中国が伝統的な関係を崩して自ら帝国がなることで危機を抜け出そうという試みは、朝鮮内で反発を招くしかなかった。特に近代化を推進した知識人は下関条約後に中国の使節を迎えたところに独立門を建てた。彼らは日本の軍国主義の危険性を見ず、清の脅威と朝鮮政府の無能ばかりを見た。
もちろん朝鮮政府はすべてに無能というわけではなかった。当時、中国の没落とフランスのベトナム植民地化を眺めながら、自立のために大韓帝国を宣言した。近代化のための改革を実施し、米国・ロシアとの外交を通じて危機から抜け出そうとした。しかし朝鮮半島に関心がなかった米国、内部問題で崩れたロシアは大韓帝国を助けることができなかった。
【コラム】朝鮮が植民地になった責任は? 歴史の政治的解釈は危険(1)
もちろん朝鮮政府はすべてに無能というわけではなかった。当時、中国の没落とフランスのベトナム植民地化を眺めながら、自立のために大韓帝国を宣言した。近代化のための改革を実施し、米国・ロシアとの外交を通じて危機から抜け出そうとした。しかし朝鮮半島に関心がなかった米国、内部問題で崩れたロシアは大韓帝国を助けることができなかった。
【コラム】朝鮮が植民地になった責任は? 歴史の政治的解釈は危険(1)
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