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【コラム】その時その時代、韓国にも外交があった(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

外交と学問でパートナーだった国際韓国研究院長の故崔書勉(チェ・ソミョン)氏(右)と共に2008年に独島(トクド、日本名・竹島)を訪問した孔魯明(コン・ノミョン)氏。イェ・ヨンジュン記者

◆慰安婦強制性を認めさせた対日外交

#3.対日外交は北東アジア課長とアジア局長を歴任した孔魯明の専攻分野だった。孔魯明が駐日大使として勤務した時期は慰安婦問題や日本閣僚の妄言問題などで韓日関係は円満ではなかった。そのような渦中でも、孔魯明は河野談話を通じて日本政府に慰安婦動員の強制性を認めさせるために大きな役割を果たした。「慰安婦募集、移送、管理なども甘言・強圧によるなど総体的に本人の意思に反して行われた」という文章が入るべきだという立場を貫徹した。この文章は2014年に安倍政権が河野談話を修正しようとするときも手をつけることができなかった。「日本文化が裏から入ってくるよりは良質の日本映画や音楽を正式に輸入するほうがいい」とし、後の金大中(キム・デジュン)政府で実現される日本大衆文化開放を先に提案したのも駐日大使時代の孔魯明だった。河野洋平氏も認めるように、孔魯明は韓日ワールドカップ(W杯)共同開催を実現させた功労者でもあった。

このような成果は日本外交に従事して築いた太いパイプと信頼、そして一時的な雰囲気に流されず所信を貫徹する原則が根っこにある。駐日大使館で孔魯明を補佐した沈允肇(シム・ユンジョ)元議員は「政策担当者は、時には国民感情に符合しなくても国の前途に資する方向で政策を作らなければならないということに気付かされた。国民感情だけに振り回されていては望ましい韓日関係を築くことはできないということを当時学んだ」と記した。


◆「米国は同盟国に圧力をかけるのか」

#4.原則と所信を失わない姿勢は同盟国の米国に対する時も同じだった。1995年、孔魯明が外相として在職している時の最大の懸案は米朝ジュネーブ合意によって北朝鮮に提供する軽水炉に韓国型原子炉を使わせるということだった。核交渉の主導権が米朝交渉に渡ったことで、韓国は米国に物乞いするよりほかなかった時期に、部分的ではあるが韓国の役割を取り戻してくる意味が込められた案だった。だが、韓国型軽水炉を明記するのは北朝鮮が最も嫌がる選択肢なので米国も難色を示した。

この時、老練な交渉家の孔魯明は米朝間の文書と実際の執行機構である韓半島エネルギー開発機構(KEDO)の文書にそれぞれ違う表現を書き入れる方案を提示して貫徹した。当時米朝交渉代表だったロバート・ガルーチ大使が訪韓して北朝鮮の立場を重視する態度を示すと、孔魯明は「米国はどうしたら同盟国の腕を捻ることができるのか(arm twisting、圧力をかけるの意)」と言って一歩も退かずに語調を高めた。同席者も驚くほど米国を圧迫したという。だが、当時の韓米関係はこれまでで最も良好で、孔魯明が退官した際は米国が遺憾を表明したほどだというのが後輩の共通した回顧だ。

孔魯明外交を通じて再確認できるのは原則の重要性とこれを貫徹できる交渉能力だ。一度崩れた原則は復元が難しく、誤った先例を正すことは空の星を掴むくらい難しい。外交は徹底的に実利を自分のものにするという至難の作業だが、その過程で原則を堅持することがどれほど重要なのかを改めて認識させてくれる。断固さと気品を同時に備え、交渉力を発揮して国益を守ろうとする外交官が韓国にもかつて存在し、そして今後も輩出されることを願う。

イェ・ヨンジュン/論説委員


【コラム】その時その時代、韓国にも外交があった(1)

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