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【中央時評】都市の陰から日本を伺う

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本政府が福島原発の汚染水放出を決めた。あきれる。平和な未来繁栄のための国際社会の共同努力も不十分な時点に汚染されたごみを、自国の排他的利益ために無断放出する無分別・破廉恥・短見的行動で天人共怒・万人公憤を促し、悲憤慷慨・憤気チョン(手へんに掌)天・熱血糾弾しようとしたが、ふと立ち止まって考えてみるとちょっと変だ。韓半島(朝鮮半島)は福島とは日本列島に塞がれて向こう側にある。この問題に最も敏感でなければならない第1次被害者は日本自国民なので、彼らの反応が気になるのは至極当然のことだ。

福島漁民も当然反対の意志を表明した。ところが反対理由が少し違う。汚染水放出で遺伝子がおかしくなって腰が曲がった魚の登場を恐れているのではなかった。それでなくとも汚染イメージで困難に陥っている水産物輸出がこれ以上減少することに対する懸念のためだった。いってみれば「生存」ではなく「生計」の問題水準だった。

言語は世界であり、言語は存在であり、言語は限界だと説明した哲学者がいた。名前をつけて呼ぶ通り、美人なのか美人局なのか存在方式が決まる。汚染水(contaminated water)と言った瞬間、その水に対する立場は明白になる。浄化して基準をクリアする水準に合わせて20年間かけて少しずつ排出するが、その過程と現況をすべて公開するというのが日本政府の説明だ。外国の報道機関と機構の一般的選択語彙は処理水(treated water)だ。そのため国際原子力機関(IAEA)と米国務省が支持声明を発表する状況になった。それなら韓国はなぜ?

日本・原発・汚染水・放出がすべて入っている文章であれば韓国人を挑発する条件は充分そろっている。ひとまず日本関連の事案なら、韓国は問答無用の全体主義的国家に急変してきた。反日の旗の下で大同団結。その上、原発は未来価値が否定された危険千万の嫌悪施設として非難され始めたモノだ。それなのに、その上さらに放射能物質で汚染された水を放出するとは。その水が汚染水と呼ばれた瞬間、議論の扉には固く錠が掛けられる。

水が流れ込む所が東海(トンへ、日本名・日本海)だったとしよう。葛藤はさらに深刻で、戦争前夜を計る事案になるであろう。実際に両国はその海の名称だけをめぐっても戦争中だ。頭を冷やしてみると対立は解決策がない。この海の名称が日本海なら、われわれは愛国歌の一部を変更して歌わなければならない。「日本海と長白山が乾き果て、磨り減る時まで神の御加護がある我が国」--これが国か。ところが日本の立場では明らかに西側にある海なのにこれを東海だと呼べというのに同意するはずがない。そのための代案は併記表記だが、利害関係のない地図製作者の立場で一つの海をめぐって2つの名称を記せという要求を受け入れることも難しい。そのため第3の提案も出てきたので、私は地図に「清海(チョンヘ)」と表記しようという提案に心が引かれる。

「ヒヤカシ」という日本の言葉がある。高校時代、通り過ぎる女子学生をからかう行動を指す言葉だった。「タンコパジ」(太ももの部分がゆったりとして、足首に近くなるほど細くなるズボン)制服を着て「ヒヤシ」された(=冷たい)サイダーを口にして「ワリバシ」でギョーザをつまんだ浮ついた感じの高校生の姿だ。ところでこの「ヒヤカシ」の意味は原産地ではちょっと違う。日本では金もなく遊郭で花代のピンはねをして、からかう姿を指す言葉だった。本当に猟奇的で、日本文化で遊郭は大人の遊びをするところ程度で、遊郭従事は誇らしくはなくても職業として認められるということだった。

彼らは植民地でも都市の至るところに遊郭を作った。性理学伝統が堅固だった社会に導入された奇想天外な業種は、翻訳された姿で都市の陰の至るところに残った。概して駅近辺の裏面路地に奇異に両側に並んだガラス窓風景がそれだ。ピンク色の照明で夜は明るい場所だったが、私たちはその存在の呼称も不愉快で、最初から住所の地番で呼んだ。588と。日本人たちはさらに戦時にも移動遊郭を運営した。それがそのまま職業の一つという不思議な文化と命を賭けて避けなければならない対象がどうして職業かという文化激突が今の私たちの地に慰安婦という傷と宿題を残した。

憤る前によく調べてみなければならない。相手を知って自分を知らなければならないというのは、私たちが熟読してきた戦争不敗の兵法金言だ。自国文化の暴力的強要は明らかに忘れてはならないし、ずっと指弾しなければならない。しかし、命は捨てても約束は守るのが武士の国の文化だ。政権が変わったからといって以前の政権の約束を否定するのは、武士の国・日本でなくとも、どの社会でも理解しがたい。謝罪は自決甘受の意志表明である文化圏だが、国王と首相にいちいち謝罪しろというのは、国家存在価値を自ら否定しろという要求だと受け止められるだろう。この時、この懸案の議論の扉には固く錠が掛けられる。

私たちに偉大な大統領がいた。過去を許して開放すると明らかにした。無謀だという周囲の意見にもかかわらず、彼は国産戦闘機開発を決めた。国産戦闘機出庫式で背景に鮮明に現れたのは、武器の姿をしたものの向こう側の世の中を読み取った大政治人の識見だった。相手に対する熟考、それがない憤怒排出によって戦争で勝つのは難しい。壬辰倭乱から韓日合邦まで含め、私たちには歴史のほぼすべての戦争においてそれが無かった。今も相変らず無いのではないか、心配だ。

ソ・ヒョン/建築家・ソウル大学建築学科教授

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