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【時視各角】高麗金銅仏像は永遠だ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1日、大田(テジョン)高裁が日本の寺の所有権を認めた金銅観音菩薩坐像(左)と京畿道楊坪の龍門寺の金銅観音菩薩坐像。高麗時代の仏像の特徴を見せている。 [写真 文化財庁]

横56センチ、縦45.5センチ、高さ50.5センチ、重さ38.6キロの仏像1点がある。高麗末の金銅観音菩薩坐像だ。専門家らは高麗時代の仏像の典型と評価する。温和で平たい顔、首飾り、頭の宝冠、膝を覆う瓔珞など豊かで開放的な高麗の雰囲気がある。

この仏像が最近イシューになっている。いや、過去10年間ほどずっとイシューになっていた。所有権をめぐり韓国と日本が対立してきた。これまで2度の訴訟があったが、1審では韓国に、2審では日本に軍配が上がった。大法院(最高裁)の判決までは相当な時間が残っているが、両国の自尊心、外交力と国際法までがかかわる事案であり、論争は続くとみられる。

最も大きな問題は、この仏像が韓国人が日本から盗んできた文化財というところにある。2012年10月、韓国人4人が対馬の観音寺(クァンウムサ)に所蔵されていた仏像を窃取し、釜山(プサン)で持ち込もうとして摘発された。一言でいえば贓物に該当する。その後、様相が複雑になった。忠清南道瑞山(ソサン)の浮石寺(ブソクサ)側が元来の所有権を主張し、2016年に韓国政府を相手に訴訟を起こした。1951年に日本の寺側が仏像腹蔵遺物から発見した「1330年に高麗瑞州(瑞山)浮石寺でこの仏像がつくられた」という結縁文を根拠に挙げた。倭寇が略奪したと主張し、1審裁判所もこれを認めた。


1日の2審の判断は違った。700年前の高麗の浮石寺と現在の浮石寺を同じ寺と見ることはできず、倭寇が盗んでいった状況はみられるが、観音寺が両国の民法、国際法基準である20年以上占有してきた点を挙げて日本側の所有権を認めた。

2審に対する反応も比較される。韓国曹渓宗は「略奪文化財に対する免罪符を与えた、(文化財返還の)最も悪い先例を提供した没歴史的判決」とし、直ちに反発した。半面、日本メディアは「韓日関係改善の流れを後押しする」「両国関係改善の雰囲気に冷や水を浴びせる事態は避けた」という形で報じた。

ところが共に「ファクト」でない。韓国としては残念だが、倭寇が仏像を奪っていったという史料をまだ探せていない。日本メディアの解釈も我田引水だ。高麗仏像と強制徴用の間にはいかなるつながりもない。2審裁判所も「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、韓国政府は国際法の理念・協約などを考慮して仏像返還問題を扱う必要がある」と指摘した。

特に日本の反応が適切でない。2015年の軍艦島ユネスコ世界遺産登録、最近の佐渡金山世界遺産登録再推進決定過程で消した朝鮮人強制労役にいかなる措置も取っていない状況ではないのか。また新年の外交演説で独島(ドクト、日本名・竹島)が日本の領土という主張を10年連続で繰り返した。今回の判決は「『反日無罪』の流れが変化したことをうかがわせる」(読売)という評価はむしろ事態を歪曲するだけだ。

我々も毅然と対応する必要がある。文化財の返還は複雑で微妙なイシューだ。今回の仏像は「盗んで行ったもの(推定)をまた盗んできた」という未曾有のことであり、緻密な接近が必要だ。文化財の返還では不法・不当搬出を立証する資料の確保が核心であるからだ。決して感情で進める事案ではない。略奪の事実を先に立証し、国際法手続きに基づいて所有権を返してもらうのが文化国家の品格でありグローバルスタンダードだ。

今後の大法院の判決は予断できない。ただ、「もともと我々のもの」という渇望の論理だけを出せば名分と実利を共に失いかねない。たとえ仏像を日本に返すことになっても高麗仏像が日本仏像に化けることはない。判決に一喜一憂する事件でないということだ。学問的考証と外交的対応、国際的共感という宿題が我々の前にある。それはまさにKカルチャーの自尊心を守る道だ。「現世では厄難をなくして幸福を受け、後世では共に極楽に生まれることを願う」という仏像の発願文を反すうしてみる。仏法と不法は全く違う。

パク・ジョンホ/首席論説委員



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