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【時視各角】政府がなぜこうなのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
少し前まで長官の名前をぞろぞろ並べる人が多かった。首相黄喜(ファン・ヒ)、国防長官李舜臣(イ・スンシン)など朝鮮時代ドリームチームや、韓国現代史最強内閣を考えるパズルも酒の席の話題としてしばしば上がった。いまは長官を3~4人以上知っている人は珍しい。民間企業が大きく成長し政府の役割が縮小したためという主張もある。だがそうではない。政府は毎年500兆ウォン以上を使う。もっと大きく強くなったのに存在感はきまり悪いほどだ。王がすべてを決める万機親覧の青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)政府だからだ。青瓦台行政官の名前がもっとよく知られる政府だ。

また、委員会共和国だ。内閣の上の内閣と呼ばれる各種委員会が政策決定に深く関与し官庁を揺さぶる。脱原発を含めすべてのポピュリズム政策がそんな委員会を通じて出された。今度は加徳島(カドクト)空港だ。現政権補足後の国政パターンは概ね似ている。500を超える委員会に責任を押しつける政府と、コードに合わせた人事で委員会を作り自分たちの思い通りにものごとを勧める政権の意図が合致した結果だ。だから見つからないのはチョ・ヨンピルのウグイスだけではない。政府長官たちも失踪して久しい。

政府とは審判官だ。利害集団間の紛争の仲裁者として和解と妥協を引き出せなくてはならない。権威と尊敬を受けてこそ可能なことだ。道徳性と効率性が2つの柱だ。効率性は科学的データから出る。だが名前だけ検証や科学であり、結局は思いのままだ。10兆ウォンが投じられる超大型国策事業をひっくり返しながら経済性は検証しなかったという。狂牛病問題の時は国民の健康を前面に掲げてあらゆる怪談を浴びせた。科学は後まわしだった。12年が過ぎた韓国で狂牛病死亡者は1人もいない。違いはない。


言葉だけは道徳政府だ。これからは人事聴聞会の際に候補者の道徳性検証を非公開にするようだ。大きな権力を行使する高位公職者は権力に相応する重い責務を負う。道徳性とはこうした強大な権力を国と公益のために用心深く行使する内的基準が確実なのか確かめるものさしだ。そうした問題を議員同士の密室で非公開によりこそこそやるということだ。人事聴聞会が大統領の人事権専横を牽制する手段という制度自らの趣旨はむしろ考えもしないようだ。

きれいなりんごがよりおいしいのではなく、輝くからとすべてが黄金ではないという言葉がある。表と裏は違う。米国が高位公職に対する人事権を大統領は指名権、上院は承認権を持つように分けていることも見てみようということだ。対象職位だけ1000をはるかに超え、厳しく追及する聴聞会が半分に達する。韓国は人事聴聞対象が60件ほどだ。その上に閣僚は採決のない形だけの聴聞会のため起承転結ならぬ起承転任命強行だ。結果だけ見れば大きく違うことはない。だがそれすら省略して一方的コード人事に進んで行くという意味だ。

道徳性検証非公開案は「聴聞会忌避で良い人材を迎えるのが難しい」という大統領の発言に続いて出てきた。詭弁だ。現政権の人事検証失敗は聴聞会のせいではない。陣営論理に閉じ込められ狭い人材集団から抜け出せなかったためだ。チョ・グク氏をめぐるスキャンダルが代表的だ。人事聴聞会がなかったなら不正自体がおそらくそのまま隠されただろう。事実上最後の内閣改造を控えた。法務部長官と検事総長の活劇、不動産大乱のような国政乱脈を見れば変えるべき対象はだれが見ても明らかだ。だがそんな長官であるほど留任するだろうという。

どうせ青瓦台コード、あるいは彼らと同じ考えを持つ外部の人たちで布陣された委員会が核心だ。長官をだれに任せても大きく変わることはない。長官がだれになろうが関心を持つこともない。問題はそんな政府に権威が出る理由もないという点だ。すると政府は危機の体になる。委員会の裏に隠れ、検証委に押し付け、機会さえあれば「前政権のせい」と言い逃れる卑怯な政府だ。そんな無能内閣を追い出すことすら大変だ。政府がなぜこうなのか。政治が何だというのか。ソクラテス兄さん。

チェ・サンヨン/論説委員



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