北朝鮮が連日、ミサイル試験をしている。韓国政府は「脅威」「挑発」という表現も使えないが、北朝鮮が中距離弾道ミサイルを発射すると「国連安保理決議に背く行為とみることができる」と明らかにした。「終戦宣言さえすれば北を米朝対話に導くことができる」と言いながら米国を説得したが、北朝鮮が終戦宣言に反応もせずミサイルを繰り返し発射し、韓国政府は茫然自失している。国民は「文在寅(ムン・ジェイン)政府が宣伝していた韓半島(朝鮮半島)平和プロセスの結果は何であり、なぜ北は平和どころか、核・ミサイルを持続的に開発し、韓国を人質にしてまた米国と対決しているのか」と質問する。
中国兵法家の孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」といった。文政権の対北朝鮮政策の失敗は北朝鮮を正しく把握できず、韓国も正しく知らないためだ。
◆虚しく終わった韓半島運転者論
金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は自衛的な国防よりも、政権合理化と偉業を立証するために核兵器を完成させた。機会があれば米国大統領と1対1の交渉をし、米国と国際社会から核保有国の地位が認められ、南北関係で優位に立とうとして核の保有を急いだ。核完成以降は核・平和論理を精巧に作った。北朝鮮が核を完成することで、韓半島と北東アジアの平和・安定を確保したと主張する。北の核に反対する米国と韓国の保守勢力については、韓半島と北東アジアの平和を害するために除去すべきだと宣伝・扇動した。非核化するには北朝鮮に対する軍事的脅威と敵対視政策を撤回しろと要求してきた。
文政権は北朝鮮の核・ミサイル脅威の中でも韓半島平和プロセスを推進するため韓半島運転者論を持ち出した。金委員長の「北朝鮮に対する軍事的脅威が解消され、体制の安全が保障されれば、核を保有する理由はない」という言葉にだまされたか、誤認したか、文政権は米朝首脳会談さえ取り持てば北朝鮮が非核化すると信じた。
韓国の韓半島運転者の役割は米朝首脳会談開催までだ。文大統領が仲介して金委員長とトランプ大統領が史上初めて米朝首脳会談を開催した。この時から金委員長が代行運転者としてハンドルを握り、文大統領は運転席の隣に座ったのと同じだ。文政権は非核化をトランプ大統領に任せ、平和を追求すればよいと考えた。
運転者は代行運転者に目的地を絶えず想起させ、確実に目的地に到着させる必要がある。ハンドルを握った金正恩委員長に文大統領は不断に南北会談、米朝会談の根本的目的が非核化だということを想起させるべきだった。ところが金委員長の言葉だけを信じて文政権は、北朝鮮が指摘する軍事脅威と敵対視政策をなくそうと注力した。
金委員長の戦略は、核保有国の指導者としてトランプ大統領や中国の習近平主席だけを相手にするというものだった。韓米分離と米国のタカ派・ハト派の分離には金英哲(キム・ヨンチョル)氏を利用し、韓国政府を二流パートナーとして冷遇するために金委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)氏を活用した。この時から本来の目的である非核化は失踪し、韓国政府は北朝鮮側が挙げる軍事的脅威を議論しないわけにはいかず、2018年9・19南北軍事合意書に署名した。
◆脅威を脅威を言えない韓国政府
2018年9月の平壌(ピョンヤン)南北首脳会談で北朝鮮が貫徹しようとしたのは、1991年から軍事的脅威だと主張した韓米の先端監視・偵察能力を除去し、西海(ソヘ、黄海)通航秩序を貫徹し、西海徳積島(ドクジョクド)まで海上軍事訓練をできないようにするというものだった。当時、韓国軍は『国防白書』から北朝鮮の核・ミサイルは韓国に脅威という内容を削除した。わずか一行「北の核・ミサイルは韓半島の平和と安定に脅威となる」とし、韓国を抜いて韓半島を入れた。
その後、韓国軍は政界を意識して北朝鮮の核・ミサイル脅威やミサイル試験を「脅威」や「挑発」と表現できなかった。2019年5月から始まった北朝鮮のミサイル試験を「挑発」として対応していれば、今ごろ北朝鮮は「二重基準」を云々しながら韓国を窮地に追い込んでいただろうか。
韓国軍が1991年から脅威と見なしてきた北朝鮮黄海道(ファンヘド)に前進配備された長射程砲・放射砲(ロケット砲)を後方に移動させたり廃棄したりする問題を、9・19軍事合意に盛り込むこともできなかった。徳積島まで西海緩衝区域を設定した点、監視・偵察禁止区域を広く設定した点は、誰か見ても北朝鮮に有利な合意だった。
2019年2月のハノイ会談決裂以降、金正恩委員長はトランプ大統領に対する不信感と挫折感、傷ついた自尊心、文大統領に対する腹いせでミサイル試験を続け、2020年6月には南北共同連絡事務所を爆破した。当時、平和の幻想に浸った統一部長官は北朝鮮政策を批判する野党に向けて「砲弾があふれる戦場でも平和を叫ぶ者が正しい」という寝言のような発言をした。
文政権は北朝鮮がミサイル試験をしても暴言を浴びせても何も言い返せず、北朝鮮敵対視政策の最初の項目である北朝鮮制裁の緩和に向けた外交戦に動いた。北朝鮮が非核化に対していかなる実質措置も取らずミサイル試験発射を繰り返しても、大統領が米国・欧州連合(EU)を訪問して制裁解除を要請し、韓国の外交は国際的な信頼を失っていった。
さらに文政権は外国の新進学者を招待し、問題は北朝鮮を敵対視する米国にあり北朝鮮にあるのではないとの虚像を注入した。韓国を訪れた外国の新進専門家らは「北朝鮮の核・ミサイルは脅威でなく、それに強く対応する米国・韓国の国防部が問題」という認識を抱くことになった。
【コラム】金正恩にだまされて平和を叫んだ5年、何を得たのか=韓国(2)
中国兵法家の孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆からず」といった。文政権の対北朝鮮政策の失敗は北朝鮮を正しく把握できず、韓国も正しく知らないためだ。
◆虚しく終わった韓半島運転者論
金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は自衛的な国防よりも、政権合理化と偉業を立証するために核兵器を完成させた。機会があれば米国大統領と1対1の交渉をし、米国と国際社会から核保有国の地位が認められ、南北関係で優位に立とうとして核の保有を急いだ。核完成以降は核・平和論理を精巧に作った。北朝鮮が核を完成することで、韓半島と北東アジアの平和・安定を確保したと主張する。北の核に反対する米国と韓国の保守勢力については、韓半島と北東アジアの平和を害するために除去すべきだと宣伝・扇動した。非核化するには北朝鮮に対する軍事的脅威と敵対視政策を撤回しろと要求してきた。
文政権は北朝鮮の核・ミサイル脅威の中でも韓半島平和プロセスを推進するため韓半島運転者論を持ち出した。金委員長の「北朝鮮に対する軍事的脅威が解消され、体制の安全が保障されれば、核を保有する理由はない」という言葉にだまされたか、誤認したか、文政権は米朝首脳会談さえ取り持てば北朝鮮が非核化すると信じた。
韓国の韓半島運転者の役割は米朝首脳会談開催までだ。文大統領が仲介して金委員長とトランプ大統領が史上初めて米朝首脳会談を開催した。この時から金委員長が代行運転者としてハンドルを握り、文大統領は運転席の隣に座ったのと同じだ。文政権は非核化をトランプ大統領に任せ、平和を追求すればよいと考えた。
運転者は代行運転者に目的地を絶えず想起させ、確実に目的地に到着させる必要がある。ハンドルを握った金正恩委員長に文大統領は不断に南北会談、米朝会談の根本的目的が非核化だということを想起させるべきだった。ところが金委員長の言葉だけを信じて文政権は、北朝鮮が指摘する軍事脅威と敵対視政策をなくそうと注力した。
金委員長の戦略は、核保有国の指導者としてトランプ大統領や中国の習近平主席だけを相手にするというものだった。韓米分離と米国のタカ派・ハト派の分離には金英哲(キム・ヨンチョル)氏を利用し、韓国政府を二流パートナーとして冷遇するために金委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)氏を活用した。この時から本来の目的である非核化は失踪し、韓国政府は北朝鮮側が挙げる軍事的脅威を議論しないわけにはいかず、2018年9・19南北軍事合意書に署名した。
◆脅威を脅威を言えない韓国政府
2018年9月の平壌(ピョンヤン)南北首脳会談で北朝鮮が貫徹しようとしたのは、1991年から軍事的脅威だと主張した韓米の先端監視・偵察能力を除去し、西海(ソヘ、黄海)通航秩序を貫徹し、西海徳積島(ドクジョクド)まで海上軍事訓練をできないようにするというものだった。当時、韓国軍は『国防白書』から北朝鮮の核・ミサイルは韓国に脅威という内容を削除した。わずか一行「北の核・ミサイルは韓半島の平和と安定に脅威となる」とし、韓国を抜いて韓半島を入れた。
その後、韓国軍は政界を意識して北朝鮮の核・ミサイル脅威やミサイル試験を「脅威」や「挑発」と表現できなかった。2019年5月から始まった北朝鮮のミサイル試験を「挑発」として対応していれば、今ごろ北朝鮮は「二重基準」を云々しながら韓国を窮地に追い込んでいただろうか。
韓国軍が1991年から脅威と見なしてきた北朝鮮黄海道(ファンヘド)に前進配備された長射程砲・放射砲(ロケット砲)を後方に移動させたり廃棄したりする問題を、9・19軍事合意に盛り込むこともできなかった。徳積島まで西海緩衝区域を設定した点、監視・偵察禁止区域を広く設定した点は、誰か見ても北朝鮮に有利な合意だった。
2019年2月のハノイ会談決裂以降、金正恩委員長はトランプ大統領に対する不信感と挫折感、傷ついた自尊心、文大統領に対する腹いせでミサイル試験を続け、2020年6月には南北共同連絡事務所を爆破した。当時、平和の幻想に浸った統一部長官は北朝鮮政策を批判する野党に向けて「砲弾があふれる戦場でも平和を叫ぶ者が正しい」という寝言のような発言をした。
文政権は北朝鮮がミサイル試験をしても暴言を浴びせても何も言い返せず、北朝鮮敵対視政策の最初の項目である北朝鮮制裁の緩和に向けた外交戦に動いた。北朝鮮が非核化に対していかなる実質措置も取らずミサイル試験発射を繰り返しても、大統領が米国・欧州連合(EU)を訪問して制裁解除を要請し、韓国の外交は国際的な信頼を失っていった。
さらに文政権は外国の新進学者を招待し、問題は北朝鮮を敵対視する米国にあり北朝鮮にあるのではないとの虚像を注入した。韓国を訪れた外国の新進専門家らは「北朝鮮の核・ミサイルは脅威でなく、それに強く対応する米国・韓国の国防部が問題」という認識を抱くことになった。
【コラム】金正恩にだまされて平和を叫んだ5年、何を得たのか=韓国(2)
この記事を読んで…