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【コラム】朝鮮が植民地になった責任は? 歴史の政治的解釈は危険(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
◆米露が助けられない状況

中国が伝統的な関係を崩して自ら帝国がなることで危機を抜け出そうという試みは、朝鮮内で反発を招くしかなかった。特に近代化を推進した知識人は下関条約後に中国の使節を迎えたところに独立門を建てた。彼らは日本の軍国主義の危険性を見ず、清の脅威と朝鮮政府の無能ばかりを見た。

もちろん朝鮮政府はすべてに無能というわけではなかった。当時、中国の没落とフランスのベトナム植民地化を眺めながら、自立のために大韓帝国を宣言した。近代化のための改革を実施し、米国・ロシアとの外交を通じて危機から抜け出そうとした。しかし朝鮮半島に関心がなかった米国、内部問題で崩れたロシアは大韓帝国を助けることができなかった。


富国強兵のための改革もすでに遅かった。19世紀末に朝鮮政府は農民の蜂起を防ぐため清国の軍隊を要請し、日清戦争の原因を提供した。さらに近代化のための甲午改革と光武改革が知識人と国民の目には単なる王室のための作業として映った。このため近代的な知識人に朝鮮政府と清は近代化を遮る旧勢力、日本は新しい改革のためのモデルだった。

◆日本をモデルにした開化派知識人

朝鮮だけでなく中国とベトナムの青年にも当時の日本は理想的な国だった。彼らは東アジアとあまりにも異なる欧州よりも日本をモデルに近代的な改革を進めることができると判断した。金玉均(キム・オクギュン)の考えは魯迅の考えと変わらなかった。

問題は近代的知識人が日本の近代化が民主主義的改革の道でなく軍国主義の道という点を予測できなかった点だ。正常な近代化の道ではなかった。結局、彼らの一部は国を日本に売って恩賜金を受け、日本軍国主義のために青年を動員して軍需物資を支援する道を歩んだ。日本帝国が永遠だと考えた。

このように旧韓末の歴史は一つの原因だけに責任を転嫁するにはあまりにも複雑だった。数百年間も経験したことがなかった新しい時代が開かれ、近代化に失敗した清と朝鮮が没落し、軍国主義日本を中心にして国際秩序が再編されたが、誰も変化の性格をまともに読むことができなかった。朝鮮政府のみならず改革派も、日清・日露戦争で利益を得た日本の軍国主義列車が暴走して太平洋戦争で崩壊にいたる過程を読めず、米国と英国を鬼畜と批判した。

◆政治的扇動の可能性を警戒すべき

このように複雑な当時の状況について、歴史学界はその原因がどこにあるかについて論争を進めた。ここには当時の朝鮮政府と開化派知識人に対する評価がその核心にあった。日本の軍国主義化と清の没落は議論されない歴史的事実だったからだ。では、果たして何が朝鮮の植民地化で最も決定的な要因になったのか。

答えは一つでない。さまざまな要因のうちどれか一つを強調することは可能だが、だからといって別の要因を無視することはできないからだ。こうした要因が互いに絡み合いながら相互間に原因と結果を提供した。したがって歴史認識の政治化はあまりにも危険だ。政治的目的でただ一つの要因だけを強調することで政治的扇動につながる可能性があるからだ。ファシズムと軍国主義下で見られた形だ。

省察すべき歴史的イシューはあまりにも多い。こうしたイシューが政治的に利用されないようにするためには、何よりもまず学界の論争が生き返らなければいけない。研究と論争は、根拠さえもまともに提示しないサイトが市民の歴史認識を支配している現実を克服するためのものでもある。学界と市民社会の距離を狭める時、歴史がこれ以上政治的に利用されなくなるだろう。

パク・テギュン/ソウル大国際大学院教授


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