慰安婦を「売春婦」と規定するなど歪曲主張で国際的公憤を買ったハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授が今度は「慰安婦の強制徴用事実を立証する同時代の文書はない」と主張した。彼は旧日本軍慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんに対しても「言葉を変えた」「悪名高い」などの主張をした。
ハーバード大学ロースクールのホームページによると、ラムザイヤー教授はホームページで自身に向けられたこれまでの批判に再反論する形式の論文「太平洋戦争の性的契約:批評に対する回答」を上げた。
彼は「韓国人女性が自身の意志と関係なく銃口を向けた日本軍によって(慰安婦として)連れて行かれたという主張に対して答える」とし、「この主張は偽り。韓国の女性らは計画的な日本軍の強要によって強制的に慰安所に徴用されたのではない」と主張した。
ラムザイヤー教授は日本の著述家であり活動家である吉田清治氏が1983年に出した『私の戦争犯罪』が慰安婦強制徴用の事実上唯一の根拠だったというあきれた主張を展開した、
その上で「(本は)騎馬部隊が韓国人女性を銃剣で脅して強姦し慰安所の性奴隷として送ったという内容。韓国女性強制徴用説を提起した96年の国連報告書は相当部分がこの本に依存している」と付け加えた。
また「吉田は死亡する前に自身の本が虚構だと明らかにした。慰安婦議論は吉田の『詐欺』で始まった。私を批判した専門家の大部分が日本・韓国の出身だが、この本について知っていながらもだれもこの本に言及しなかった」とした。
ラムザイヤー教授は2020年12月に慰安婦強制連行と性的奴隷の性格の慰安婦の実体を否定する論文を国際学術誌「国際法経済レビュー」(IRLE)に掲載し大きな波紋を起こしている。
この論文に対しても彼は「論文の核心は慰安婦女性らがなぜ先払いで金を受け取ったのか、契約上どんな条件によって女性らの労働時間が決まったのかなど契約に関することだった。大部分の批判は論文の核心だった『契約内容』に対しては最初から言及することもなかった」と主張した。
また「私が知る限り、戦争により現在残っている契約書はない。当時論文で資料として活用したものは政府文書、戦争回顧録、新聞広告、慰安所会計帳簿など周辺情報」だったと付け加えた。
一方、ラムザイヤー教授は相当期間沈黙していた慰安婦被害者が、日本に賠償金を要求することにしてから言葉を変えたという主張を展開した。強制徴用を証明する文書もなく、被害者の証言も信憑性が落ちるという趣旨だ。
特に慰安婦被害者の李容洙さんに向けては「(言葉を変えた人たちのうち)最も悪名高い。李さんが90年代には『友達に誘われ黙って家を出て特に考えることなく日本軍についていった』証言していたが、その後「14歳で銃刀によって連れて行かれた」(2002年)、「日本軍によって拉致された」(2007年)という形で徹底的に異なる証言をした」と主張した。
ハーバード大学ロースクールのホームページによると、ラムザイヤー教授はホームページで自身に向けられたこれまでの批判に再反論する形式の論文「太平洋戦争の性的契約:批評に対する回答」を上げた。
彼は「韓国人女性が自身の意志と関係なく銃口を向けた日本軍によって(慰安婦として)連れて行かれたという主張に対して答える」とし、「この主張は偽り。韓国の女性らは計画的な日本軍の強要によって強制的に慰安所に徴用されたのではない」と主張した。
ラムザイヤー教授は日本の著述家であり活動家である吉田清治氏が1983年に出した『私の戦争犯罪』が慰安婦強制徴用の事実上唯一の根拠だったというあきれた主張を展開した、
その上で「(本は)騎馬部隊が韓国人女性を銃剣で脅して強姦し慰安所の性奴隷として送ったという内容。韓国女性強制徴用説を提起した96年の国連報告書は相当部分がこの本に依存している」と付け加えた。
また「吉田は死亡する前に自身の本が虚構だと明らかにした。慰安婦議論は吉田の『詐欺』で始まった。私を批判した専門家の大部分が日本・韓国の出身だが、この本について知っていながらもだれもこの本に言及しなかった」とした。
ラムザイヤー教授は2020年12月に慰安婦強制連行と性的奴隷の性格の慰安婦の実体を否定する論文を国際学術誌「国際法経済レビュー」(IRLE)に掲載し大きな波紋を起こしている。
この論文に対しても彼は「論文の核心は慰安婦女性らがなぜ先払いで金を受け取ったのか、契約上どんな条件によって女性らの労働時間が決まったのかなど契約に関することだった。大部分の批判は論文の核心だった『契約内容』に対しては最初から言及することもなかった」と主張した。
また「私が知る限り、戦争により現在残っている契約書はない。当時論文で資料として活用したものは政府文書、戦争回顧録、新聞広告、慰安所会計帳簿など周辺情報」だったと付け加えた。
一方、ラムザイヤー教授は相当期間沈黙していた慰安婦被害者が、日本に賠償金を要求することにしてから言葉を変えたという主張を展開した。強制徴用を証明する文書もなく、被害者の証言も信憑性が落ちるという趣旨だ。
特に慰安婦被害者の李容洙さんに向けては「(言葉を変えた人たちのうち)最も悪名高い。李さんが90年代には『友達に誘われ黙って家を出て特に考えることなく日本軍についていった』証言していたが、その後「14歳で銃刀によって連れて行かれた」(2002年)、「日本軍によって拉致された」(2007年)という形で徹底的に異なる証言をした」と主張した。
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