外交と学問でパートナーだった国際韓国研究院長の故崔書勉(チェ・ソミョン)氏(右)と共に2008年に独島(トクド、日本名・竹島)を訪問した孔魯明(コン・ノミョン)氏。イェ・ヨンジュン記者
#3.対日外交は北東アジア課長とアジア局長を歴任した孔魯明の専攻分野だった。孔魯明が駐日大使として勤務した時期は慰安婦問題や日本閣僚の妄言問題などで韓日関係は円満ではなかった。そのような渦中でも、孔魯明は河野談話を通じて日本政府に慰安婦動員の強制性を認めさせるために大きな役割を果たした。「慰安婦募集、移送、管理なども甘言・強圧によるなど総体的に本人の意思に反して行われた」という文章が入るべきだという立場を貫徹した。この文章は2014年に安倍政権が河野談話を修正しようとするときも手をつけることができなかった。「日本文化が裏から入ってくるよりは良質の日本映画や音楽を正式に輸入するほうがいい」とし、後の金大中(キム・デジュン)政府で実現される日本大衆文化開放を先に提案したのも駐日大使時代の孔魯明だった。河野洋平氏も認めるように、孔魯明は韓日ワールドカップ(W杯)共同開催を実現させた功労者でもあった。
このような成果は日本外交に従事して築いた太いパイプと信頼、そして一時的な雰囲気に流されず所信を貫徹する原則が根っこにある。駐日大使館で孔魯明を補佐した沈允肇(シム・ユンジョ)元議員は「政策担当者は、時には国民感情に符合しなくても国の前途に資する方向で政策を作らなければならないということに気付かされた。国民感情だけに振り回されていては望ましい韓日関係を築くことはできないということを当時学んだ」と記した。
【コラム】その時その時代、韓国にも外交があった(1)