韓国光復会の会員らが金元雄(キム・ウォヌン)会長の両親の独立運動の行跡に疑惑を提起し、「真偽を調査してほしい」という請願を青瓦台(チョンワデ、大統領府)国民請願(https://www1.president.go.kr/petitions/593276)の掲示板に投稿して論争となっている。金会長側は「政府がすでに調査を経て褒賞した事案」としながら、これに反発している。
光復会の会員や独立活動家の遺族ら100人余りが参加した「光復会改革の集まり」が請願を寄せたのは今月6日のことだ。12日午後現在までに6400人余りが請願に賛同している。
改革の集まり側はこの請願で「独立運動系を代表する団体である光復会の金元雄会長の両親に対し、最近、偽独立活動家疑惑が提起された」としながら「非常に重大な事案」としながら政府に真相調査を要求した。
これに関連し、改革の集まりを率いるクォン・ヨンヒョク〔義烈団創立の団員であり朝鮮義勇隊秘書長などを務めた権晙(クォン・ジュン)将軍の孫〕光復会代議員らは12日、中央日報に「金元雄会長の両親が義烈団と朝鮮義勇隊に加担したというのに関連の記録が全くない」としながら「光復軍の活動も関連者の隣友保証があるというだけでちゃんとした根拠を提示できずにいる」と主張した。隣友保証は周囲の人々が特定の人の行跡に対し、これを確認して保証人になるものだ。
クォン代議員はまた「金会長に何度も直・間接的にこの部分に関して真偽を明らかにするよう話し、9月末までに回答するよう内容証明まで送ったが黙殺無返答」としながら「そのため結局請願を出した」と説明した。あわせて「今回の請願は光復会の名誉のために提起したもので、一個人を陰湿に攻撃したり侮辱したりするためのものではない」と話した。
金会長(76)の父親・金根洙(キム・グンス)氏(1912~92年)が初めて独立有功者と認定されたのは1963年大統領表彰を受けてだ。その後、金根洙氏は1977年に建国褒章、1990年には建国勲章愛国章をそれぞれ受章した。夫人の全月善(チョン・ウォルスン)氏(1923~2009年)は1990年建国勲章愛族章を受章した。
国家報勲処によると、金会長の両親は過去「大韓民国臨時政府および光復軍生存者確認書」(隣友保証書)に基づいて独立有功者と認められた。当時隣友保証人になった関連者は現在生存していないと報勲処は明らかにした。
今回の論争に関連し、報勲処関係者は「(2人は)『韓国独立運動史5巻』(国史編纂委員会、1969年刊行)、『独立運動史6巻』(独立運動史編纂委員会、1975年刊行)に光復軍として登載されている」とし「光復軍活動がなかったという主張は事実ではないと判断している」と明らかにした。
だが、改革の集まり側は該当の書籍の資料は学界の検証を十分に受けていないものだと主張している。独立運動史を長年研究してきた檀国(タングク)大学史学科の韓詩俊(ハン・シジュン)招へい教授は「金会長の両親の名前が出てくる資料は根拠資料ではなく口伝によるものなので不明確だ」とし「2人が光復軍の活動をしたという直接的な根拠とは見ることができない」と話した。
改革の集まり側はまた、報勲処が提示した2冊の本がそれぞれ1969年と1975年に刊行されたが、金会長の父親である金根洙氏の場合、それ以前である1963年に大統領表彰を受けたという点で根拠とすることはできないと主張した。
改革の集まり側はまた、重慶臨時政府が1945年12月8日に作成した「韓国臨時政府職員眷属僑胞名冊」(臨時政府職員および家族、現地海外同胞名簿)を「金会長の両親が光復軍でないという証拠」として提示している。ここには王碩(ワン・ソク/金根洙の異名)、金●(火偏に喜、キム・ヒ/全月善の異名)、王元雄(ワン・ウォヌン/金元雄の異名)など、金会長一家の名前が出てくる。
クォン代議員は「金会長側はこれまで両親が臨時政府の職員ではなく光復軍だと主張してきた」とし「光復軍は当時、中国軍の支援を受けていたので、この名簿には登載されてさえいない」と主張した。これに関連し、韓教授は「臨時政府が光復(解放)以降、帰国便の飛行機を用意するためにそこに住んでいた僑胞の名簿を作成して中国政府に提出した」としながら「独立運動をしていた人を記したものではない」と話した。
改革の集まりの請願提起に対し、金元雄会長は光復会を通じて「政府がすでにかなり以前に調査して褒賞した事案で、根本的に政府が答える問題」としながら「特別な立場がない」と12日、明らかにした。
光復会の会員や独立活動家の遺族ら100人余りが参加した「光復会改革の集まり」が請願を寄せたのは今月6日のことだ。12日午後現在までに6400人余りが請願に賛同している。
改革の集まり側はこの請願で「独立運動系を代表する団体である光復会の金元雄会長の両親に対し、最近、偽独立活動家疑惑が提起された」としながら「非常に重大な事案」としながら政府に真相調査を要求した。
これに関連し、改革の集まりを率いるクォン・ヨンヒョク〔義烈団創立の団員であり朝鮮義勇隊秘書長などを務めた権晙(クォン・ジュン)将軍の孫〕光復会代議員らは12日、中央日報に「金元雄会長の両親が義烈団と朝鮮義勇隊に加担したというのに関連の記録が全くない」としながら「光復軍の活動も関連者の隣友保証があるというだけでちゃんとした根拠を提示できずにいる」と主張した。隣友保証は周囲の人々が特定の人の行跡に対し、これを確認して保証人になるものだ。
クォン代議員はまた「金会長に何度も直・間接的にこの部分に関して真偽を明らかにするよう話し、9月末までに回答するよう内容証明まで送ったが黙殺無返答」としながら「そのため結局請願を出した」と説明した。あわせて「今回の請願は光復会の名誉のために提起したもので、一個人を陰湿に攻撃したり侮辱したりするためのものではない」と話した。
金会長(76)の父親・金根洙(キム・グンス)氏(1912~92年)が初めて独立有功者と認定されたのは1963年大統領表彰を受けてだ。その後、金根洙氏は1977年に建国褒章、1990年には建国勲章愛国章をそれぞれ受章した。夫人の全月善(チョン・ウォルスン)氏(1923~2009年)は1990年建国勲章愛族章を受章した。
国家報勲処によると、金会長の両親は過去「大韓民国臨時政府および光復軍生存者確認書」(隣友保証書)に基づいて独立有功者と認められた。当時隣友保証人になった関連者は現在生存していないと報勲処は明らかにした。
今回の論争に関連し、報勲処関係者は「(2人は)『韓国独立運動史5巻』(国史編纂委員会、1969年刊行)、『独立運動史6巻』(独立運動史編纂委員会、1975年刊行)に光復軍として登載されている」とし「光復軍活動がなかったという主張は事実ではないと判断している」と明らかにした。
だが、改革の集まり側は該当の書籍の資料は学界の検証を十分に受けていないものだと主張している。独立運動史を長年研究してきた檀国(タングク)大学史学科の韓詩俊(ハン・シジュン)招へい教授は「金会長の両親の名前が出てくる資料は根拠資料ではなく口伝によるものなので不明確だ」とし「2人が光復軍の活動をしたという直接的な根拠とは見ることができない」と話した。
改革の集まり側はまた、報勲処が提示した2冊の本がそれぞれ1969年と1975年に刊行されたが、金会長の父親である金根洙氏の場合、それ以前である1963年に大統領表彰を受けたという点で根拠とすることはできないと主張した。
改革の集まり側はまた、重慶臨時政府が1945年12月8日に作成した「韓国臨時政府職員眷属僑胞名冊」(臨時政府職員および家族、現地海外同胞名簿)を「金会長の両親が光復軍でないという証拠」として提示している。ここには王碩(ワン・ソク/金根洙の異名)、金●(火偏に喜、キム・ヒ/全月善の異名)、王元雄(ワン・ウォヌン/金元雄の異名)など、金会長一家の名前が出てくる。
クォン代議員は「金会長側はこれまで両親が臨時政府の職員ではなく光復軍だと主張してきた」とし「光復軍は当時、中国軍の支援を受けていたので、この名簿には登載されてさえいない」と主張した。これに関連し、韓教授は「臨時政府が光復(解放)以降、帰国便の飛行機を用意するためにそこに住んでいた僑胞の名簿を作成して中国政府に提出した」としながら「独立運動をしていた人を記したものではない」と話した。
改革の集まりの請願提起に対し、金元雄会長は光復会を通じて「政府がすでにかなり以前に調査して褒賞した事案で、根本的に政府が答える問題」としながら「特別な立場がない」と12日、明らかにした。
この記事を読んで…