北朝鮮が最近、軍団長級指揮官を大幅に交代したことが分かった。北朝鮮は10日0時に平壌(ピョンヤン)金日成広場で開催した党創建75周年記念閲兵式(軍事パレード)を当日午後7時に録画放送した。放送で北朝鮮は閲兵式に参加した部隊と各級部隊・指揮官を紹介した。
ところがここに登場した軍の指揮官の面々を見ると、姜盤石(カン・バンソク)革命学院のイ・ウンギョン院長(陸軍少将)など一部を除いて2018年の閲兵式と比べてほとんど交代している。北朝鮮の核・ミサイルを管轄する戦略軍司令官(金洛兼→キム・ジョンギル)も交代した。
この日、北朝鮮が公開した陸軍軍団級部隊は第1-12軍団と平壌(ピョンヤン)防御軍団の計13個軍団のうち11個。北朝鮮はこの日、「西南の関門を頼もしく守っていく第4軍団、軍団長パク・グァンジュ上将」「北部地帯の難攻不落要塞第9軍団、ソン・ヨングン中将」「東側の関門の第10軍団、軍団長イ・ヨンチョル中将」などと閲兵式に部隊が登場するたびに詳細に紹介した。
この中から第6軍団と第11軍団は抜けた。まず第11軍団は暴風軍団と呼ばれる特殊部隊で、北朝鮮が唯一指揮官を紹介せず「万能戦士、特殊作戦軍」と伝えた部隊と推定される。しかし第6軍団についてはこれと推定できる部隊が登場しなかった。
北朝鮮がこの日、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の護衛部隊(党中央委護衛処、護衛局、護衛司令部)をはじめ、軍部隊の位置と軍団長の階級、名前まで詳細に明らかにした点を考慮すると、第6軍団は閲兵式に参加しなかったとみられる。
これについて政府当局者は「第6軍団は1990年代半ばに発生した『第6軍団事件』以降、北の軍の編成から抜けた」とし「その後、北が第12軍団など新しい軍団を創設しながらも第6軍団という名称は使用していないと把握している」と話した。
「第6軍団事件」とは、1995年に咸鏡北道清津(チョンジン)に司令部を置く第6軍団で発生したクーデター謀議事件だ。当時、第6軍団政治委員を中心に下級部隊の指揮官および行政機関の関係者が金正日(キム・ジョンイル)総書記体制を転覆させようというクーデターを謀議したが、事前に発覚した。
高官級の脱北者によると、当時の第6軍団の政治委員は軍団長(金永春)を排除したまま国境地域の外貨稼ぎで確保した資金を通じて「作戦」勢力を拡大し、具体的な実行計画を立てた。しかし当時、金永春(キム・ヨンチュン)軍団長がこれに気づき、軍保衛司令部と共にこれらを鎮圧した。
この事件以降、金永春軍団長は同年10月に総参謀長となり、人民武力部長、国防委副委員長などを務め、2018年8月に死去した。
匿名を求めた脱北者は「北は最高指導者に対して後ろ指を差すだけでも大逆罪の扱いを受ける」とし「事件発生後、関係者の親戚まで処刑し、軍団を解体して25年が経過したが、体制を転覆しようとした部隊を歴史から消すという意味で第6軍団を復活させなかったと理解している」と話した。
ところがここに登場した軍の指揮官の面々を見ると、姜盤石(カン・バンソク)革命学院のイ・ウンギョン院長(陸軍少将)など一部を除いて2018年の閲兵式と比べてほとんど交代している。北朝鮮の核・ミサイルを管轄する戦略軍司令官(金洛兼→キム・ジョンギル)も交代した。
この日、北朝鮮が公開した陸軍軍団級部隊は第1-12軍団と平壌(ピョンヤン)防御軍団の計13個軍団のうち11個。北朝鮮はこの日、「西南の関門を頼もしく守っていく第4軍団、軍団長パク・グァンジュ上将」「北部地帯の難攻不落要塞第9軍団、ソン・ヨングン中将」「東側の関門の第10軍団、軍団長イ・ヨンチョル中将」などと閲兵式に部隊が登場するたびに詳細に紹介した。
この中から第6軍団と第11軍団は抜けた。まず第11軍団は暴風軍団と呼ばれる特殊部隊で、北朝鮮が唯一指揮官を紹介せず「万能戦士、特殊作戦軍」と伝えた部隊と推定される。しかし第6軍団についてはこれと推定できる部隊が登場しなかった。
北朝鮮がこの日、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の護衛部隊(党中央委護衛処、護衛局、護衛司令部)をはじめ、軍部隊の位置と軍団長の階級、名前まで詳細に明らかにした点を考慮すると、第6軍団は閲兵式に参加しなかったとみられる。
これについて政府当局者は「第6軍団は1990年代半ばに発生した『第6軍団事件』以降、北の軍の編成から抜けた」とし「その後、北が第12軍団など新しい軍団を創設しながらも第6軍団という名称は使用していないと把握している」と話した。
「第6軍団事件」とは、1995年に咸鏡北道清津(チョンジン)に司令部を置く第6軍団で発生したクーデター謀議事件だ。当時、第6軍団政治委員を中心に下級部隊の指揮官および行政機関の関係者が金正日(キム・ジョンイル)総書記体制を転覆させようというクーデターを謀議したが、事前に発覚した。
高官級の脱北者によると、当時の第6軍団の政治委員は軍団長(金永春)を排除したまま国境地域の外貨稼ぎで確保した資金を通じて「作戦」勢力を拡大し、具体的な実行計画を立てた。しかし当時、金永春(キム・ヨンチュン)軍団長がこれに気づき、軍保衛司令部と共にこれらを鎮圧した。
この事件以降、金永春軍団長は同年10月に総参謀長となり、人民武力部長、国防委副委員長などを務め、2018年8月に死去した。
匿名を求めた脱北者は「北は最高指導者に対して後ろ指を差すだけでも大逆罪の扱いを受ける」とし「事件発生後、関係者の親戚まで処刑し、軍団を解体して25年が経過したが、体制を転覆しようとした部隊を歴史から消すという意味で第6軍団を復活させなかったと理解している」と話した。
この記事を読んで…