2019年11月、亡命意思を表明していたにもかかわらず、文在寅(ムン・ジェイン)政府が北朝鮮に追放した漁民が送還直前に激しく抵抗する様子が写された写真が公開された。12日、韓国統一部は2019年11月7日午後に脱北漁民2人を北朝鮮に送還した当時、板門店(パンムンジョム)で撮影した写真10枚をメディアに公開した。脱北漁民2人は同月2日、イカ釣り木船に乗って東海(トンへ、日本名・日本海)の北方限界線(NLL)を越えて南下し、韓国海軍によって拿捕された。当時、文在寅政府は通常は2~3カ月はかかる合同調査を3日で終了した後、北側に「漁民と船舶を送還する」と通知し、北側はこれを承諾した。
写真は目隠しをされ縄で手首を縛られたまま板門店(パンムンジョム)に連れてこられた北朝鮮漁民2人が警察の手に引きずられながら北側に引き渡されるまでの状況を時間順に写している。「漁民の亡命意思には真意がなかった」「漁民は死んでも(北朝鮮に)戻ると話した」という文在寅政府の主張が色褪せる場面だ。実際、漁民は自筆や口頭で数回亡命の意向を明らかにしていた。
写真は板門店内の控室にそれぞれ黒と青のジャンパーを着た2人の漁民が捕縛されたまま座っている場面から始まる。当時、国家安保室は北朝鮮への送還のために警察特攻隊員8人を動員した。漁民が自害する恐れがあるという理由だったが、この時から物理的な抵抗に備えていたのではないかという指摘が出る。当時、亡命漁民は複数の警察に両腕をつかまれた状態で軍事境界線に連れて行かされた。青のジャンパーを着た漁民は諦めたように頭を下げて自分の足で歩いていったが、黒のジャンパーを着た漁民は送還されるまいと明らかに抵抗する様子だった。
軍事境界線の直ぐ前で目隠しを外されると、2人はその時初めて北朝鮮に送還される事実を直感したかのように、連れて行かれまいとと抵抗した。当時の状況に精通した前職政府高位関係者は「板門店付近で漁民の目隠しを外すと、1人は驚いたように警察につかまれた腕を抜こうと大声を上げて反抗した」と話した。続いて「残りの1人は跪いて地面に伏せた」と伝えた。1人は足をバタバタさせて板門店の建物の前で倒れたが、関係者7人が駆け寄って彼の体を起こして立ち上がらせた。
結局、軍事境界線の前まで連れられてこられた北朝鮮漁民はラインの前で手を差し出している北朝鮮兵士に引き渡された。軍事境界線の幅50センチ、高さ5センチのコンクリートの縁石の上に一歩だけ足をかけ、連れて行かれないように胴体を後ろに引いて抵抗する様子も写真に含まれた。
この日、統一部は当時の写真を公開して「通常、板門店で北朝鮮住民の送還時に記録次元で写真を撮影してきた」とし「国会の要求により写真を提出し、記者団にも公開する」と明らかにした。この前日、趙重勲(チョ・ジュンフン)報道官が定例会見で「北朝鮮に引き渡される場合、(漁民が)受けることになるさまざまな被害を考慮すると、脱北漁民の送還は明らかに誤っていた部分がある」と発表していた。
当時、北朝鮮漁民2人は拿捕当時から「亡命したい」という立場を明らかにしていたという。3年前に行われた北朝鮮漁民拿捕作戦に精通した政府関係者は12日、中央日報の電話取材に対して「その年11月2日、海軍艦艇が拿捕した北朝鮮漁船に乗船して立ち入り検査をする過程で、北朝鮮漁民2人が口頭で明らかに『南側に帰順したい』という意思を明らかにした」と伝えた。この関係者は「当時の作戦に投入された人々は彼らがわずか5日後に北朝鮮に追放された事実をメディアの報道で聞いて相当な衝撃を受けた」と話した。関係者は「当時拿捕作戦に投入された要員の立場では、彼らが当然適法な亡命手順を踏んで韓国に定着するものと思っていた」と明らかにした。
2人の漁民は11月2日の拿捕後に行われた調査でも自筆で亡命意向書も作成した。だが、当時青瓦台(チョンワデ、元大統領府)や国家情報院などが11月5日、北朝鮮に送還する意志を通知した。この日、文在寅当時大統領が金正恩(キム・ジョンウン)委員長に韓国答礼の訪問を要請する親書を送った。
写真は目隠しをされ縄で手首を縛られたまま板門店(パンムンジョム)に連れてこられた北朝鮮漁民2人が警察の手に引きずられながら北側に引き渡されるまでの状況を時間順に写している。「漁民の亡命意思には真意がなかった」「漁民は死んでも(北朝鮮に)戻ると話した」という文在寅政府の主張が色褪せる場面だ。実際、漁民は自筆や口頭で数回亡命の意向を明らかにしていた。
写真は板門店内の控室にそれぞれ黒と青のジャンパーを着た2人の漁民が捕縛されたまま座っている場面から始まる。当時、国家安保室は北朝鮮への送還のために警察特攻隊員8人を動員した。漁民が自害する恐れがあるという理由だったが、この時から物理的な抵抗に備えていたのではないかという指摘が出る。当時、亡命漁民は複数の警察に両腕をつかまれた状態で軍事境界線に連れて行かされた。青のジャンパーを着た漁民は諦めたように頭を下げて自分の足で歩いていったが、黒のジャンパーを着た漁民は送還されるまいと明らかに抵抗する様子だった。
軍事境界線の直ぐ前で目隠しを外されると、2人はその時初めて北朝鮮に送還される事実を直感したかのように、連れて行かれまいとと抵抗した。当時の状況に精通した前職政府高位関係者は「板門店付近で漁民の目隠しを外すと、1人は驚いたように警察につかまれた腕を抜こうと大声を上げて反抗した」と話した。続いて「残りの1人は跪いて地面に伏せた」と伝えた。1人は足をバタバタさせて板門店の建物の前で倒れたが、関係者7人が駆け寄って彼の体を起こして立ち上がらせた。
結局、軍事境界線の前まで連れられてこられた北朝鮮漁民はラインの前で手を差し出している北朝鮮兵士に引き渡された。軍事境界線の幅50センチ、高さ5センチのコンクリートの縁石の上に一歩だけ足をかけ、連れて行かれないように胴体を後ろに引いて抵抗する様子も写真に含まれた。
この日、統一部は当時の写真を公開して「通常、板門店で北朝鮮住民の送還時に記録次元で写真を撮影してきた」とし「国会の要求により写真を提出し、記者団にも公開する」と明らかにした。この前日、趙重勲(チョ・ジュンフン)報道官が定例会見で「北朝鮮に引き渡される場合、(漁民が)受けることになるさまざまな被害を考慮すると、脱北漁民の送還は明らかに誤っていた部分がある」と発表していた。
当時、北朝鮮漁民2人は拿捕当時から「亡命したい」という立場を明らかにしていたという。3年前に行われた北朝鮮漁民拿捕作戦に精通した政府関係者は12日、中央日報の電話取材に対して「その年11月2日、海軍艦艇が拿捕した北朝鮮漁船に乗船して立ち入り検査をする過程で、北朝鮮漁民2人が口頭で明らかに『南側に帰順したい』という意思を明らかにした」と伝えた。この関係者は「当時の作戦に投入された人々は彼らがわずか5日後に北朝鮮に追放された事実をメディアの報道で聞いて相当な衝撃を受けた」と話した。関係者は「当時拿捕作戦に投入された要員の立場では、彼らが当然適法な亡命手順を踏んで韓国に定着するものと思っていた」と明らかにした。
2人の漁民は11月2日の拿捕後に行われた調査でも自筆で亡命意向書も作成した。だが、当時青瓦台(チョンワデ、元大統領府)や国家情報院などが11月5日、北朝鮮に送還する意志を通知した。この日、文在寅当時大統領が金正恩(キム・ジョンウン)委員長に韓国答礼の訪問を要請する親書を送った。
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