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【グローバルアイ】名前のない英雄=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

愛国の志士のオ・ソンギュさんが1990年に受賞した建国勲章民族愛賞。名前が光復軍時期の仮名であるチュ・テソクのままになっている。[写真 キム・ヒョンイェ東京特派員]

今月4日午前10時半、東京練馬区のある住宅街。地域の公園では赤く黄色い紅葉がきれいに色づいていた。子どもたちの明るい笑い声が響く。その横にある古い賃貸住宅。車椅子が一つ、ぽつんと置かれている。玄関の前の傘立てにあるビニール傘はホコリをかぶっていた。玄関には汚れがついた名刺一枚が名札の代わりについている。SUNG KYU OH。日本国内唯一の光復軍生存者、愛国の志士のオ・ソンギュさん(99)の名前だ。

ドアノブを回すと、簡単にドアが開く。通りかかった隣人が一言声をかけてくれる。「ヘルパーさんがよく来るのでドアを開けたままにしてるんですよ」。オさんは野球中継をつけたままうたた寝をしている。手足が不自由なので外出は簡単ではない。訪ねてくる人々もいない。一日4回、区庁から派遣されているヘルパーが唯一だ。妻に先立たれ、日本人妻の親族が後見人となっている。午前11時ごろに訪問したヘルパーが用意した白粥と果物を食べた後、不自由そうな足取りで歩いていってソファに腰を下ろしたオさんが口を開いた。「そろそろお迎えが来たようです。ひどく痛いのです」。

ソファの横の食器棚には勲章が置かれている。「大統領盧泰愚(ノ・テウ)」という名前が勲章の文字より大きい。1990年になってようやく受賞した建国勲章民族愛賞に書かれている名前はチュ・テソク。光復軍時期の仮名だが、30余年が過ぎた今でも実名入りの勲章をもらうことができなかった。100歳になろうというのに「名前のない英雄」として残っているのだ。


少し元気になったオさんが昔の話に上気した。故郷は平安北道宣川(ピョンアンブクド・ソンチョン)。中学校卒業を控えた16歳、中国重慶の光復軍第3支隊に入隊した。光復軍に入ってから金九(キム・グ)先生に会って挨拶もした。独立運動のために落下傘訓練に行っている間に光復(解放)の知らせを聞いた。なぜ志願したのかと聞いたら、凛とした声でこう言った。「我が国が独立しなければならないでしょう。その時が一番幸せだったと思います」。インタビューを終えて帰ろうとしたら、オさんがドアのところまでついてきた。「久しぶりに韓国語でこんなふうに話ができて、どれほどうれしいか分からない」。

毎年11月11日になれば、日本では在日学徒義勇軍の主催で韓国戦争(朝鮮戦争)で最も激しかった戦闘に挙げられる長津湖の戦いの戦死者を追悼する行事が開かれる。戦争当時、日本にいた青年と学生642人が志願したが、このうち日本で生存しているのはたった2人だという。

それだけだろうか。辛い歴史を耐え忍び、日本に住んでいる韓国国籍の100歳以上の同胞は26人にすぎない。時間は容赦なく過ぎていく。ことあるごとに権力者の口から出る「忘れてはならない」という言葉は彼らの前ではただ虚しいだけだ。

キム・ヒョンイェ/東京特派員



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