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ロシア「スカスカ部隊」の悪夢…40歳以上も軍服務、プーチンが法律変えた(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

プーチン大統領

先月28日、英BBCは「プーチン大統領が契約制軍人募集の上限年齢をなくす法律改正案に署名した」と報道した。これまでは「18~40歳のロシア人」または「18~30歳の外国人」だけ志願できた。改正案を通じ「40歳以上のロシア人」も募兵に志願できるようになったのだ。

ウクライナ戦争が消耗戦の様相に変化しながら兵力不足を緩和しようとする措置だ。だが根本的な原因はロシアの兵役制度の累積した問題点に起因する。兵役制度は韓国の国防改革でも最も論争的な分野だ。したがってロシアとウクライナが歩んできた道を分析し、示唆点を導出することは意味があると考える。

◇いつ・どんな順序でするかがより重要


冷戦時代、ソ連は服務期間2年(海軍は3年)の徴兵制を施行した。冷戦崩壊後、ロシアは徴兵制と募兵制を並行する方式に変化を試みた。徴集兵士の服務期間を減らし契約制専門職業軍人を増やす方式だった。だが国防予算不足で募兵がしっかりできずほとんどの部隊の編成比率が50%以下に落ちた。「スカスカ部隊」になったのだ。

1994年の第1次チェチェン戦争で問題点が表れた。ロシア国防省は部分動員を建議したが、当時のエリツィン大統領は反対デモを意識し認めなかった。総参謀部は臨時に特殊任務部隊を編成するほかなかった。1個師団から増強された1個連隊を編成し、不足する兵力は残りの連隊から補充する方式だった。1個旅団から1個大隊戦術団を編成する現在の方式の始まりといえる。結果的に小規模特殊任務部隊は編成したが、残りの部隊の戦闘力が犠牲になった。

チェチェン戦争で徴集兵士の犠牲が増え、世論は徴兵制撤廃を強く主張した。政界も世論に従っていった。2001年11月、プーチン大統領は徴兵制を段階的に廃止し、2010年までに契約による専門職業軍人に変える計画を承認した。だが2009年までに確保した専門職業軍人は約19万人で、全兵力約100万人の20%未満だった。徴兵制廃止が不可能な状況になったのだ。だがプーチン大統領は世論を意識し徴集兵士の服務期間を18カ月から12カ月に減らし、彼らが国境外の軍事作戦に投入されることを法で禁止した。

服務期間12カ月は訓練所で実施する基本と主特技教育6カ月と戦闘部隊勤務6カ月で構成される。戦術訓練に熟達する前に転役するほかない。プーチン大統領が徴集兵士の国外軍事作戦投入を禁止したのは死傷者発生にともなう政治的負担のほか、実質的な戦闘力発揮に役に立たなかったためだ。

兵力補充方式の二元化は部隊構造にも悪影響を及ぼした。平時には徴集兵士と契約兵士が同じ部隊に勤務し、国外作戦に投じる時は徴集兵士を除くため再編成が避けられなかった。徴集兵士が参戦するためには募兵契約書に署名が必要だ。ウクライナ戦争に投入された一部兵士が「強要で署名した」と証言するのはこのような過程で発生した問題点だ。結局服務期間、兵力補充、部隊構造、戦闘力発揮の悪循環が続くのだ。

◇準備できていない募兵制転換は危険

冷戦後、ウクライナも徴兵制から徴兵・募兵混合制度への変化を試みた。だがウクライナもやはり処遇問題などで募兵がしっかりとできなかった。それにもかかわらず政界は現実から目をそらした。2005年初めのオレンジ革命で執権した親西側政権が2010年までに徴兵制を廃止し職業軍人だけで軍を維持する計画を発表したのが代表的だ。最初から実現不可能な計画だった。


ロシア「スカスカ部隊」の悪夢…40歳以上も軍服務、プーチンが法律変えた(2)

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