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【時視各角】政治は依然として4流=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2011年3月、全国経済人連合会の許昌秀(ホ・チャンス)会長とサムスングループの李健煕前会長[中央フォト]

10日前、この時代の巨人、李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長が死去した。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という言葉通りだ。李会長についてニューヨークタイムズは「サムスン電子を巨大な電子企業に変えた」と評価し、フィナンシャルタイムズは「サムスンを世界的な技術リーダーに導いた」と記憶している。

1987年にサムスングループの会長に就任した当時、サムスン電子は歌手に例えると「無名歌手」だった。ソニー・パナソニック・東芝・日立など日本の「スター歌手」が世界を牛耳る時代だった。サムスンは性能・デザインともに2流だった。わずか30年ほど前のことだ。現在のように海外に出ればサムスン電子の広告看板が見え、世界の人々がギャラクシーフォンで通話する状況は想像もできなかった。中華思想にとらわれて近代化が遅れ、日帝の植民地に転落した韓国は、すべてのことが2流、3流だった。製品は何でも日本製が最高だった。韓国はボールペン1本もまともに作ることができなかった。

李健熙会長はこのコンプレックスを一挙に振り払った人物だ。政治家が陣営結集のために反日を煽り、口だけで「克日」を叫んでいた時、李会長は黙々と克日を現実にしていった。日本企業はサムスン電子の躍進の前で秋風落葉のようだった。サムスンが競争もできなかったソニーはもう歯が抜けた虎になり、パナソニックはかなり以前から存在感が薄れている。


もちろんサムスンのこうした底力は1983年に半導体投資を始めた創業者、李秉チョル(イ・ビョンチョル)氏の先見の明が土台となった。しかし李健熙会長は父を上回った。サムスングループの売上高は李会長就任当時の10兆ウォンから386兆ウォン(約35兆円)に増え、時価総額は1兆ウォンから400兆ウォン近くに膨らんだ。就任直後に「サムスンを世界的な超一流企業に成長させる」と語った45歳の若い企業家の夢は現実になった。この期間、サムスンは半導体・スマートフォン・モニター・テレビなどで何度も世界トップになった。10万人ほどだった良質の雇用は全世界で52万人に増えた。

生きた経営の神様だった。日本最高の経営の神様だったパナソニック創業者、松下幸之助を凌駕する。松下の経営語録は今でも世界の企業家に最高の経営バイブルに挙げられる。中でも語録集『一日一話』は多くの経営者が知っている。李健熙会長の語録集『少し考えて世界を見よう』も改めて注目を集めている。世論調査でも李会長が社会に貢献したという国民の反応が84.3%にのぼった。政界の一部の批判にもかかわらず、大半の国民が李健熙の功労をよく記憶しているということだ。

李会長は民間外交官でもあった。普段から「国がうまくいくには国民・政府・企業が一つになって同じ方向に進まなければいけない」という、いわゆる三位一体論の実践だった。2018年の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)招致のために地球5周以上の距離を移動した社会参加活動もそこから出てきた。李会長が経営の神様にふさわしいのは、品質に対する無限の挑戦のためだ。最も印象的な場面は1995年にサムスン電子亀尾(クミ)工場で実行した不良製品の火刑式だ。150億ウォン分の不良携帯電話を燃やすと、惰性で2流に安住していたサムスンの構成員が1流に生まれ変わるきっかけになった。

李会長が残した革新のDNAはまだ大韓民国のあちこちに隠れている。何よりも李会長が一喝した「政治は4流、官僚は3流、企業は2流」という言葉は今もこだましている。韓国の国民は歌手の羅勲児(ナ・フナ)が自負するように勤勉と誠実さで世界一だ。しかし韓国の政治は依然として4流にとどまっている。ある人は「4流にもならない」という。牛肉の6等級でいえば「等級外」と言いながらだ。国と国民よりも自分と陣営の利益のために左右既得権集団が限りなく争う現実だ。李健熙会長が一喝し、羅勲児がいう1流国民が国を守るしかない。

キム・ドンホ/論説委員



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