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【コラム】梨泰院惨事を通して見る共同体的責任=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

梨泰院惨事4日目だった1日、ソウル龍山区(ヨンサング)の緑莎坪(ノクサピョン)駅広場に設けられた合同焼香所に多くの市民が訪れ弔問している。[写真 大統領実写記者団]

4つ目の穴はメディアだ。我々のメディアが預言の賜物を試演する間、日本のメディアはハロウィーン行事の前日に市民が安全のために心得ておくべき事項を詳細に報道したという。このような報道に接したかどうかが混雑状況では大きい差を生み出す可能性がある。事故後に我々のメディアが犯人捜しに没頭する間、原因を分析して詳細に報道したのは日本のメディアだった。そのような混雑状況で生命を守る安全守則を伝えたのは米国のメディアだった。我々には専門家もいないのだろうか。そのような記事に我々は引用報道で接する。

最後の穴は歪んだ市民意識だ。この渦中にも「文在寅(ムン・ジェイン)政権だったら事故がなかったはず」と信じる集団と、大統領・主務長官・自治体の首長が負うべき指揮責任まで否定する集団が互いに争う。156人の犠牲はこの人たちにはこうした政治的攻防の素材にすぎない。

国のお金で12年間の義務教育をしても、我々は「因果的」思考よりも「応報的」思考に慣れている。原因を究明する論理的な談論よりも、責任を問う犯人を捕まえる遊びが好きだ。例えば「ウサギのヘッドバンドの男を捜せ」。その遊びの末、結局、末端警察官が犯人に挙げられた格好だ。ついに犯人を見つけたメディアは喜んだ。大統領までがこの人たちを「法と原則に基づいて厳正に処理すべき」と指示を出した。この人たちが共同体全体の罪をあがなう犠牲の羊になる格好だ。


私の目にはこれが不条理に見える。またセウォル号の前轍を踏むのだろうか。存在もしない犯人を捕まえようと特別調査委員会を数回開いたが成果はあったのか。そのような大きな犠牲を払い、大騒ぎをして、海上の安全が少しでも良くなったのか。「青年たち、申し訳ない」。この言葉がまた登場した。実際に問いただすべきは「共同体的責任」だ。この事故の責任から自由な人は誰もいない。みんなが共犯だ。それを認めない限り、我々はこれからも申し訳ないと言うしかない。永遠に申し訳ないを繰り返すつもりなのか。

陳重権(チン・ジュングォン)/元東洋大教授


【コラム】梨泰院惨事を通して見る共同体的責任=韓国(1)

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