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【崔相龍元駐日大使】「金大中・小渕宣言」に反対した安倍首相、20年後「これが政治的決断」(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

1998年10月8日の「金大中(キム・デジュン)-小渕宣言」の産婆役、崔相龍(チェ・サンヨン)元駐日大使は「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と岸田文雄首相が共にこの宣言を引き継ぐと述べたので、両国相互信頼の典範になることも可能」と話した。崔元大使の後ろに「求同存異(=違いを認めながら同じものを追求)」という文字が見える。 チェ・ヨンジェ記者

尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の訪日は、修交以降で最悪の状態と評価されていた韓日関係を復元させる第一歩だった。尹大統領と岸田文雄首相は16日、首脳会談直後の共同記者会見で「1998年の韓日パートナーシップ共同宣言(金大中-小渕宣言)を引き継ぐ」と述べた。韓日関係が悪化の一途をたどる間、忘れられていた金大中(キム・デジュン)-小渕恵三宣言が、両国関係の復元と新しい関係確立の典範としてよみがえったのだ。その文書の中には「痛切な反省と心からのおわび」という表現がある。元老政治学者の崔相龍(チェ・サンヨン)元駐日大使(2000-02)は25年前、金大中(キム・デジュン)-小渕宣言を生み出す過程で核心の役割をした産婆役だった。23日、崔氏にソウル方背洞(パンベドン)の自宅で会い、金大中-小渕宣言の誕生の過程と今日の現実に与える教訓を尋ねた。

--金大中-小渕宣言を出すうえで大きな役割をしたと聞いている。

「宣言は一日で作られたものではなく、少なくない期間、緻密な準備作業をしたものだ。金大中大統領は1998年に就任すると、同年10月、日本国賓訪問と新しい韓日関係宣言を緻密に準備した。大学教授だった私は金大統領の就任直後に連絡を受け、最初の準備過程から最後まで参加することになった。準備をしながら最も注力したのは金大統領の日本国会演説だった。演説で金大統領は『日本は韓日パートナーシップ共同宣言を通じて過去に対する深い反省とおわびを表明し、私はこれを両国国民間の和解と今後の善隣友好を志向する日本政府と国民の心の表現として真摯に受け止めた』と述べた」


--宣言の最も大きな意味は。

「2つある。1つは1965年の国交正常化以降、韓日両国の政府、国民、専門家などすべての領域で広範囲な支持を受けた唯一の共同宣言という点だ。また、両国の最も責任ある政治家である大統領と首相が合意して出した最初の宣言という点だ。この2つの意味を満たす宣言はこれまで金大中-小渕宣言しかない」

--宣言が出てくるまで日本とはどんな意思疎通と交渉をしたのか。

「15ページほどの分量の共同宣言は、20世紀の終わりに21世紀を眺めて戦略的に整えた文書だ。11件の核心内容とそれを実践する43件の行動計画を盛り込んだ。その中で最も苦労したのはやはり『痛切な反省と心からのおわび』をどう具体化するかという歴史条項だった。その次に難しかったのが10件目の文化条項だ。当時、日本の漫画やアニメの韓国進出反対世論が80%ほどだった。日本の大衆文化開放をどう説得するかがカギだったが、深く悩んで答えが出てきた。英語のミューチュアルラーンニングプロセス(mutual learning process)、すなわち互いに習う過程として考えようという論理だった」

--日本はなぜ今回、金大中-小渕宣言を引き継ぐと述べたのか。その一方で歴代内閣の立場を全体として引き継ぐと言いながらも、反省とおわびという言葉に言及しなかった理由は何か。

「日本でも金大中-小渕宣言を取り上げたのは最近になって初めてだ。両国ともにこの宣言を認めているため、相互信頼の典範になることも可能だ。争点の解決にも役に立つだろう。『全体として引き継ぐ』という部分をよく読む必要がある。これはむしろ日本の立場としてはさらに重いものかもしれない。歴代内閣の立場の中には村山談話と菅直人談話も含まれる。菅直人談話は韓日併合は韓国国民の意思に反するという内容を含む。したがって我々は菅直人談話でいくらでも日本を批判することができる。日本としては『菅直人談話を引き継ぐ』というような表現はできないだろう」

--金大中-小渕宣言以降、韓日関係が反転して一段階さらに成熟し、両国にどんな結果をもたらしたのか。

「これで歴史問題はある程度終わったと見ることができる。歴史反省と和解協力、それを日本と韓国が未来を志向しながら進めることになったということだ。人的、物的往来を通じて生じる無形の利益は言い表せないほどだ。私が会った日本人の高官の中で金-小渕宣言に反対する人はいなかった。当時、安倍晋三元首相だけが反対したという。その安倍首相も現職首相として出席した2018年の金-小渕宣言20周年記念で『私は金大中-小渕宣言に反対したが、当時はまだ若く、日本が歴史問題において韓国にあまりにも譲歩するようでそのようにした。いま思うと政治的決断は必要だろうと思う』と演説した。これを生かさなければいけない。そうすれば我々にもよく、相手を批判できる強い根拠になる可能性がある」

--金大中-小渕宣言の後、駐日大使として在職したが、韓日関係のさまざまな経験の中で教訓になる事例を紹介してほしい。

「当時、日本各地を訪問しながら金大中-小渕宣言の精神を130回ほど講演した。講演外交という公共外交のジャンルを作ったと自負している。一度、『自国を愛する愛国心と隣国を配慮する気持ちが矛盾することがあるかもしれないが、それを同時に持つことができるリーダーシップが韓国にも不足するが、日本でも私が見るにかなり不足している』という内容のコラムを書いたことがあったが、日本の大学の入学試験にそのコラムを読んで論じる問題が出題された。自分たちが好きでない国の一介の大使の文だが、そのように評価され、平均的な日本の国民は信頼できるという考えになった。我々が注目した歴史歪曲教科書の採択率は0.039%だった。金大中-小渕宣言の精神を誠実に説明して実践すれば突破口が開かれるという教訓と確信を持った。我々が韓日関係を考える時、平均的な日本人の感性をよく考えなければいけない。日本の人たちが拒否できない批判をしてこそ我々の交渉力が高まる」


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