えたり、韓国語で案内放送をするアルバイトだった。
団体ツアーで来た韓国人観光客が「プンシンスギルは嫌い!」と話す姿を何度も見た。この時、初めて韓国では豊臣秀吉を「プンシンスギル」と呼ぶという事実を知った。大阪城はまさにその秀吉が作った城だ。
当時アルバイトのためうんざりするほど通った大阪城だが、今年初めに大阪に初めて遊びにきた友人の息子を連れて久しぶりに行ってみた。中学生である友人の息子は歴史の勉強のため城内の展示をゆっくり見て回ったが、秀吉の年表のうち壬辰倭乱(文禄の役)に関する部分を読んで「そんなことがあったのか」と驚いた。日本の学校でも壬辰倭乱に対して学びはするが忘れてもおかしくないほど少しだけ教えたようだ。私も韓国で留学し韓国で壬辰倭乱の存在感と日本で知られているレベルの差がとても大きいことがわかった。加害者と被害者という違いもあるが、歴史の現場が韓国にあるのもその理由であるようだ。私は韓国で地方を旅行しながら壬辰倭乱に関連したところをたくさん見ることになった。
◇パリ万国博覧会で世界的に有名に
私にとって大阪城で最も印象的だったのは「黄金茶室」だ。すべて金色で装飾された茶室は秀吉が使った所だが実物は焼失し現在の姿は復元されたものだ。私は初めて見た時からこの黄金茶室が美しいというより不快だった。茶道は精神的に落ち着くことを追求する。だから華麗なものよりは質素なイメージを持っている。ところがこの黄金茶室は朝鮮を侵略した秀吉の「欲」がよく表れた象徴のように見える。
1月中旬、東京・日本橋の高島屋百貨店で開かれる「薩摩焼十五代沈壽官展」を見た。薩摩焼は鹿児島で作られる陶磁器だ。世界的に知られる薩摩焼の陶芸家、沈寿官の先祖は朝鮮出身で、丁酉再乱(慶長の役)の際に日本に連れてこられた沈当吉(シム・ダンギル)だ。以前から関心はあったがその日はちょうど第15代沈寿官(第12代から父から受け継いだ名前を使っている)の話を直接聞けるギャラリートークがあるというので行ってみた。
私を含め日本で多くの人が沈寿官について知ることになった契機は、司馬遼太郎が書いた『故郷忘じがたく候』という本を通じてだろう。司馬遼太郎(1923~1996)は日本で最も有名な歴史小説家だ。『故郷忘じがたく候』のモデルは第14代沈寿官だが2019年に亡くなった。
朝鮮から陶工たちを拉致して日本に連れてきたのはは秀吉の黄金茶室と関係がある。当時茶道が流行し、特に朝鮮の陶磁器が人気があった。沈当吉を薩摩に連れてきた大名の島津義弘は秀吉の茶室に刺激され朝鮮侵略で先頭に立ったという。
第15代沈寿官はギャラリートークの際、昨年韓国・金浦(キンポ)にある先祖の墓地を訪れた話もした。墓地参拝は沈当吉が日本に連れて行かれてから424年ぶりという。「全く会ったこともない遠い親戚らが歓迎してくれ戸惑いもしたがおもしろかった」と話す。青松(チョンソン)沈氏の会合だったが日本はそのような遠い親戚が集まる機会がなく珍しかっただろう。しかしこのように先祖を遡ることができるのを見ると沈当吉は平凡な陶工ではなかったようだ。ある記事を見ると義兵活動をしていて連れて行かれたという。
【コラム】15代にわたり日本で花咲く沈寿官陶芸、挑戦精神を醸す(2)
大阪の代表的な桜の名所のひとつが大阪城だ。私は大阪城でアルバイトをしたことがある。韓国で2年留学した後、大学院で通翻訳を専攻し韓国語で働けるところを探して大阪城で仕事を得た。韓国人観光客が増え彼らの質問に韓国語で答えたり、韓国語で案内放送をするアルバイトだった。
団体ツアーで来た韓国人観光客が「プンシンスギルは嫌い!」と話す姿を何度も見た。この時、初めて韓国では豊臣秀吉を「プンシンスギル」と呼ぶという事実を知った。大阪城はまさにその秀吉が作った城だ。
当時アルバイトのためうんざりするほど通った大阪城だが、今年初めに大阪に初めて遊びにきた友人の息子を連れて久しぶりに行ってみた。中学生である友人の息子は歴史の勉強のため城内の展示をゆっくり見て回ったが、秀吉の年表のうち壬辰倭乱(文禄の役)に関する部分を読んで「そんなことがあったのか」と驚いた。日本の学校でも壬辰倭乱に対して学びはするが忘れてもおかしくないほど少しだけ教えたようだ。私も韓国で留学し韓国で壬辰倭乱の存在感と日本で知られているレベルの差がとても大きいことがわかった。加害者と被害者という違いもあるが、歴史の現場が韓国にあるのもその理由であるようだ。私は韓国で地方を旅行しながら壬辰倭乱に関連したところをたくさん見ることになった。
◇パリ万国博覧会で世界的に有名に
私にとって大阪城で最も印象的だったのは「黄金茶室」だ。すべて金色で装飾された茶室は秀吉が使った所だが実物は焼失し現在の姿は復元されたものだ。私は初めて見た時からこの黄金茶室が美しいというより不快だった。茶道は精神的に落ち着くことを追求する。だから華麗なものよりは質素なイメージを持っている。ところがこの黄金茶室は朝鮮を侵略した秀吉の「欲」がよく表れた象徴のように見える。
1月中旬、東京・日本橋の高島屋百貨店で開かれる「薩摩焼十五代沈壽官展」を見た。薩摩焼は鹿児島で作られる陶磁器だ。世界的に知られる薩摩焼の陶芸家、沈寿官の先祖は朝鮮出身で、丁酉再乱(慶長の役)の際に日本に連れてこられた沈当吉(シム・ダンギル)だ。以前から関心はあったがその日はちょうど第15代沈寿官(第12代から父から受け継いだ名前を使っている)の話を直接聞けるギャラリートークがあるというので行ってみた。
私を含め日本で多くの人が沈寿官について知ることになった契機は、司馬遼太郎が書いた『故郷忘じがたく候』という本を通じてだろう。司馬遼太郎(1923~1996)は日本で最も有名な歴史小説家だ。『故郷忘じがたく候』のモデルは第14代沈寿官だが2019年に亡くなった。
朝鮮から陶工たちを拉致して日本に連れてきたのはは秀吉の黄金茶室と関係がある。当時茶道が流行し、特に朝鮮の陶磁器が人気があった。沈当吉を薩摩に連れてきた大名の島津義弘は秀吉の茶室に刺激され朝鮮侵略で先頭に立ったという。
第15代沈寿官はギャラリートークの際、昨年韓国・金浦(キンポ)にある先祖の墓地を訪れた話もした。墓地参拝は沈当吉が日本に連れて行かれてから424年ぶりという。「全く会ったこともない遠い親戚らが歓迎してくれ戸惑いもしたがおもしろかった」と話す。青松(チョンソン)沈氏の会合だったが日本はそのような遠い親戚が集まる機会がなく珍しかっただろう。しかしこのように先祖を遡ることができるのを見ると沈当吉は平凡な陶工ではなかったようだ。ある記事を見ると義兵活動をしていて連れて行かれたという。
【コラム】15代にわたり日本で花咲く沈寿官陶芸、挑戦精神を醸す(2)
この記事を読んで…