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【コラム】金大中の日本文化開放と韓流の始まり(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
20年余り前の金大中(キム・デジュン)大統領在任時代にあったことだ。青瓦台(チョンワデ、大統領府)で話をあれこれ交わして、日本大衆文化開放に対して大きな苦悶に陥っていることを感じた。金大統領から「イン所長、われわれが文化開放をすれば日本の倭色文化が我が国を占領しませんか?」という質問を受けることになった。私は、120年余り前の開化期(西洋文化を取り入れ、文明開化が起きたころ)に高宗(コジョン)皇帝の子息に英語を教えるように招へいされた米国の著名な大学教授の言葉を例にあげて返事を差し上げた。

その教授は、韓国に10年余りの間滞在した経験を詳細な記録で残した。朝鮮の結婚の風習についてもその経験を説明しているが、話は朝鮮にいた時期に教授にハングルを教えていた一人のソンビの行動を不思議に思ったことから始まる。教授が自宅にさまざまな客を招いたとき、そのソンビの夫人も一緒に来た。そのソンビは他の客がいる席では夫人のことを少しも気にかけることなくいたが、他の客が全員帰り、ソンビと夫人だけが残っていたとき、教授はソンビが突然全く違う姿を見せたのを目にした。ソンビが夫人に西洋の家の特異な点を一つひとつ説明して笑い、とてもやさしく西洋文化を理解させようとしているが、その目からは本当に夫人を愛する心が感じられた。教授はどうしてソンビが他の人がいなくなってから突然夫人に対する態度を変化させたのかも気になったが、もっと気になったのは2人が恋愛ではなく見合い結婚だったのに、どうしたら夫人をそれほどまでに愛することができるのかということだった。教授の考えをおおまかにまとめみると、下記のようになる。

当時、一人の男が結婚適齢期を迎えると、男の両親はふさわしい嫁を探すための夫婦間の対話を始める。遠いところに最も清楚で良い娘がいる家をうわさを頼りに捜して、さまざまな情報を通じて結婚相手として可能性がある嫁候補を見つけた後、男の父親が偶然ふらりと遊びに行ったように娘の父親の元を訪問する。彼らはサランバン(客間)に座って数時間にわたって将棋を指しながら、天気や国、時代の変化などさまざまな話をやりとりして長い時間を一緒に過ごす。そして将棋も話もすべて終わるころ、男の父親は席から立ち、娘の父親に「うちに出来の悪い息子が一人いるのだが、そろそろ娶らなくてはならない年頃になった。ひょっとして花嫁候補がいそうな家はご存じないか」と聞く。すでにその家に良い嫁候補がいるのを知りながらだ。この時、娘側が「さあ、よく存じません」と答えたらその結婚は成立しない。娘側が「実はこちらも出来の悪い娘が一人おりまして、ちょうど嫁に出そうかと思っていたところです。われわれがひとつ2人の塩梅をうまくつけてあげましょう」と言えばその結婚は成立する。
【コラム】金大中の日本文化開放と韓流の始まり(2)

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