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【時視各角】数学界のノーベル賞を受賞した韓国人、日本人教授から数学の魅力を

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

ホ・ジュンイ教授に数学の無限の楽しみを案内した広中平祐教授。[中央フォト]

啐啄同機だ。ひよこが卵から出るには子と母鶏が互いに内側と外側から突かなければならないという仏教の話だ。数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を韓国系の学者として初めて受賞したプリンストン大学のホ・ジュンイ教授(39)もひよこの時代があった。ソウル大学物理学部に通っていた彼は2008年に母校招聘教授として来た日本の広中平祐氏と会い数学の魅力を知ることになった。

空から落ちたかのように途轍もない注目を浴びたホ教授はこれに対しあまりにも冷静だった。受賞インタビューは「道士との対話」のように聞こえた。40歳にもならない若い学者だなと思った。「周りの人々みんな学ぶ点がある」「友達と先生がロールモデル」「家事をして掃除して毎日同じ日常」など、「腹が減れば食べ、眠たければ寝る」という禅僧すら連想された。

ホ教授の平常心は「母鶏」の広中教授に似た。1970年、やはり39歳の遅い年齢でフィールズ賞(40歳以下に受賞制限)を取った広中氏はこれを素心といった。素心は「もともと持っていた心」。「数学の達人」は相手の立場になることだと説明する。偏見と先入観がない状態だ。「相手と一体になって考えれば想像もできなかった問題の原因を発見する。数学もそうだ。『問題』が『自分』なのか、『自分』が『問題』なのかわからないほど互いに融合した状態になって解決の糸口を見つけることになる」(『学問の楽しみ』)と述べた。


事実数学は日常人と距離が遠い。生きるのにこれといった助けにならないのに全力を尽くして問題集をつかんで生きてきた学生時代は後悔してもしきれないほどだ。ところが広中氏は余裕がある。「人間の頭脳は過去に習得したものの極めて一部しか記憶できない。それなのになぜ苦労して学ぶのか。知恵を得るためだ。全く学んだことがない人と違い、最小限心の準備はできているではないか。学ぶことは浪費ではない。たくさん学び、たくさん忘れろ。もう一度たくさん学べば良い」。

広中氏の話の中には若いホ・ジュンイが入っている。「無名の人にさらに多く学んだ」「近くにいる人が師匠」「人生は直線でない。曲折の繰り返し」とした。それぞれ詩人(ホ・ジュンイ)とピアニスト(広中)を夢見ていたのに数学者になった旅程も類似する。

広中氏が『学問の楽しみ』でほぼ唯一現実の政治に言及した部分がある。事実と論理を追求する数学と違い、推定と憶測に依存する政治を警戒して1970年代の米国最大の政治スキャンダルであるウォーターゲート事件を引用する。「ニクソン大統領は辞任危機でも『私が何をしたというのか』として泣いて座り込んだ。事実そのまま公表して適切な責任を負ったならば辞任にまではいかなかっただろう。大統領の権威に安住した希望的観測が事実を隠し歪曲させた」。与野党を問わず事実確認は後回しで、弁解・詭弁だけ前面に出す昨今の韓国政界が重なる。政権は変わったが政治土壌は以前そのまま、いや後退したような昨今だ。「相手側の誤りがもっと大きい」として相互誹謗だけでなく内部射撃までいとわない『囚人のジレンマ』に閉じ込められた格好だ。

今春公開された映画『不思議の国の数学者』がある。問題解決に汲々とした韓国の数学教育の内外を描いた。こうした貧土で育ったホ教授もまた「不思議の国の数学者」ではないかと思う。「答がない問題を解き、それが正しいのか確認・証明するのが数学者だ。数学ももまれてこそ愛することになる」という映画の主人公がホ教授に似ているからだ。

それならもう「不思議の国の政治家」も出てくる時になっていないだろうか。「小中学校の時1クラスに40~50人ずついる友達を知っていく過程が自分を成長させた滋養分になった」というホ教授を信じてみる。政治家ほど多くの友達(国民)を持つ職業もないのではないか。国民を言い訳に時々刻々ねたましく思う「用心」ではなく真に国民の痛いところを推し量る「素心」を待つ。それがだめなら国民はいつでも「別れる決心」をする。

パク・ジョンホ/首席論説委員



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