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<韓中修交30年>北方政策設計者の朴哲彦氏「核再配備カードで中国と北核談判しなければ」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
Q:韓国外交が顔色をうかがっているという指摘もある。

A:「30年前には中国の顔色をうかがう必要はなかった。韓国が先にソ連と国交を正常化し北朝鮮と同時国連加盟をしたのであせる理由はなかった。むしろ中国が韓国と修交しないわけにはいかない状況だった。米国と日本が問題だった。外交・情報ラインを通じて対北朝鮮や共産圏との接触などを通知したが、保安のため細かいことまでは共有しなかった。ハンガリーとの修交時は発表48時間前に米国に通知し米国が相当な不満を示したりもした」。

Q:尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の対中外交はどのように評価するか。


A:「自由・人権・平和・福祉など普遍の価値を追求する価値外交はさまざまな負担と困難が存在するしかない。ただこの方向にウエイトを移さなければならないという現実は認める。そうだとしても韓中が現実的に経済・社会・文化的に相互依存度が高いので韓国の避けられない立場を中国にしっかり説明して納得させ、均衡・調和点を見いだしていくことは難しい課題だ。この部分がさらに重要になると考える。事実30年前には中国が政治的に民主化に進み人権を伸張させる方向で普遍的価値を追求するものと予想したが完全にはずれた。30年が過ぎても民主化と人権保障ができない状況が続くとは思わなかった」。

Q:中国とはどのように信頼関係を構築したか。

A:「熱心に会って説明した。1991年7月に中国を訪問したが中国側で革命第1世代と元老を説得しなくてはならないとして手紙を書いてくれと言われた。そこで『韓中修交が北朝鮮を難しくさせるのではなく、南北と中国みんなが得する』という内容の長文の手紙を書いた。大統領の裁可を得てトウ小平、楊尚昆国家主席、李鵬首相、万里全国人民代表会議常務委員長、江沢民総書記の5人に20ページを超える手紙を伝えた。その手紙が韓中修交に決定的寄与をした」。

Q:台湾との断交決定も容易ではなかったようだ。

A:「中国と修交交渉を終える過程で台湾はおろそかにした。台湾との断交が避けられなくても格式を整えて台湾が憤激しないように説明すべきだった。ところが韓中修交を3日後に控えた92年8月21日に事前予告もなく在韓中華民国大使館に「24時間以内の出国」を通知し、台湾の所有だった大使館と資産を差し押さえて中国に譲渡した。韓国は台湾に配慮できず、台湾は韓国に裏切りと憤怒を感じて外交関係を整理した」。

Q:対北朝鮮政策を助言するならば。

A:「安保は強力で完ぺきでなければならないが、対北朝鮮政策は柔軟でなければならない。北朝鮮が韓半島の半分を実効統治する実体であることを認め共存を前提にしなくてはならない。政権と関係なくどんな場合でも人道的支援は継続して北朝鮮を対話の場に導かなければならない。また、持続可能な対北朝鮮政策推進に向け与野党、非政府組織(NGO)、青年層を含んだ官民高位級諮問機関が必要だ。国民的に合意した対北朝鮮政策基調があってこそ持続可能な対北朝鮮政策も可能になるためだ」。

Q:尹大統領の「大胆な構想」をどのように評価するか。

A:「大胆な構想は交渉初期から経済支援を積極的に講じる内容だ。プライドが高い北朝鮮はこうした戦略に呼応しにくい。北朝鮮は核・ミサイルを持っているので韓国を見くびっている。むしろ実効的南北関係を展開して戦争を予防するためには『恐怖の均衡』が必要だ。拡大抑止戦略だけでは不十分だ。『北朝鮮が核を持てば韓国も米国の戦術核を再配備したり独自の核開発に乗り出すほかはない』点を強調しなくてはならない。北朝鮮が1992年1月に『韓半島非核化共同宣言』に合意するように導いたように互いに廃棄する方式がむしろ現実的だ」。


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