忠清南道論山市魯城面(チュンチョンナムド・ノンサンシ・ノソンミョン)には坡平尹氏(パピョン・ユンシ)が集まって暮らす集落がある。同地は坡平尹氏を系譜を継ぐ尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の父親である尹起重(ユン・ギジュン)延世(ヨンセ)大学名誉教授の故郷だ。数百年間、集落を形成してこの地を守ってきた坡平尹氏は文化遺跡も数多く残してきた。
代表的なものが明斎故宅(重要民俗文化財190号)と宗学堂(忠南有形文化財152号)だ。明斎故宅は朝鮮儒学者の明斎尹拯(ミンジェ・ユンジュン)(1629~1714)の弟子と息子・孫が作った。1643年に建てられた宗学堂(チョンハクダン)は坡平尹氏の私設教育機関だ。このうち宗学堂には注目を集めている1本の木がある。先月30日亡くなったミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が植えた松の木だ。
◆ゴルバチョフ氏、2008年に宗学堂を訪問
坡平尹氏一族などによると、2008年10月2日に訪韓したゴルバチョフ氏は宗学堂に立ち寄って松の木で記念植樹を行った。当時、論山韓民(ハンミン)大学で開かれた「第1回韓民族国際平和フォーラム」に出席したことを機に同地に立ち寄った。ゴルバチョフ氏が植えた松の木は樹齢30年ほどになる。
現在、宗学堂には松の木と一緒に記念碑が設置されている。記念碑には「ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領宗学堂訪問記念植樹」という文字が刻まれている。すぐ近くにはゴルバチョフ氏が宗学堂の芳名録に残した署名(ロシア語)を写し刻んだ碑石も設置されている。碑石には「ゴルバチョフ元ソ連大統領が2008年10月2日宗学院を表敬訪問して芳名録に手決(サイン)したものを金石文としてここに残す」という文言も刻まれている。
ゴルバチョフ氏の宗学堂訪問は尹氏一族の知人を通じて実現したという。尹拯宗家の子孫であるユン・ワンシクさんは「国際通訳に堪能な知人を通じて『ゴルバチョフ氏の訪問に力添えをお願いしたい』と要請して実現した」とし「400年の歴史をもつ教育機関があるというのでゴルバチョフ氏が訪問要請に応じてくれた」と伝えた。ユンさんは「当時、海外著名人が来るといえば安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)などだけを訪れる傾向があった」とし「忠清南道論山にも韓国を代表する由緒正しい場所があると知人を通じて説得したことを思い出す」と付け加えた。
◆記念植樹後、浄水楼(チョンスル)で昼食
当時ゴルバチョフ氏は記念植樹をした後、宗学堂内の浄水楼に登り、同行した金雲龍(キム・ウンヨン)前IOC委員(死去)らと昼食を共にした。当初、坡平尹氏一族では宗学堂と近隣の明斎故宅の2カ所を訪問してほしいと要請したが、日程上の理由で宗学堂1カ所だけを立ち寄ったという。
1日、宗学堂で会った坡平尹氏宗家の親族は「前職ではあるがゴルバチョフ氏の訪問が一族と地域には大きな栄光だった」とし「宗学堂に滞在している間、施設や歴史について多くの質問が行き来したことを覚えている」と話した。明斎尹拯先生の宗家の子孫であるユン・ワンシクさんは「当時、忠清南道などでゴルバチョフ氏宗学堂訪問の便りを信じないほど異例のことだった」とし「(そのため)袞竜袍(コンリョンポ、龍の刺繍が施されていた衣装で王や王世子が身につけた)を準備していたが、着用してもらえなかったことが心残り」と話した。
◆尹大統領の父親、尹起重名誉教授の老成が故郷
尹大統領はソウル生まれだが、尹起重名誉教授は幼少時代を論山と公州(コンジュ)で過ごし、公州農高を卒業した。尹大統領は坡平尹氏35世で朝鮮時代に老論派の宋時烈(ソン・シヨル)と対立した少論派のリーダーだった尹拯が彼の9代先祖の従祖父だ。
論山魯城面と公州市灘川面(タンチョンミョン)一帯には今でも坡平尹氏が数多く住んでいる。斎室がある魯城面丙舎里(ピョンサリ)にも坡平尹氏10世帯余りが住んでいる。近隣の明斎故宅には数百カ所のチャンドクテ(味噌壺置き場)が残っている。
代表的なものが明斎故宅(重要民俗文化財190号)と宗学堂(忠南有形文化財152号)だ。明斎故宅は朝鮮儒学者の明斎尹拯(ミンジェ・ユンジュン)(1629~1714)の弟子と息子・孫が作った。1643年に建てられた宗学堂(チョンハクダン)は坡平尹氏の私設教育機関だ。このうち宗学堂には注目を集めている1本の木がある。先月30日亡くなったミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が植えた松の木だ。
◆ゴルバチョフ氏、2008年に宗学堂を訪問
坡平尹氏一族などによると、2008年10月2日に訪韓したゴルバチョフ氏は宗学堂に立ち寄って松の木で記念植樹を行った。当時、論山韓民(ハンミン)大学で開かれた「第1回韓民族国際平和フォーラム」に出席したことを機に同地に立ち寄った。ゴルバチョフ氏が植えた松の木は樹齢30年ほどになる。
現在、宗学堂には松の木と一緒に記念碑が設置されている。記念碑には「ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領宗学堂訪問記念植樹」という文字が刻まれている。すぐ近くにはゴルバチョフ氏が宗学堂の芳名録に残した署名(ロシア語)を写し刻んだ碑石も設置されている。碑石には「ゴルバチョフ元ソ連大統領が2008年10月2日宗学院を表敬訪問して芳名録に手決(サイン)したものを金石文としてここに残す」という文言も刻まれている。
ゴルバチョフ氏の宗学堂訪問は尹氏一族の知人を通じて実現したという。尹拯宗家の子孫であるユン・ワンシクさんは「国際通訳に堪能な知人を通じて『ゴルバチョフ氏の訪問に力添えをお願いしたい』と要請して実現した」とし「400年の歴史をもつ教育機関があるというのでゴルバチョフ氏が訪問要請に応じてくれた」と伝えた。ユンさんは「当時、海外著名人が来るといえば安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)などだけを訪れる傾向があった」とし「忠清南道論山にも韓国を代表する由緒正しい場所があると知人を通じて説得したことを思い出す」と付け加えた。
◆記念植樹後、浄水楼(チョンスル)で昼食
当時ゴルバチョフ氏は記念植樹をした後、宗学堂内の浄水楼に登り、同行した金雲龍(キム・ウンヨン)前IOC委員(死去)らと昼食を共にした。当初、坡平尹氏一族では宗学堂と近隣の明斎故宅の2カ所を訪問してほしいと要請したが、日程上の理由で宗学堂1カ所だけを立ち寄ったという。
1日、宗学堂で会った坡平尹氏宗家の親族は「前職ではあるがゴルバチョフ氏の訪問が一族と地域には大きな栄光だった」とし「宗学堂に滞在している間、施設や歴史について多くの質問が行き来したことを覚えている」と話した。明斎尹拯先生の宗家の子孫であるユン・ワンシクさんは「当時、忠清南道などでゴルバチョフ氏宗学堂訪問の便りを信じないほど異例のことだった」とし「(そのため)袞竜袍(コンリョンポ、龍の刺繍が施されていた衣装で王や王世子が身につけた)を準備していたが、着用してもらえなかったことが心残り」と話した。
◆尹大統領の父親、尹起重名誉教授の老成が故郷
尹大統領はソウル生まれだが、尹起重名誉教授は幼少時代を論山と公州(コンジュ)で過ごし、公州農高を卒業した。尹大統領は坡平尹氏35世で朝鮮時代に老論派の宋時烈(ソン・シヨル)と対立した少論派のリーダーだった尹拯が彼の9代先祖の従祖父だ。
論山魯城面と公州市灘川面(タンチョンミョン)一帯には今でも坡平尹氏が数多く住んでいる。斎室がある魯城面丙舎里(ピョンサリ)にも坡平尹氏10世帯余りが住んでいる。近隣の明斎故宅には数百カ所のチャンドクテ(味噌壺置き場)が残っている。
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