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[ウクライナルポ]「韓国大好き」指ハート…坊主頭の6歳、数千キロの必死の脱出

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

4日(現地時間)、ポーランド・ワルシャワの難民保護施設「グローバルエキスポ難民キャンプ」で会ったダビド君(6)は、「韓国大好きです!」と韓国語で言いながら、以前韓国人ボランティアと撮った写真を見せた。ワルシャワ=キム・ホンボム記者

今月3日(現地時間)、ウクライナのキーウ(キエフ)を出発し、バスで計18時間移動し、4日午後に到着したポーランド・ワルシャワ。中心部の通りやショッピングモールで真っ先に目に入ったのはウクライナ国旗だった。ポーランドの首都にポーランド国旗と共にウクライナ国旗が風になびいていた。昨年3月、中央日報がここを訪れた当時、各種文化施設やレストランに両国の国旗が一緒に掲げられていた様子はそのままだった。これまでウクライナを積極的に支援してきたポーランドの姿を端的に見せる場面だった。

同日訪れたワルシャワのウクライナ難民保護施設。現在、約1000人が滞在している。ウクライナ国旗に太極旗をはじめ、米国や英国の国旗が並んで掲げられていた。この施設に支援を惜しまい国に対する感謝を示すため、該当国の国旗を掲げてあるという。ウクライナ人の職員オルガさん(36)の後について入った教室で会ったウクライナの子供たちは、記者に抱きついて韓国に対する感謝の気持ちを表現した。

◇韓国語で名前を書いた6歳の少女


ここの子供たちにとって韓国人は「会えば楽しい人」だ。韓国人ボランティア団体が毎週土曜日の午前、子供たちと遊ぶボランティア活動をしていた。同日午前にも韓国人ボランティアが訪れた。ウクライナ中部のドニプロから昨年4月に避難してきた6歳の少女ビウちゃんは、額に韓国語の文字で自分の名前を書いて見せた。ダビドくん(6)もたどたどしい韓国語で「韓国大好きです」と記者に親指と人差し指を交差させる「指ハート」をして見せた。韓国人ボランティアから学んだ挨拶だ。

子供たちの無邪気な笑顔の裏には悲しい物語があった。ウクライナ南東部のマリウポリに住んでいたダビドさんは、戦争が起こると祖父アレクサンドルさん(66)の手を取って昨年5月に故郷を離れた。戦争で道が閉ざされるとロシア領土に渡った後、エストニアなどを経てワルシャワまで数千キロメートルを越える命をかけた脱出を果たした。

ダビドさん一家は故郷に帰る日を待ちわびている。ダビドさんの祖父アレクサンドルさんは「戦争が終わればマリウポリが素晴らしく再建される様子を見に帰る」と話した。

しかし、その日がいつ来るかは誰も知らない。だから、むしろここで生計を立てる術を探そうとする難民もいる。施設のニキータ君、ポリーナちゃん、クリスティーナちゃんの3人兄弟の母親イリーナさん(38)は「まだ子供たちが幼く、言語が違う問題もあるが、それでも子供たちの安全が優先」とし「戦争が終わってもここで仕事を探して留まりたい」と話した。

ポーランドはウクライナ戦争勃発後、最も多くのウクライナ難民を受けた国の一つだ。国連難民機関(UNHCR)によると、先月31日基準で戦争後、計933万人のウクライナ人がポーランドに渡った。開戦初期、ポーランド人は自宅にウクライナ人を快く滞在させ、戦争の痛みに触れた。現在も156万人のウクライナ難民がポーランドに残っている。

◇悪縁から盟邦に変わった両国

難民受け入れの他にもポーランドは最も積極的にウクライナを支援している国だ。戦争初期、ソ連時代の主力戦車のT72を多く提供したのに続き、今年に入って自国内に保有している戦車レオパルト2を製造国のドイツの承認なしにウクライナに支援すると発表し、ドイツも戦車をウクライナに支援するよう圧力をかけた。昨年12月、ロシアの追跡を避けて米国を秘密裏に訪問したウクライナのゼレンスキー大統領が帰路で会った首脳もポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領だった。17世紀にポーランドがウクライナ西部を支配し、20世紀の第2次世界大戦時代にはウクライナでポーランド人が虐殺された両国の悪縁を考えれば滄海桑田に他ならない。

共通の敵であるロシアが両国を盟邦にしたのだ。今回のロシア侵攻で友好関係が一層深まっているようだ。

◇ポーランド「ウクライナ助けたい」…「戦争が早く終わってほしい」

ワルシャワで会ったポーランド人たちも依然としてウクライナを助けたいと思うと話した。ポーランド人男性ラデックさん(51)は「ポーランド人の大半はロシアの不当な侵攻に対抗したウクライナ国民を支持している」とし、「ポーランドで働くウクライナ人が増え、ポーランドの労働力不足現象を解消する肯定的な影響もある」と話した。また、「戦争以前もウクライナ人が職を探すために多くポーランドに入ってきたが、戦争以降ははるかに近くなったと感じる」と言った。実際、この日ワルシャワのマートなどでは従業員らがウクライナ語を使う様子が確認された。

ただ、困難がないわけではなかった。匿名希望の40代のポーランド人女性は「私たちがウクライナを助けたことからインフレが激化した」とし、「以前は家にあった人形1つまで分けてあげたかったが、もう疲弊しているのも事実」と伝えた。ポーランド人女性マジェナさん(48)も「戦争以降、不動産賃貸料が暴騰した」とし「大変なウクライナ人を助けるのは正しいが、早く戦争が終わってほしいというのが正直な心情」と話した。



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