五輪に向かう前、中央日報のインタビューで明るい笑顔を見せたキム・ボルム。 カン・ジョンヒョン記者
キム・ボルムは中学2年でスケートを始めた。周囲の人より遅く始めたが、彼女の夢は大きかった。同じ大邱(テグ)出身の2006トリノ五輪ショートトラック3冠王チン・ソンユがロールモデルだった。しかし太極マークを付けるのは容易でなく、2010年にスピードスケートに転向した。これが的中した。2014ソチ五輪の出場権をつかみ、メダルは獲得できなかったが、大きな経験を積んだ。
しかしショートトラックと似たレースで順位を決めるマススタートが正式種目に採択された。キム・ボルムは世界選手権で相次いでメダルを獲得し、期待を集めた。そして平昌(ピョンチャン)五輪でも銀メダルを獲得し、五輪メダルという夢をかなえた。
しかし彼女に向けられたのは拍手でなく冷たい視線だった。これに先立って行われた女子団体パシュート競技でチームメートのノ・ソンヨンを意図的に置き去りにしたという誤解を招いた。大会後、文化体育観光部の監査で意図的ではなかったという事実を明らかにしたが、すでに非難の矢はキム・ボルムに向かった後だった。マススタートで銀メダルを獲得した後、氷上で土下座をしたが、彼女の表情はあまりにも暗かった。
キム・ボルムはその後、精神的に苦しんだ。トレードマークだった「金髪」もしない。心理治療を受けて克服し、またスケート靴を履いたが、順調にはいかなかった。新型コロナのため国際大会の感覚が落ちたのか、今季はマススタートW杯ランキング8位にとどまった。五輪出場権もマススタートでしかつかめなかった。しかし少しずつコンディションは上がっている。3日に北京入りして半月以上もマススタート競技の準備をした。
うれしい知らせもあった。ソウル中央地裁は16日、キム・ボルムがノ・ソンヨンを相手に2億ウォンを請求した損害賠償訴訟で、300万ウォン(約29万円)を支払いを命じる原告一部勝訴の判決を下した。
キム・ボルムは「ノ・ソンヨン先輩から2010年から持続的に暴言・悪口などで苦しめられ、平昌五輪当時にはノ・ソンヨン先輩の虚偽主張で国民的な非難に苦しみ、精神的な被害を受けた。このために評判が悪化し、衣類ブランド協賛契約が延長されず、その他の広告もなくなり、3億ウォン以上の経済的被害を受けた」として計2億ウォンを請求した。
裁判所はノ・ソンヨン氏の暴言、悪口が認められるとして、慰謝料300万ウォンの支払いを命じた。2017年11月以前の暴言は消滅時効が過ぎ、名誉毀損による精神的損害賠償請求も棄却された。しかしキム・ボルムの悔しい思いは立証された。キム・ボルムは慰謝料300万ウォンを寄付することにした。
キム・ボルムは17日、SNSに4年前に泣いた写真を載せ、「2018年2月24日。私の体は自分が努力したその時間を記憶していた。4年間、本当につらくて放棄したかった。被害者と加害者が逆になり、嘘が真実になって真実が嘘になる状況で裁判を始めたが、あの日の競技でいかなる問題もなかったことがようやく明らかになった」とコメントし、「4年が過ぎたが、まだ私の心の中にある平昌、いま本当に送り出す。さよなら、平昌、さよなら」と締めくくった。
キム・ボルムは19日に北京で行われるスピードスケート女子マススタート競技に出場する。今大会で彼女に与えられた一度のチャンスだ。キム・ボルムは「母は『1人でも応援してくれる人がいるのなら走らなければいけない。私が応援する』と言った」と伝え、覚悟を固めた。4年前より多くの国民がキム・ボルムを応援するはずだ。
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