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「私が日本を叱った? そうではない」…「第2の故郷は韓国」という米国教授の忠告

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

高麗史専門家のエドワード・シュルツ教授が13日に北東アジア歴史財団で中央日報とインタビューをしている。キム・ジョンホ記者

「私の本貫はボストンで、第2の故郷は韓国」という米国の学者がいる。ハワイ大学のエドワード・シュルツ名誉教授だ。彼はケネディ米大統領が韓国など当時の開発途上国に派遣した平和奉仕団の最初の団員で、1970年代に韓国に来た。釜山(プサン)の慶南(キョンナム)高校で英語を教えながら出会った歴史教師との縁で韓国の歴史、その中でも高麗史に興味を持って生涯を捧げている。その功労で10日に第29回庸斎(ヨンジェ)新進学術賞を受賞し、13日には北東アジア歴史財団で高麗史関連の講演を開いた。講演とインタビューで彼は最大限韓国語で答えようと努めた。

ユーチューブで彼の名前を検索すれば「日本を厳しく叱るハーバード大学教授」と間違って紹介されていたりもする。韓国に対する愛情は断トツだが学者としての冷静さと論理もやはり重視する彼と講演後に北東アジア歴史財団で会った。現代韓国語でも読むのが難しい『高麗史概要』など、多くの古書を英語に翻訳している。以下は一問一答の要旨。

――なぜ高麗史に引かれたか。


「平和奉仕団第1期として来るまではこうなるとは思わなかった(笑)。しかし慶南高校で会った当時のパク・ギョンウォン校長が高麗史は興味深いと勧めてくれ、ハワイ大学の恩師もやはり高麗史を専攻とすることを推薦した。朝鮮に比べ高麗は(海外でも)あまり注目されておらず残念だ。高麗時代はジェンダーイシューで見ても息子と娘が遺産相続を同等に受けるなど、さまざまな面で非常に先を行く時代だった。今回庸斎新進学術賞を受賞したのは高麗史に対する気持ちが通じたようでありがたい。高麗時代から本貫という概念が強くなり、私も『私の本貫は(米国)ボストン』と話したりする(笑)」

――平和奉仕団の思い出を聞かせてほしい。

「第1期として来た当時、韓国は韓国戦争(朝鮮戦争)の傷跡から次第に抜け出し再び自負心を取り戻していく時期だった。いまも良いが当時釜山・海雲台(ヘウンデ)の砂浜は本当に最高だった。良い人たちと幸せな縁を結んだ」。

――慶南高校で教えた時期を見ると文在寅(ムン・ジェイン)前大統領も学生だった時代だが。

「学生ということは知っていたが、私と重なることはなかった」

――ユーチューブやブログなどで「ハーバード大学教授」とたびたび紹介されるのはなぜだろうか。

「(姿勢を直しながら)それについては言いたいことが多い。私はハーバード大学教授でなく誇らしいハワイ大学教授だ。そんなユーチューブをモニタリングしてみると私を日本を批判して韓国の肩を持つように表現しているが、私はもちろん韓日関係に関心が多く韓国を生涯研究してきたが、韓日関係は私の研究の中心点ではないということを明確にしたい。日本に住んで良い時間を過ごしたこともあり、私の立派な韓国の友人の中でも日本文化が好きな人は少なくない。感情的な非難は互いに良いことがない」

――尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の訪日結果が話題だ。

「韓国政府が新たな構想をしたという点は認知する。その構想で影響を受ける人たちがどのように受け止めるのかが重要だ。私が韓国政府にああしろこうしろとは言えず、そうするつもりもない。重要なのは、韓国と日本が互いに聞く耳を持たなければならないという点だ。日本は自国の多くの文化が中国に源を発したものだが事実上韓国があったので到来したという点を忘れてはならない」

――日本で講演やインタビューをするとしても今回と同じように答えるか。

「もちろんだ。韓国と日本は過去にしばられてはならないが、日本は過去の帝国主義に対して責任を負う部分があるということもやはり忘れてはならない。韓国と日本の歴史に苦痛な点が多いが両国だけがそうだったのでもない。世界の多くの国が苦痛の歴史を互いにうまく克服していく。その過去に足かせをかけられ後退してはならない。重要なことはどちらか一方だけの努力ではなく、双方がともに努力しなければならないという点だ」。



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