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【コラム】K-POPや映画…文化交流増えるほど韓日間の偏見と差別消える(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
これに対し朝鮮学校を運営する学校法人と生徒らが日本政府を相手取り適用除外取り消しなどを要求する裁判を起こしたが最終的に今年7月に最高裁判所で朝鮮学校側の敗訴で終わった。キム・ジウン監督とキム・ドヒ監督は裁判提起よりはるか前から朝鮮学校に撮影のため通った。裁判を扱うドキュメンタリーが難しいのは裁判を提起し最高裁判所の判決が下されるまで長くかかったり、最終的に勝訴で終われば観客も快感を得られるが思った通りの結果が出ないケースが多いためだ。2人の監督をよく知る私は最高裁判所の判決結果を聞いた瞬間にこの映画をどのように終えるのか心配になり始めた。

ところが完成した作品を見て感じたのは、裁判に勝つことがすべてではないということだ。朝鮮学校側の弁護団には朝鮮学校出身の在日コリアン弁護士もいたし日本人弁護士もいた。朝鮮学校出身弁護士は「日本人弁護士に朝鮮学校を理解させるのが難しかった。朝鮮学校は嫌いだと拒絶されるかと思い怖かった」と話した。ところが結果的に九州での裁判だけで80人余りの弁護士が参加した。

◇開幕作『スープとイデオロギー』も注目


最も印象的だったのは日本人弁護士が「裁判の法律的知識だけではこの事件は手に負えないと思った」として在日コリアンの歴史を学ぼうと努力したという点だ。キム・ジウン監督は「今回の裁判を通じ日本でも韓国でもより多くの人が朝鮮学校に関心を持つことになった。朝鮮学校とともにしているさまざまな人々の話で映画を作るべきだと考えた」という。裁判を提起したために、朝鮮学校に対し、そして在日コリアンに対し知らせる機会ができた。この数年間に『差別』だけでなく朝鮮学校関連のドキュメンタリー映画が何本か作られた。

裁判も負け続けたのではない。2017年の大阪地裁の判決は朝鮮学校側の勝訴だった。関係者らが勝訴に興奮する様子が映画にも出ている。キム・ジウン監督は「いま考えても感動的な瞬間だった」と話す。勝訴当日に朝鮮学校の生徒が舞台に上がり、「いまやっと私たちの存在が認められたんだな。私たちがこの社会に生きていても構わないと言ってくれるようでした。この社会に差別を受けなければならない人は1人もいません」と演説した。

キム・ドヒ監督は「何の誤りもないわれわれの子どもたちが悲しく泣く姿を見たくはありません。韓国であれ北朝鮮であれ日本であれどこであれ堂々と生きていくことができる日がきたら良いです」とこの映画に込めた思いを打ち明けた。

在日コリアンは日帝強占期に朝鮮から日本に渡っていった人々とその子孫だが、ほとんどの故郷は分断前の韓国だ。ところが朝鮮学校をはじめ北朝鮮と関連があるケースも少なくない。そのひとつの背景を見せる映画が今回のDMZ映画祭開幕作『スープとイデオロギー』だ。

『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』で知られるヤン・ヨンヒ監督が今度は自身の母親を撮った。母親は大阪で生まれた在日コリアンだが1945年の太平洋戦争末期に大阪で空襲が激しくなり家族の故郷である済州島(チェジュド)に戻った。ところがまた1948年の済州4・3事件を経験し大阪に逃げたのだ。その時に婚約者と別れたという。

母親は残酷だった事件に対し長く話さなかった。大阪には母親のように4・3事件のため済州から避難した人が少なくない。そのような在日コリアンには軍事政権当時の韓国より北朝鮮がもっと良く見えただろう。

明るく楽しいことだけが韓日文化交流ではない。大人が子どもたちを困らせる差別が存在するという事実も韓日両国で知らなくてはならず、朝鮮学校に通う在日コリアンの子どもたちの歴史的背景には日本の植民地支配と韓国の軍事政権もあるということを映画を通じて知ることもひとつの韓日文化交流といえそうだ。

成川彩/元朝日新聞記者


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