韓国では国民が大統領を直接選ぶ「87体制」以降、歴代大統領は就任初期に国民との距離を狭めるべく努力を傾けてきた。盧泰愚(ノ・テウ)元大統領は大統領として初めて自分のことを「私(わたくし)」と称し、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は青瓦台(チョンワデ、大統領府)のランチメニューに韓国式うどん(カルグクス)を入れ、金大中(キム・デジュン)元大統領は権威主義の遺物として聞こえる「閣下」の代わりに「大統領様」と呼ぶようにさせた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は小学生のために車から降りてサインをし、李明博(イ・ミョンバク)元大統領は「大統領様~」から始まる青瓦台報告書から「様」を取るようにした。朴槿恵(パク・クネ)元大統領は大統領単独で上席に座る形態の部署別業務報告慣例を破り、文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は構内食堂で列に並んでトレイに食べ物を自分で取って入れた。どの大統領も脱権威、愛民のリーダーシップで国政を導こうと思った初心からそうしたに違いない。
尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府スタートから1週間が経とうとしている中で政権交代を実感させる場面が各方面で目撃されている。尹錫悦大統領夫妻は就任式場を訪れた前職大統領に腰を曲げて礼を表し、大統領室を移した龍山(ヨンサン)庁舎の近くの高齢者の敬老堂(韓国の高齢者向けの地域福祉施設)やオリニチプ(保育施設)に立ち寄って「転入報告」をした。大統領の出勤途中に令夫人が伴侶動物と一緒に見送る姿も、大統領室庁舎ロビーで大統領が取材陣とその場で質疑応答する姿も「青瓦台時代」には見られなかったことだ。
参謀も知らなかった大統領夫妻の休日の外出やデパート靴ショッピングも話題だ。就任翌日、大統領室首席秘書官会議で「靴の裏がすりへるほど仕事をしなければならない」と求めた尹大統領が参謀陣と内閣に送る無言のメッセージなのかもしれないという考えがよぎる。
少しずつ鮮明になる尹大統領の国政スタイルは実践・実力・実用という3つのコードに要約されるようだ。一度した約束は融通がきかないという批判にも必ず「実践」に移そうとする姿だった。安保の空白、官邸リフォームにかかる時間や費用など多くの論争にも「青瓦台を国民にお返しする」という約束はとにかく守った格好になった。大統領選挙遊説の際に「必ずまた来る」と言った在来市場などの現場を実際に就任後に訪ねて行ったこともある。地方選挙介入論争を招きながらも守った「約束と民生」行動だった。
尹大統領の人選原則は「実力」第一主義で集められた。「実力がある人々を選んで国民にしっかりと仕える」という基調によって性別割当、地域配分など人為的不偏不党は二の次になった。
業務方式は「実用」を旗じるしに掲げる。円形テーブルをぐるりと囲むように座って行われた参謀会議で、尹大統領は「服装も自由に、いいたいこともいいなさい」としてフリースタイルを叫ぶ。
このように変化した風景の中でも、新政府が発足すればいつも体験した衝突や混乱もまたなくはなかった。大統領執務室移転過程などからもたらされた新・旧権力争いは盧武鉉と李明博の政権移譲期の葛藤を見るようにヒヤヒヤした。何より新政府で話題の「ソ六男」(ソウル大・60台・男性)人事は過去李明博政府の「高ソ嶺」〔高麗(コリョ)大・ソマン教会・嶺南(ヨンナム)〕、朴槿恵政府の「成考京」〔成均館(ソンギュングァン)大・考試・京畿(キョンギ)高〕、文在寅(ムン・ジェイン)政府の「ケムコト」〔キャンプ(韓国語「ケムプ」)・コード・共に民主党(韓国語「トブロミンジュダン)〕人事問題と違うところはなかった。大統領室の要職に小学校・高校・大学の同窓生を起用し、義理や人情を重んじるいわゆる「情実」人事問題を呼んだのも同じだ。大統領室の金脈や支出などを掌握する秘書官・付属室など主要権力を検察出身で埋めて「大検(最高検)出張所」論争を生んだ。公務員スパイ偽造事件で、過去に性的スキャンダルで停職または警告を受けた人々が瑞草洞(ソチョドン)の縁で大統領室に抜擢され、公正と常識という国政運営基調が色あせた。
大統領選挙当時、尹錫悦候補を支えたが途中で決別した金鍾仁(キム・ジョンイン)元「国民の力」非常対策委員長は2020年の回顧録『永遠の権力はない』を執筆した理由として「繰り返される歴史の既視感」を挙げた。華々しくスタートしたものの、同じ過ちで空しく崩壊することを繰り返してきた過去の政権を振り返り、老政客は本で深く嘆いた。
繰り返される不幸の連鎖を断ち切るために彼が提示した解決法は相手を包み込む包容、結局は統合の政治だ。ドイツ皇帝ウィルヘルム1世が、頑固で信念が強く、皇帝の話もよく聞かないビスマルク首相を長く重用することによって統一ドイツ帝国の基礎を固めた事例を提示しながらだ。
尹錫悦政府の5年後はどんな姿だろうか。金鍾仁氏が残念がった過去の前轍を踏まないようにするためには、統合に障害物となる無理やり方式の“不通人事”は避けなければならない。16日の国会施政演説で野党の象徴カラーに近い空色のネクタイを締めて約束した協力政治の初心は最後まで刻んでいてほしいと思う。
キム・ヒョング/政治エディター
尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府スタートから1週間が経とうとしている中で政権交代を実感させる場面が各方面で目撃されている。尹錫悦大統領夫妻は就任式場を訪れた前職大統領に腰を曲げて礼を表し、大統領室を移した龍山(ヨンサン)庁舎の近くの高齢者の敬老堂(韓国の高齢者向けの地域福祉施設)やオリニチプ(保育施設)に立ち寄って「転入報告」をした。大統領の出勤途中に令夫人が伴侶動物と一緒に見送る姿も、大統領室庁舎ロビーで大統領が取材陣とその場で質疑応答する姿も「青瓦台時代」には見られなかったことだ。
参謀も知らなかった大統領夫妻の休日の外出やデパート靴ショッピングも話題だ。就任翌日、大統領室首席秘書官会議で「靴の裏がすりへるほど仕事をしなければならない」と求めた尹大統領が参謀陣と内閣に送る無言のメッセージなのかもしれないという考えがよぎる。
少しずつ鮮明になる尹大統領の国政スタイルは実践・実力・実用という3つのコードに要約されるようだ。一度した約束は融通がきかないという批判にも必ず「実践」に移そうとする姿だった。安保の空白、官邸リフォームにかかる時間や費用など多くの論争にも「青瓦台を国民にお返しする」という約束はとにかく守った格好になった。大統領選挙遊説の際に「必ずまた来る」と言った在来市場などの現場を実際に就任後に訪ねて行ったこともある。地方選挙介入論争を招きながらも守った「約束と民生」行動だった。
尹大統領の人選原則は「実力」第一主義で集められた。「実力がある人々を選んで国民にしっかりと仕える」という基調によって性別割当、地域配分など人為的不偏不党は二の次になった。
業務方式は「実用」を旗じるしに掲げる。円形テーブルをぐるりと囲むように座って行われた参謀会議で、尹大統領は「服装も自由に、いいたいこともいいなさい」としてフリースタイルを叫ぶ。
このように変化した風景の中でも、新政府が発足すればいつも体験した衝突や混乱もまたなくはなかった。大統領執務室移転過程などからもたらされた新・旧権力争いは盧武鉉と李明博の政権移譲期の葛藤を見るようにヒヤヒヤした。何より新政府で話題の「ソ六男」(ソウル大・60台・男性)人事は過去李明博政府の「高ソ嶺」〔高麗(コリョ)大・ソマン教会・嶺南(ヨンナム)〕、朴槿恵政府の「成考京」〔成均館(ソンギュングァン)大・考試・京畿(キョンギ)高〕、文在寅(ムン・ジェイン)政府の「ケムコト」〔キャンプ(韓国語「ケムプ」)・コード・共に民主党(韓国語「トブロミンジュダン)〕人事問題と違うところはなかった。大統領室の要職に小学校・高校・大学の同窓生を起用し、義理や人情を重んじるいわゆる「情実」人事問題を呼んだのも同じだ。大統領室の金脈や支出などを掌握する秘書官・付属室など主要権力を検察出身で埋めて「大検(最高検)出張所」論争を生んだ。公務員スパイ偽造事件で、過去に性的スキャンダルで停職または警告を受けた人々が瑞草洞(ソチョドン)の縁で大統領室に抜擢され、公正と常識という国政運営基調が色あせた。
大統領選挙当時、尹錫悦候補を支えたが途中で決別した金鍾仁(キム・ジョンイン)元「国民の力」非常対策委員長は2020年の回顧録『永遠の権力はない』を執筆した理由として「繰り返される歴史の既視感」を挙げた。華々しくスタートしたものの、同じ過ちで空しく崩壊することを繰り返してきた過去の政権を振り返り、老政客は本で深く嘆いた。
繰り返される不幸の連鎖を断ち切るために彼が提示した解決法は相手を包み込む包容、結局は統合の政治だ。ドイツ皇帝ウィルヘルム1世が、頑固で信念が強く、皇帝の話もよく聞かないビスマルク首相を長く重用することによって統一ドイツ帝国の基礎を固めた事例を提示しながらだ。
尹錫悦政府の5年後はどんな姿だろうか。金鍾仁氏が残念がった過去の前轍を踏まないようにするためには、統合に障害物となる無理やり方式の“不通人事”は避けなければならない。16日の国会施政演説で野党の象徴カラーに近い空色のネクタイを締めて約束した協力政治の初心は最後まで刻んでいてほしいと思う。
キム・ヒョング/政治エディター
この記事を読んで…