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【コラム】独仏の戦争のわだかまりぬぐった学生交流、韓日でも通じるか(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
文化が外交をリードしたケースだ。その背景には指導者の努力が隠れている。フランスと西ドイツはその1年前の1963年1月23日にフランス大統領官邸であるパリのエリゼ宮で両国友愛条約を締結した。エリゼ条約と呼ばれるこの条約に基づき両国の大統領と首相、外相、国防相、教育相、軍参謀長は毎年会談を持つことにした。

注目すべき点は、この条約で仏独青年センター(FGYO)を開設した点だ。FGYOは両国政府の財政支援を受けながらこれまで36万回の学生交換プログラムを稼動した。これを通じ900万人の両国の青年・青少年交流を支援した。1870~71年の普仏戦争、1914~18年の第1次世界大戦、1939~45年の第2次世界大戦、1947~56年の戦後フランスの独ザールラント占領などで両国間に積もった怨恨・敵がい心・敵対感はこれを通じて相互理解に変わっていった。2003年にエリゼ条約40周年を迎え集まった両国青年議会フォーラム(YPF)代表は両国共同の歴史教科書を作ろうというアイデアを出した。フランス教育省とドイツ外務省が支援して2006年に独仏共同歴史教科書が誕生した。

◇両国の言葉で同時送出の放送局設立


1964年にこの学校の学生だったゲルハルト・シュレーダー(1998~2005年首相在任)は2003年1月にエリゼ条約40周年記念行事でバルバラの歌に言及した。『ゲッティンゲン』は両国の心をつなぐ架け橋になった。持続して疎通するという指導者の決断が青年と青少年の絶え間ない交流につながり、これは両国国民の間の長い間のわだかまりをぬぐい去る契機になった。ゲッティンゲンの奇跡だ。ドイツとフランスは1991年に同じ文化番組を両国の言葉で同時送出する放送局アルテを国境都市ストラスブールに共同設立するに至った。

独仏学生交流プログラムが成功を収めると1987年には欧州連合(EU)次元の学生交換プログラムであるエラスムスプログラムが稼動した。欧州全域を回りながら学び働き知識と経験・洞察力を拡大した16世紀オランダ出身のカトリック修道者であり人文主義者・世界主義者・自由主義者であるデジデリウス・エラスムスの名前を取った。別のプログラムとして拡大した2014年までに欧州31カ国4000の大学で330万人の学生が互いに交流した。

政権交代で韓国と日本が長い間の反目を清算し交流と協力で相互理解のドアを開ける機会が開かれるか注目される。青少年と青年世代の交流プログラムで韓日の間で「ゲッティンゲンの奇跡」が広がることを期待する。

チェ・インテク/国際専門記者


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