故国を訪問中にスパイの疑いを受けて獄中生活を送った後、40年後の再審で無罪を宣告された在日韓国人事業家の故ソン・ユヒョン氏(1929~2014)の遺族が22億ウォン(約2億2500万円)余りの刑事補償金を受ける。
24日、法曹界によると、ソウル高裁刑事7部(イ・ギュホン、チョ・グァングク、イ・ジヨン部長判事〕は、政府がソン氏の遺族に拘禁および費用に対する補償として22億7300万ウォン余りを支給するよう決定した。
油類関連部品を韓国に普及する販売会社を設立・運営していたソン氏は1981年4月25日午前10時頃、国家安全企画部(安企部、現・国家情報院)の捜査官らによって法に則った令状もなく連行された。
逮捕後、外部との連絡が遮断されたまま違法に拘禁されたソン氏は46日間、安企部の捜査官に拷問され、容疑を認める供述書を書いた。ソン氏は同年6月9日、「日本を拠点とした迂回浸透スパイ」とされ、拘束された。
大阪在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)商工会幹部を務め、1964年に日本に秘密裏に派遣された北朝鮮の工作員に誘い込まれ、スパイ行為を行ったという疑いだ。
ソン氏は裁判で「安企部の拷問に勝てず、虚偽の陳述をした」とし、潔白を主張したが、1981年11月に裁判所は死刑と没収を宣告し、最高裁まで行った末、刑が確定した。
その後、懲役刑に減刑されたソン氏は1998年3月に仮釈放されて日本に帰った後、2014年に他界した。ソン氏の死後、遺族が再審を請求した。
ソウル高裁刑事12-1部〔チェ・ボンヒ、チン・ヒョンミン、キム・ヒョンジン部長判事(当時)〕は昨年10月、ソン氏が安企部に違法に逮捕・拘禁された状態で過酷な行為と懐柔により虚偽の陳述をしたと認め、ソン容疑者の無罪を宣告した。
検察は上告したが、最高裁も「法理と記録に鑑み、原審の判断に証拠能力に関する法理を誤解した誤りはない」とし、今年1月に無罪を確定した。
24日、法曹界によると、ソウル高裁刑事7部(イ・ギュホン、チョ・グァングク、イ・ジヨン部長判事〕は、政府がソン氏の遺族に拘禁および費用に対する補償として22億7300万ウォン余りを支給するよう決定した。
油類関連部品を韓国に普及する販売会社を設立・運営していたソン氏は1981年4月25日午前10時頃、国家安全企画部(安企部、現・国家情報院)の捜査官らによって法に則った令状もなく連行された。
逮捕後、外部との連絡が遮断されたまま違法に拘禁されたソン氏は46日間、安企部の捜査官に拷問され、容疑を認める供述書を書いた。ソン氏は同年6月9日、「日本を拠点とした迂回浸透スパイ」とされ、拘束された。
大阪在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)商工会幹部を務め、1964年に日本に秘密裏に派遣された北朝鮮の工作員に誘い込まれ、スパイ行為を行ったという疑いだ。
ソン氏は裁判で「安企部の拷問に勝てず、虚偽の陳述をした」とし、潔白を主張したが、1981年11月に裁判所は死刑と没収を宣告し、最高裁まで行った末、刑が確定した。
その後、懲役刑に減刑されたソン氏は1998年3月に仮釈放されて日本に帰った後、2014年に他界した。ソン氏の死後、遺族が再審を請求した。
ソウル高裁刑事12-1部〔チェ・ボンヒ、チン・ヒョンミン、キム・ヒョンジン部長判事(当時)〕は昨年10月、ソン氏が安企部に違法に逮捕・拘禁された状態で過酷な行為と懐柔により虚偽の陳述をしたと認め、ソン容疑者の無罪を宣告した。
検察は上告したが、最高裁も「法理と記録に鑑み、原審の判断に証拠能力に関する法理を誤解した誤りはない」とし、今年1月に無罪を確定した。
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